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大野中尉に関する訂正2010年05月06日 14時12分41秒

先日、『鴛渕中尉の不思議な話』のところで「大野中尉や村田中尉、結城中尉らが台南空に配属になったと同じタイミングで鴛渕さんは横空に」←つまり大野中尉の台南空発令は17年6月30日と書きましたが、正しい資料を送っていただきましたので、訂正してお詫び申し上げます。

6月30日 大分空附
7月20日 台南空附


らしいです。

これは辞令の日付らしく、実際に大野さんがいつラバウルに到着したのか、そこらへんはよくわかりません。

この頃の台南空の動き。
当時台南空は主な出撃基地が2つあり、一つはラバウル、もう一つはニューギニアのラエでした。
ラバウルは新人さんたちで哨戒任務など、あと、ラエのベテランたちがときどき帰ってきて休養を兼ねた哨戒? そんな感じでしょうか。
ラエはモレスビー攻撃の最前線基地。

7月の7日か8日頃から、ラエのベテラン組(全員?)もいったんラバウルに戻ってきてそこから出撃しています。そして再び21日、ラエからの出撃が始まっています。

大野さんは飛行学生を終えてすぐ、戦地は初めてなので、ラバウル組です。
大野さんがいつラバウルに来たのか定かではないのですが、笹井中尉や坂井さんたちとは入れ違いになっている可能性大です。
(7月20日にラバウルに着任していれば、ぎりぎり顔を合わせているかも、ですが)

その後、8月の3日か4日頃、ベテランたちもラエを引き払って(?)本格的にラバウルに戻ってきたようです。

6月30日に台南空ということなら、そこから初仕事(7月29日)まで1ヶ月あるので、その間にラエからラバウルに戻ってきた笹井さんが坂井さんに「大野を頼む」と空戦指導を頼んだのだと思っていたのですが、7月20日だとこの想像が成り立ちません。


大野さんのラバウル着任が20日を過ぎていれば、笹井さん、坂井さん、大野さんが初めて顔を合わせたのは、8月3日か4日。
空戦指導してもらったのはそこから7日までの3、4日間のことではないのかな、と。
(坂井さんが8月7日の空戦で重傷を負い戦線離脱するため)



笹井「大野中尉は将来、海軍戦闘機隊を担っていく存在だ。存分に鍛えてやってくれ」
坂井「任せて下さい」
大野「先任、よろしく頼む。遠慮は無用だ」
坂井「ははは、心配ご無用です」

という会話(イメージ)は17年8月3、4日ぐらいに交わされた可能性が高いですね!


※後半は行動調書からの妄想なので、引用厳禁!!