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17年夏 鎮海航空隊搭乗員集合写真2022年01月29日 16時05分26秒

9期隅倉慧さん(戦後生存)のアルバムに貼られていた写真です。


二種軍装、隅倉さんの階級章が3飛曹なので17年の夏ごろの写真なんだろうな、と漠然と思っていました。
前列右端隅倉さん。



先日、この写真を見返していて、知っている人を見つけました!
前列中央の人。
「ああ! 7期の亀田道男さんじゃないか!!」

この人、予科練2学年時に西澤さん(台南空の西澤廣義さん)と同じ班だったようで、いろんなところに写っているんですよ(^^;)


下にあげる画像は、7期の操縦班の集合写真です。
西澤さんの遺品にもほぼ同じ写真がありましたが、知人のMさんご提供の写真を掲載させていただきます(ここに写っている別の7期生の遺品)。













下の2枚は辻堂演習写真。7班操縦班と8期の前の分隊の班員ではないかと想像(8・9期の例から)。



上の写真とちょっとメンツが違う?

8期生がまだちゃんと照合していないので、照合できたら紹介します。





と、まあ、こんな感じで、すごくよく見ている人だったのですが、数日前まで気づきませんでしたorz

しかし、時間がかかってしまったとはいえ、気づいたおかげで他のことも判明。

亀田さん、水上機操縦員で戦後生存者なのですが、『予科練のつばさ』(七期雄飛会、光人社)に手記を寄せています。

それによると羽黒から鎮海空に転勤したのが7月下旬ごろのようです。
そのとき、亀田兵曹のかわりに羽黒に転勤してきたのが東和夫さん。
『彼は予科練の二期先輩で、宮崎県出身の第五期生、水上機のパイロットである。すでに日支事変に参加して偉功を立て、昭和十五年四月二十九日の第一回生存者論功行賞のときには、金鵄勲章を授与された空の勇士である。
(先輩との交替だ。あとはよろしく頼みます)
わたしはほっとした思いで舷梯をおり、呉軍港まで送ってくれる内火艇に移乗した。
――中略――
ところが一カ月後、突然に「羽黒」一号機、ソロモン海で散華の報を耳にし、愕然とした。羽黒一号機はソロモン海戦中、索敵線上で敵戦闘機と遭遇し、「ヒ」連送を発信したのちに、消息を絶ったということである』



隅倉さんのアルバムにこんな写真が貼られていまして。
以前に気になってKさんに調べてもらったことがありました。
5期の東和夫さんではないかとのことでした。
東さんは鎮海空から羽黒転勤して、8月のソロモン海戦で戦死されたようです。
(隅倉さんの書き込みの「サンゴ海海戦」時は鎮海空にいらした)


隅倉さんは17年10月ごろまで鎮海空だったので、冒頭の写真は亀田さんが転勤してきた17年7月下旬から10月ごろまでの間に撮られた写真なのでしょうね。




それと、亀田さんの手記を読んでいて気づいたのですが、亀田さんの右隣りの人は8期の河野増美さん(偵察)ではないかと思います。
※亀田さんは河野さんが鎮海空に転勤してきたのは18年春と書かれていますが17年夏のようです。

19年4月6日 鎮海空  長崎
要務飛行中に佐世保港外(亀田さんは「平戸」)で高圧線に触れ墜落

このとき、奥さまが出産間近だったとか・・・・。



冒頭集合写真の亀田さんの左に下士官が2人座っていますが、ふたりとも善行章をつけていません。甲飛の人かなと想像。

と、ここまで書いて、隅倉さんのアルバムに同一人物を見つけました。

亀田さんの左隣の人ですが。

隅倉さんのアルバムに「光岡兵曹」という書き込みとともに貼られていました。

甲5期の光岡満春さんのようです。




あとの方々は現時点では不明です。
2列目の左端の人は「田中兵曹」って方ではないかと思うのですが(アルバムの個人写真から)、「17年夏、善行章1線3飛曹の田中兵曹」では難易度高いです。
判明したらまた書きます。



話があちこち飛んでスイマセン(汗)



※画像は9期生ご家族、Mさんご提供。Kさんにご教示いただきました。

愛知県出身乙8期生2022年01月11日 11時19分42秒

愛知県出身乙8期生に関しては3年ほど前、7期の山口良一さんの写真を見せていただいたときに一度書いています。
簡単に振り返ると「8期生、ほとんどわかりません、スイマセン」って記事でした。

今日はそのときの記事を再掲&編集して8期生の紹介をします。





7期山口良一さんのアルバムの中に、7期から9期の愛知県出身者の集合写真がありました。
台紙に書き込みがありました。「豫科練 七、八、九期 同県出身者 (卒業時)」。

赤丸が7期生、黄色丸が8期生、青丸が9期生、丸がないのが教員です(わたしがつけました)。



同じく山口良一さんのアルバムに貼ってあった写真。


愛知県出身7期生と8期生集合写真。
時期は不明ですが先日の7~9期写真より古いものです。背後に日の丸が写っているので祝日のようです。
写っている予科練生たちは、つけている階級章が3等航空兵と2等航空兵です。
ということは、8期が3空時代、7期が2空時代の撮影でしょう。
それに該当する時期は12年9月1日~13年7月31日です。一種軍装の時期なので12年9月~13年6月初ぐらいの感じでしょうか。その中の祝日ってぐらいまでしか絞れません。
6期生や9期生が写っていないことを考えると、もう少し時期を絞れるかも。




階級章と顏でわけたところ、愛知県、8期8名、7期5名で間違いないでしょう。
写っているメンバーの顔触れも先日の写真と同じです。
赤丸7期生、黄丸8期生。
今日は8期生の紹介なので黄丸のついている8期生だけ紹介します。
下の画像は左が愛知7・8期集合写真から、右が愛知7~9期集合写真から。

7・8期集合写真の前列左端
阿部一男さん
偵察
16年12月10日  千歳空  ウェーキ方面

「実直で悠長な所があつた。貴様も通信が余りパッとせず、荒井教員から誤字脱字多発者の一人としてリストにのりオヒツプをさすられていたが気立の優しい貴様が可愛想で見るに忍びなかった 麦飯の杯を重ねて行くに従つて要領良くなる者、教員のお汁が不潔であつては申訳ないと昇汞水をお混ぜして配食し奉つりオヒツプをさすられた返礼をする者等豹変するのが常であつたが貴様は終始一貫練習生の本分を全うした」


前列左から3人目
山田美好さん
操縦
戦後生存


前列左から4人目
小出重雄さん
偵察
19年4月1日  攻撃706  南洋群島

「温習時間は俺に幾何や英語を教えてくれた。予科練時代君のお父さんがセーラー服のお嬢さんを連れて面会に来た。(略)」
「豆タンクの異名頂戴、予科練後期俺の班の伍長、皆の無理を良く聞いて纏め役を買つていた」



前列左から5人目
犬塚教市さん
操縦、
19年11月27日  戦闘303  レイテ攻撃  特攻

「貴様は仏像の様に慈悲深い細い眼をし温情を以つて下級生にのぞみ実に同期の模範生だつた。第三神風特別攻撃隊春日隊としてレイテ島攻撃に散かした貴様が女学生の如く素直で温順だつただけに八期のトップを切つて特攻隊員として護国の鬼と化した事に感泣する」


中列左端
北村富佐士さん
操縦、艦爆
19年6月20日  653空  南洋群島

「他人の不幸を吾が事の如く案じて呉れる親切な奴で紅顔の偉丈夫」
「貴様とは佐伯空、翔鶴共に戦い共に遊び仲良く盲腸に罹り入院した事もあつたな、想い出は尽きない 別府市御多福の件とヘボ碁で公認四級のお婆さんに挑戦したものゝ見事に敗れた事、佐伯空水泳競技で活躍した事等々懐かしい」

北村さんは百里原飛練の集合写真にも写っていました。
いずれ紹介する予定です。



中列左から3人目
大野金三さん
操縦、艦爆
15年12月20日  蒼龍  横浜 

「色浅黒く笑うと真白な歯が美しかつた。九九艦爆で同期長谷川進と横浜上空で自爆とは誠に残念至極」
「予科練では同班でハンモックは隣同志、水泳は仲良く赤帽組、最初カッターから二人投込まれた時、貴様は俺の首に必死でしがみ付いて離れず一緒にブクブク沈んだがあの時は此の世ともおさらばと思つた」




後列左から4人目
河野鍖三さん
偵察
戦後生存



後列左から5人目
牧野正行さん
偵察
戦後生存



※画像は7期生ご遺族ご提供、8期生同期生会誌より引用

北海道出身乙8期生2022年01月10日 13時20分26秒


北海道出身乙7期生の遺品の中にあった乙7~9期生の集合写真。

横須賀の予科練庁舎の中庭ですね。
いままでの例から察するにおそらく13年8月の7期生卒業に際しての記念の集合写真だと思います。
少人数の場合は中庭で、大人数の場合は庁舎の玄関前で。
何人までが「少人数」で何人からが「大人数」なのか、正確な基準は把握していません、ざっくりです。

北海道出身の場合、前に座っているのが7期生と8期生、後ろに立っているのが9期生です。
前列は両端2人が8期生で、中の4人が7期生です。


前回紹介したときに7期生と9期生に関しては誰誰さんと紹介できているので、今回はそのとき紹介できなかった8期生に関して。
前列の両端が8期生です。

前列左端。
小山一男さん 
偵察 中攻  
18年11月29日 752空 南洋群島 第4次ギルバート諸島沖航空戦の触接任務 

小山さんは、忍術研究の大家であり、鞍馬天狗研究の大家でもあったそうです。



前列右端。
小山内信夫さん 
操縦 戦闘機  
15年9月30日 大村空 殉職 

小山内さんは頭が丈夫で硬かったそうです。



※画像はMさんご提供。8期生同期生会誌・卒業アルバム参照。

乙9期 隅倉慧さん2021年10月12日 21時01分00秒

2015年の夏、それまでわからなかった9期生のお顔と氏名が一気に解決したのは、隅倉さんが残されていた氏名入り班写真のおかげでした。

隅倉さんは数少ない9期の生存者のおひとりです。

入手した住所にダメもとで手紙を出してみたところ、ふだんそこに住まわれていない息子さんがたまたま行かれてわたしの手紙を見つけてくださったようで。
連絡をくださいました。

残念ながらその時点で隅倉さんは亡くなられていたのですが、息子さんがいろいろよくしてくださってアルバム類を見せてくださったほか、9月には島田直さんのご遺族の方も紹介していただき、墓参にも連れて行ってくださいました。熊本の名所も案内してもらいました。当時はまだ熊本地震前で、熊本城でお月見のお茶会にも参加。


その後、土浦の予科練慰霊祭にも来てくださいました。







隅倉さんのアルバム、氏名入り班写真以外にも興味深い写真がたくさんです。

同期生の個人写真以外にも、実施部隊時代の戦友の個人写真もたくさん貼られています。
9期の方は見ただけでどなたかわかるのですが、実施部隊時代の戦友の方々は「〇〇兵曹」という書き込みだけではわたしにはどなたなのかさっぱりわからないんですよね。紹介したいのですが・・・・。行動調書を見ても姓しか書かれておらず。かろうじて階級がわかったぐらいです。
ちょっとだけ、Kさんご教示でどなたか判明した人がいるのでまた紹介させていただこうと思っています。



今日は隅倉さんご本人。

すみくらさとしさん。

熊本県出身、偵察、水上機。

鎮海空、第11特別根拠地隊、936空、312空、横須賀空。


予科練1学年時。横須賀。
一緒に写っているのは7期の西義武さん。
西さんの階級(1空)から察して、8月15日は卒業式当日でしょう。


これは霞ヶ浦海軍航空隊時代。
14年6月の操偵適性検査。

これも同じく操偵適性検査。班写真。2班。
一種軍装の下士官は予科練の教班長(引率)と思われます。


14年夏。
熊本県民の集い。8期生卒業に際しての送別会のようです。



ペンネントは霞ヶ浦海軍航空隊。
14年12月29日。
前列左と真ん中が12期の田島忠盛さんと吉永博行さんのようです(どちらがどちらなのか不明)。右端は10期の古本克己さん(582空)。
後列左が隅倉さんで右が島田直さん。



想像ですが、習志野演習かな?
ピンボケしていますが、この写真、何がおもしろいって、書き込みによると「林教員」が撮ってくれた写真なんだとか。

「林教員」、島田さんの日記に名前が出てきた林正義教員のことかもしれません。
撮影者がわかる写真ってなかなかないのでおもしろいです。


これは2学年時の班解散会。
これも島田さんの日記に記述がありました。15年6月2日。
前の学年時の班のみなであつまってワイワイやっているところです。




このタイプの写真、偵察専修生だけあります。
3学年時の班の一部かな?
しゃがんでいるのが本間秀人さん。後ろに立っている左から谷村博明さん、植松繁さん、高橋兼春さん、隅倉さん、国本力さん。




1空の階級章をつけています。
善行章はないかな?
小船井写真館の刻印があるので、予科練3学年時(15年)の夏か。




これは鈴鹿の飛練時代。二見の夫婦岩。
一緒に写っているのは同郷の島田直さん。
善行章もついているし、16年の6、7月。




これは特技章が見えないので、もしかしたら任官記念(16年10月1日)かも。
飛練博多時代。



ここからは実施部隊時代。
飛練卒業後すぐ配属された鎮海空時代。



隅倉さんの階級章から17年の夏でしょう。


17年秋のシンガポール。


隅倉さんがどこにいるのかわからんのですが、演芸会の出し物っぽいです。

手拭いをかぶって浴衣着てザルを持っている人がいます。ドジョウすくい?



これは前線の基地かなあ?



これも前線の雰囲気ですね。
搭乗員整列。出撃前か後かわかりませんが。
背後に水上機が写っています。






南方の基地のようです。

隅倉さん、首輪のついたおサルさんを抱っこしています。
隊のペットでしょうか。



18年、936空時代。



20年8月25日 熱海にて
終戦直後です。
兵曹長の階級章をつけています。


9期生は戦没者も多く出しましたが、生き残った人たちもほとんどの人がどこかしら怪我をしていました。
本間猛さんが手記(『予科練の空』)に、
『クラスの飛行練習生卒業者は百九十一名、そのうち戦死者百六十七名をかぞえ、その戦死率は八十七パーセントあまりである。クラスの生存者二十余名も、そのほとんどが戦傷病を受けて、そのために生き残り得たのである。したがって、全戦期を通じて戦傷病にもかかわらず、五体満足で生還し得た者は百九十一名中、三、四名に過ぎない。私は幸いにも、奇蹟的に五体満足で生き残り得た数名の中の一人である』
と書いていますが、隅倉さんもそのおひとりのようです。

途中で兵役免除になっていたら病気だとか怪我だとかわかるときがあるのですが、逆に終戦まで戦われた方は怪我や病気をされたのかされなかったのか、わたしではなかなか把握困難です。
隅倉さんは息子さんが教えてくださったのでわかりました。
あと、もうおひとり、石田さんの息子さんが戦後に会われたことがある9期生存者の方は戦闘で大けがをされていたとのことでした。



隅倉さんの軍服。
士官の二種。
9期の方が実際に着ていた軍服って、初めて見ました。感無量です。




戦後は戦友会にも熱心に参加されていたようで、その際の写真もたくさん見せてもらっています。

二十歳前後の写真はしっかり把握できているはずなのですが、ぶっちゃけおじさんになった9期生は「これ・・・・どなただっ!?」って人が(^^;)
逆に全然変わっていない人もいるんですけどね。隅倉さんは変わっていなかったです。


息子さんは、熊本で9期会があったときに集合場所の護国神社まで慧さんを送って行き、そこで9期の方々と会われたことがあるそうです。
熊本に行った際は、その護国神社にも連れて行ってもらいました。
「おお! ここに9期の方々が・・・・」
とひたってきました。



※画像は9期生ご家族ご提供

乙6~10期の飛練(陸上機操縦)2021年05月23日 14時58分49秒

こんにちは。

飛練関係、以前出した表に8期と10期を加えてみました。
陸上機操縦限定版です。




※クリックしたら拡大します


他にも修正を加えました。
最新版といったところですが、まだ修正するかもしれません。

うすい黄色ベタ塗りが「飛練」時代です。
濃い黄色い枠囲みが機種ごとにわかれての過程です。
赤いマークの説明・・・・山形の印は「善行章」(3年に1線付与)、桜に錨に翼がついているのが「特技章」(一人前の搭乗員に付与される)、丸いのは階級章(この表のものは「三等航空兵曹」「三等飛行兵曹」、下士官に任官したって意味で入れています)。

※5月23日2200追記
8期の延長教育終了の時期を思いきり間違えていました。
(誤)15年10月18日→(正)15年8月31日
表も修正しました。申し訳ありません。






期ごとに説明します。

【乙6期】
飛練は初練・中練を霞ヶ浦海軍航空隊において実施。 ※岩井勉さん『空母零戦隊』文春文庫
飛練卒業の記念写真。13年8月16日ですね。

中練が終わった時点で特技章をもらっています。
乙6の場合の「飛練」はここで終了です。
このあと、機種ごとにわかれて延長教育。





【乙7期】
乙7も霞ヶ浦海軍航空隊において初練・中練教程を実施。 ※七期雄飛会『予科練のつばさ』光人社
残念ながら飛練卒業の記念写真、手元にないんですよ。3月なので6期とは違って一種軍装で撮っているはずなんですけど。

これは飛練時代、霞ヶ浦海軍航空隊の飛行場における記念写真です。
いつ撮影したのかわかりません。教員の飛行服の中に一種の詰襟が見えているので夏季ではなさそうです。


7期も6期と同様、霞空を卒業した時点で特技章をもらっています。
卒業時点の写真がないので、卒業後の延長教育時代の山口良一さんの写真。
特技章がついています。




【乙8期】
8期がいままでほぼ把握できていませんでした。
今回、浅川さんの教員時代の写真の中に8期らしき集合写真があったことから進展しました。

書き込みはなかったみたいですが、飛行服の集合写真に写っている名札に「乙飛」「一空」という文字、さらに数名の方のお名前が読めたことから乙8で間違いなかろうと判断しました。



いままで8期に関しては、大日本絵画『日本海軍戦闘機隊2』エース列伝の巻末に筑波空での初練の集合写真があるのを見たことがあるだけでした。
これは大人数で写っています(スイマセン、数えていません)。
先日からちょっとKさんに甲斐巧さんのことを聞いていて、甲斐さんは中練が谷田部であることもわかっていました。
改めてKさんに確認したところ、8期には中練を百里原でやっている人たちもいるとのこと。

なので、6期7期と様子が違います。6期7期は全員一緒に霞ヶ浦で初練・中練をやっています。
8期は初練は全員筑波空。そして、中練は場所を移動して谷田部と百里原にわかれて。
ということのようです。
しかもこれ、半々、ではなく人数に偏りがあります。百里組は下の写真の通り20名ほどです。残りの大多数は谷田部のようです。


百里原海軍航空隊における8期の一種軍装の集合写真。

15年3月30日。
8期も中練修了時点で特技章をもらっています。



【乙9期】
9期はいままでさんざん書いていますがもう一度ざっと。

9期は6~8期までと違い、初練をやっていません。
予科練を卒業して飛練(飛練10期ですが、ここでは予科練の期「9期」で説明します)に進みいきなり中練からやったそうです。 ※松本さん書簡による

中練は人数を半々にわけて、谷田部と筑波。
中練谷田部組

中練筑波組

上のクラスは中練教程が終わった時点で飛練卒業、特技章付与になっていますが9期は違います。
中練修了後は実用機教程(機種ごと)に進み、これが終わった時点で飛練卒業になり特技章を付与されています。

これは木更津の大型機の人たちです。
16年10月末の飛練卒業時の集合写真。

9期は飛練卒業時点で下士官に任官しています。
貰った直後で仮留めしているだけなのか、浮いています。





【乙10期】
飛練16期ですが、予科練の期「10期」で説明します。

10期もいきなり中練。 ※同期生会誌『とんぼ』
全員で谷田部。
中練修了後はそれぞれの機種にわかれて。

これは久保さんの実用機・宇佐海軍航空隊の修了時(飛練卒業)の集合写真(艦攻・艦爆)。

左袖に特技章がついています。

9期は飛練卒業時に下士官に任官していたのですが、10期は兵階級です。

Kさんご提供の宇佐空の資料(手帳)の中に飛練16期の艦攻・艦爆の人たちの卒業日時が書いてありました。「17.3.31」とのこと。上の写真はその日の撮影でしょう。
偵察の人は同期生会誌に17年2月23日に飛練を卒業したって書いているので(たぶんこの日に特技章付与)、操偵で特技章をもらった日が違うってことでしょうか?



上の表を見たらわかると思うのですが、進級とか特技章付与の時期に一貫性がないです。
善行章(入隊3年目)より先に特技章をもらっている期があったり、9期は特技章より先に下士官に任官していたり。
一期ごとに覚えないといけないということですね(^^;)
覚えられないので一覧表にしてみたんですけどね。


あの表に、全員でやったとかわかれてやったとか、どこでやったとかそういう情報も加えたかったのですが、かえって煩雑になりわかりにくくなりそうだったので今回はやめて文章で説明しました。
いずれそういう情報も加えた表を作りたいです。
読むより見てわかる方が楽ですよね。



※画像は7期生・9期生ご遺族、浅川さん・岩井さんご家族、久保さんご提供
※肝心なところはほとんどKさんご教示