Google
WWWを検索 ひねもすを検索

指を骨折→テレビとビデオ購入(^O^)2010年05月31日 21時59分08秒

といっても、学生時代の話です。

ママは宮崎の親元を離れて大阪で学生時代を過ごしました。

仕送りは月8万。
両親が共働きしながら送ってくれたお金です(T_T)

2回生に上がってからは隣の市で発掘のバイトを始めましたが、1年目は全生活費、仕送りの8万に頼っていました。

学生生活を始めたときの家財道具は宮崎から運んだもの&近所で買ったモノで、ひとくちガスレンジ、冷蔵庫、ミニ食器棚、ロッカー、ベンチチェスト、鏡台、こたつ、CDコンポ、寝具、だけだったと思います。

電話は・・・・当時は携帯は普及していませんので、8万近く払って固定電話を契約しないといけませんでした。
1学期は、下宿のピンク公衆電話で我慢しました。
夏休みか2学期始まってすぐに、仕送りの8万円からコツコツ捻出したお金で、電話を契約することができました!

あ、ちなみに家賃は15000円。電気代や水道代、ガス代など入れても、2万円いきませんでした。

あとは食費をケチればいくらでもカネは貯まると。
大学に入って10キロも痩せて一石二鳥!!  ヘ(^^ヘ)(ノ^^)ノ
(2回生の4月には貯めたお金で原チャリも買えたぞー(^_^)v)

でも、テレビがずっと買えませんでした。
いつだったか、大学院の先輩が、
「論文を書くのに集中したい。テレビを預かってくれ(もらってくれ、だったかな?)」
と言ってくださったので、14型のテレビデオがわたしの部屋にやってきました(^o^)

後顧の憂いを断ち切って論文に集中するために、テレビデオと共に、多量のビデオテープも手放されたのですが、それは別の男性の先輩がごっそりと引き取って行かれました。

そこからママのテレビ生活が始まりました。

タイトルの「指を骨折」うんぬんというのは、2台目のテレビのことです。

ある日、体育の授業で(大学に入っても体育があるんだよーーー(>_<))、バスケットボールをしていて、リバウンドボールの処理に失敗して左手の小指だか薬指の関節を剥離骨折してしまったのです。

最初は、
「ついてねーーー(T_T)」
だったのですが。
わたしが知らないうちにうちの母親が生協の保険に入ってくれていて、保険金がおりました。

生活にはほとんど支障のない指の骨折だったのに、50000円ぐらいおりました(^_^)v

その保険金で、21型のテレビとビデオゲットーーー(^O^)
6畳一間で21型なんて、とっても贅沢だったんですよ~~~(T_T)
下宿のWさんやHさんも、
「テレビ見せて(^o^)」
って来ましたモン! ←昭和三十年代とかじゃないですよ!

まあ、そんな人気者だった保険金テレビも・・・・
パパと同棲を始めたとき、ママがその21型を持参、パパが自慢の29型ワイドテレビを持参したため、2DKのマンションがとっても手狭に・・・・。

いつまで持っていたかなあ・・・・
春海が生まれる直前かなあ??
もらってくれる人もおらず、まだ見れる状態で処分してしまいました(T_T)

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック