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京都府出身者集合写真5~7期2019年05月23日 08時00分29秒

京都府出身者5~7期の集合写真のようです。


階級章がほぼ見えません。時期不明。
7期の日下部さんが写っているので、11年6月よりはあとですよね。
7期入隊から5期卒業までの間・・・・と漠然と。


前列左から
相根勇一さん(5期) 戦闘機
17年10月11日  ソロモン  6空

教員二人を挟んで
不明(5期)

日下部三郎さん(7期)
15年6月3日  15年5月12日基地移動に際し漢口基地北方4浬に不時着、重症、病院にて死亡  13空(『予科練のつばさ』)


後列左から
川崎正男さん(6期) 戦闘機
17年10月26日  南太平洋  瑞鳳

水口亭三さん(亨三さん?)(6期) 偵察


岩井勉さん(6期) 戦闘機
戦後生存

佐々木裕二さん(6期)
18年8月25日  ソロモン  飛鷹





前列の右から2人目の方、人数的には5期の方だと思うのですが、どなたかわかりません。
名簿上では京都の5期は、
相根勇一さん
中村宗十郎さん
森国男さん
山本義一さん
と、4名いらっしゃるようなのですが、上の集合写真ではっきりお名前がわかる5期生はお一人です。お顔から相根勇一さんだろう、と。
残る5期3名に対して写真はあとおひとり。
3名のうちのどなたかでしょうが、どなたなのかわかりません。
※追記・・・・山本義一さんは「三重」となっているものがあるそうです(Kさんご教示)


※画像は6期生ご家族ご提供

乙7~9期 広島県出身者集合写真2019年04月05日 13時01分54秒

渡邉邦夫さんの遺品の中に乙7~9期の広島県出身者の集合写真がありました。
7期卒業に際して撮られたもの。
7期生も8期生も2空の階級章をつけています。この2クラスが同時に2空だったのは13年8月1日~14日までの間。その間の撮影だと思われます。



うちにある7~9期の名簿類って、『予科練外史』、『予科練のつばさ』(7期)、7期卒アル、8期同期生会誌、『九期生名簿』、予科練名簿(知人Aさん作成)なんですが。

広島県出身者が何人いるか? 資料によって微妙に違っているんですよね(^^;)

あとでちゃんと書きますが。


とりあえず照合してみました。
リンクが貼ってある人(下線のある人)は個人ページがありますのでそちらをご覧ください。

わかりやすいところから。9期。4列目左から。


上原定夫さん 戦後生存






3列目左から


ここに写っている9期生は以上です。9名。
9期生存者が戦後に編集した「九期生名簿」では畑中嘉夫さんも広島出身ということになっているのですがここには写っていません。
が、畑中さんは『予科練外史』では岡山出身になっているので、そちらの集合写真に入っているのかもしれません(岡山出身者の集合写真は見たことがない)。

『予科練外史』といえば、そこでは大畠久利さんと柳川健さんも広島出身になっていますが、この集合写真には写っていませんね。
大畠さんは戦後の『九期生名簿』では和歌山になっているので、そちらかも。
柳川さんは・・・・途中で辞められているので詳細不明です。が、13年の8月にはまだいたはずなので、写っていないのは「?」です。




次、7期。
知人作成の予科練名簿では12名です。
これは山口良一さんの卒業アルバム(全員の氏名入り個人写真あり)があるので照合してみました。自信は・・・・あまりないです。異議は受けつけます。

中島勇壮さん 偵
16年12月10日 鹿屋空 マレー沖海戦


中川紀雄さん 操
20年4月7日 攻撃第一飛行隊 南西諸島方面 特攻

森田稔さん 操
17年2月3日 3空 蘭印方面
まったく同じ日に9期の森田勝さんも3空で戦死されています。勝さんは戦闘機ですが、稔さんの方は陸偵の操縦員です。行方不明。

教員

佐々木利照さん 操

神田忠美さん 偵
17年2月1日 横浜空 南洋方面

田中実さん 偵
18年4月18日 705空 ソロモン諸島方面
山本長官機が撃墜されたときの主偵察員。

2列目左端。
中山澤雄さん 偵
17年9月16日 東港空 ビスマルク諸島方面

そこから少しとんで・・・・(間は8期生だと思います)

2列目右から2人目。
島津勇さん 偵
15年12月25日 舞鶴空 飛行訓練中殉職

2列目右端。
野田栄作さん 偵
戦後生存

右上の特別枠。左。
檜垣英次郎さん 操
18年11月8日 翔鶴 ソロモン群島方面

右。
田坂要さん 操
16年5月 海軍病院にて戦病死

写っているのは12名。予科練名簿と一致しています。卒アルも12名です。
たぶん7期生は全員いると思うんですよね。
わざわざ特別枠を設けて貼り込んでいるので。
ちなみに他県の中には主役の7期生でも不在のまま卒業記念写真が作られてしまったところもあります(静岡とか)。
『予科練のつばさ』では岩本秀雄さんも広島と書かれていますが、ここには写っていないし、卒アルでは山口になっているんで、そちらが本籍と思われます。


あと残っているのが8期生だと思うんです。
2列目左から2人目から。







3列目左から3人目から。


後藤元さん




8期生は予科練名簿によると11名いるはずなのですが、ここに写っているのは10名ですね。
どなたがいらっしゃらないのかわかりません。松本栄治さんが8期生同期生会誌で福岡になっているので、松本栄治さんがここに写っていないのかもしれません。
予科練名簿の8期11名は、
池田高三さん  17年6月5日 飛龍 ミッドウェイ  ※9期清水巧さんの戦死時のペアの操縦員
大本三千人さん  17年2月1日 千歳空 南洋  
            ※「大木」と書いていましたが「大本」でした。
            ※9期植田武雄さんが戦死されたときのペアの主電信員でした
太田政富さん  17年6月5日 高雄空 蘭印方面  ※大田さんかも
岡崎繁雄さん  戦後生存
唐川集次さん  19年6月15日 521空 南洋群島
北村利秋さん  17年10月14日  751空 ソロモン
後藤元さん   16年12月8日 赤城 真珠湾攻撃
真田光雄さん  戦後生存
原晃さん     19年6月19日 761空 南洋群島
松本栄治さん  15年2月27日 鹿島空 伊勢湾にて殉職(飛練中)
松本久さん   16年1月10日 龍驤 岩国

後藤元さんだけは辺見じゅんさんの『戦場から届いた遺書』(文春文庫)に顔写真が出ていたので、それをもとに照合しました。たぶん、上の練習生が後藤さん。

8期生の同期生会誌にはもうひとり広島出身者としてお名前が挙がっている人がいるのですが、「免役帰郷後消息不明」と書かれてあり、13年8月の段階で予科練に在隊していたのかどうかすらわかりません。写っているのか、いないのか?

大本三千人さんは、生存者、戦没者、消息不明者いずれにもお名前がなく詳細不明です。
※Kさんからの情報提供で判明しました






7期卒業時の県別集合写真、現時点で茨城、静岡、熊本、長野(中庭)、愛知(中庭)、広島・・・・と見ることができました。
全部、見たいです。道のりは遠いけれど・・・・(^^;)


※画像は7期生ご遺族ご提供
※Kさんからの情報提供で追記・修正しました(4月6日)
※再びKさんからのご指摘で追記・修正しました(4月6日)

乙7期 渡邉邦夫さん2019年03月24日 13時57分33秒

去年、乙7期の山口良一さん(愛知)のご遺族の方と交流ができまして。

山口さんのご遺族の方が同期の中攻偵察員の渡邉邦夫さん(広島)のご遺族の方とつながりができてお墓参りに行かれるというので、

「一緒に連れて行ってもらっていいですか・・・・?」

図々しくてスイマセン(汗)

両家に快諾していただき、今回、わたしまで墓参させていただけることに。



山口さんのご遺族の方がどうして渡邉さんに連絡を取られたのかというとですね・・・・。
山口さんの日記に渡邉さんが登場するんですよ。
実施部隊時代、同じ中攻乗りということで親しくされていたみたいでした。
わたしも日記の写メを一部送ってもらっているのですが、そこに「十五空の渡邉」として登場していました。





17日、お昼過ぎ、尾道駅で山口さんご一家(←実際の姓は「山口さん」ではありません。便宜上「山口さん」で)と合流。山口さんは前日から広島・宮島方面をまわっておられて、この日はレンタカーでわたしを拾ってくださったのです。

渡邉さんちまでの道中も山口さんちのボク(今度小学入学)と「鬼太郎」の話で盛り上がって楽しかったですよ~

帰宅後、その話を春海(今度高3)にしたら、

「(わたしと)話、合いそうやな」

って笑っていました。次回はぜひ(笑)




ご自宅近くまで行ってちょっと(?)迷ったんですがー(;^ω^)

なんとか無事到着。

邦夫さんの弟さんご夫妻、その娘さんが迎えてくださいました。
わたしはお目にかかるのはもちろん、話をするのも初めてだったのですが(連絡はすべて山口さんにおまかせしていた)、そうは思えないほどフレンドリーに迎えてくださいました。

おうちは築400年近くの旧家でした。邦夫さんが育った家。
↑囲炉裏、弟さんが手作りしはったそうです。

お抹茶が出てきて、戸惑う・・・・(^^;)
(さすがに撮れませんでしたー( ;∀;))




お仏壇にはこの写真の邦夫さんが遺影として飾られていました。
左は邦夫さんのお父さんです。

「遺影は亡くなった順番です」
と説明を受けました。
ご両親より邦夫さんの遺影が先に飾られていて、何とも言えない気持ちになりました。
島田さんの墓参に行ったとき、墓石に建立者としてお父さんのお名前が刻んであり、それを見たYさんが、
「子どもの墓を建てないといけない親の気持ちを思うとね・・・・」
とつぶやかれていたのを思い出しました。
渡邉家や島田家に限ったことではないですけどね・・・・。
邦夫さんのお葬式のときのお父さんの写真も残っていました。


邦夫さんの遺品もあらかじめ並べて下さっていました。
軍刀と短剣。
あと、右の方には徽章・勲章類があります。

軍刀は、当時ご実家に何本もあった刀のうちから、邦夫さん自身が選んで拵えをつけて持って行ったものだそうです。
短刀は・・・・海軍士官の短刀ですね。戦死されて飛曹長に進級されたので、それで遺品として戻って来たのでしょうか。


17年1月22日  元山空  シンガポール攻撃


マレー沖海戦にも元空から索敵隊として参加されていて、ご実家に山本長官の感状があったそうです。現在、所在不明。

これは当時元空の整備員をされていた藤本速雄さん(のち戦闘機)がお持ちだったものです。これと同じものが渡邉家にもあったそうです。
この文章を弟さんはそらんじていました。



ご実家にいるときに邦夫さんが使っていた机がいまも残されていました。
弟さんが受け継がれたそうです。




山口家の方々が渡邉家の方々と歓談されている間、邦夫さんの写真もスキャンさせていただきました。
これは予科練の操偵検査でしょうかね。
7期の操偵検査がいつなのか正確には知りませんが、11年入隊なので、12年ですよね。9期と同じだとしたら5月とか6月とか。

横須賀海軍航空隊。
左の人はどなたかな? 7期生で探しているんですが、現時点では見つけられていません。
時期はわかりません。左の人の階級章が2空だと思うので、もし同期生だとしたら13年の春かな。
桜ですよね。

これはご家族(きょうだい)写真ですね。
邦夫さんが抱き寄せているのが今回対応してくださった弟さんです。
後ろは邦夫さんの妹さんたち。今回の邦夫さんの写真も、妹さん所有のアルバムに貼られていたものです。

邦夫さんのペンネントは呉海軍航空隊。特技章がついていてまだジョンベラ(下士官任官前)なので、14年の夏かな?


こちらはすでに三空曹に任官しているので14年11月1日から1年の間ですね。軍服が2種なので、ということは15年夏ですか。



戦友と。
中央の人と右の人はどなたかわかりません。
渡邊さんの階級章が写っているのですが、よく見えないんですよね。2空(飛)曹か1飛曹かな?
写真館の刻印もなく、時期・場所ともに不明。

他にも予科練に入る前の邦夫さんや、予科練時代の集合写真もありました。
予科練時代の集合写真に関しては別に書きたいと思っています。



ご自宅からすぐのところに渡邉家の墓地があり、そこに邦夫さんのお墓もありました。
お参りさせていただきました。

そのあと、近所のお社にも案内していただきました。
境内は子どもたちの遊び場ですよね。

秋祭りがあるので、ぜひまた来てください、と誘っていただきました。

この人、図々しいからホントに来ちゃいますよ?(笑)



実はですね。
山口家の方々が帰られたあとも、わたしだけ残っちゃったんですよ。
「娘が福山の方まで帰るので、福山駅まで一緒に乗って行ってください」
「えー? いいんですか? じゃあ・・・・」
図々しすぎー!(゚∀゚)

しかし残ってよかったです。
見ていただこうと思ってパソコンに入れて来ていた渡邉さんに関する資料(Kさん)や写真など、見せないまま山口さんご一家と一緒に帰ろうとしていたんですよ。
引き留めていただかなければ、その場で見ていただけないところでした(帰宅後USBに入れて送りました)。


7期卒業時の総員集合写真(9期池田和義さん遺品)などは、PC画面で拡大して見ていただいたらすぐに、
「あ! これだ!」
と見つけてくださいました。
お一人お一人が小さいのでけっこう難易度高い写真です。わたしはまだ数人しか特定できていません(^^;)



帰りは娘さんに福山駅まで車で送っていただきました。

このあと、どこをまわるんですかー、って話になって、考えている予定を話したところ、

「今回、鞆に行かれないなら機会を改めてぜひ。案内しますよ」

と言っていただきました。

この人、図々しいからホントに来ちゃいますよ!(゚∀゚)





今回はホントにホントに山口家の方々にお世話になりっぱなしで。事前の打ち合わせも移動も、全部おまかせしてしまいました。
渡邉家の方々にも、初対面にもかかわらず歓待していただいて感謝感激です。
お世話になりました、ありがとうございました。

乙9期 篠原藤市さん2019年03月01日 09時26分51秒

静岡県出身。
偵察、中攻。

篠原さんは入隊前の一部の東日本出身者の集合写真に写っていました。


氏名入り班写真。1学年時は14班。


辻堂演習。







静岡出身なので、池田和義さんと一緒に静岡県出身者集合写真にたくさん写っています。









艦務実習、山城。

卒アルの偵察専修生たち。みんな、楽しそうです。

篠原さんはアコーディオン?を持ってご機嫌。


【飛練鈴鹿】
操偵検査かと思っていたのですが、これは鈴鹿かな?
池田和義さんの遺品の中にありました。
鈴鹿だとしたら、どこで池田さんの手に渡ったのかな? 手紙のやり取りでもしていたのかな?

篠原さんのお名前、「ふじいち」という説(?)もあったのですが、この写真には「T.Sinohara」と書かれています。
この手のサインは自筆だと思うんですよね・・・・。
仮に持ち主の池田さんが書いたとしても、同期・同県人であり下のお名前の読みはわかっていたはず。
ということは、「とういち」さんなのでしょうか。



実用機飛練は宇佐。
なので写真はありません。


【大型機講習木更津】




「おもいで」
攻撃精神旺盛、八期の篠原さんも下級生指導には熱心だったが、九期の篠原君も「オイ!!ちょっと待て!!!」は嫌な方ではなかったな。

よく肥えた色白な丸顔。ラグビーのボールを握った姿はもう見られない。

海道筋の侠客然とした、巻き舌でしゃべりまくっていたな。

あの肥った体がよくも動いたものだ。大人の風格があったね。




実施部隊は鹿屋空、木更津空。

鹿屋空時代に、南方から予科練の倉町先生に宛てた寄せ書きには、

夕べに南十字星を戴き、朝たにリラの花を眺め乍ら、殉皇の二文字に生きる男
                                            篠原藤市

『予科練外史』に現物の写真が出ています。






17年9月12日  木更津空  ソロモン





篠原さん(主電)が戦死したときのペアの主偵察員は7期の山村孜さんです。
同じ静岡県出身。
13年8月、7期卒業に際しての静岡県出身者(7~9期)集合写真。

山村孜さん。前列右から2人目。


行動調書には、
爆撃直後グラマンノ機銃弾命中 左燃料「タンク」ヨリ発火自爆ス


7期同期生がまとめた『予科練のつばさ』山村さんのところには、
ガダルカナル飛行場攻撃のさい同地上空において敵機と空戦 自爆
と書かれています。


※画像は9期生ご遺族、ご家族ご提供

訂正です2019年02月15日 07時53分29秒

昨日の今日で申し訳ありません、訂正があります。

昨日出した7期西義武さんのところに書いた、7期飛練の件です。


陸上機専修班の集合写真に西さんが写っていない、ということを書いて、


Kさんによると、7期飛練は13年8月15日、操縦専修生たちは水上機・陸上機ともに霞ヶ浦航空隊に入隊し、13年12月15日に水上機班だけが鹿島空に移動したらしいんですよね。おそらく初練を陸上でやって、中練から水上機で、ってことなんでしょう。


と書いているんですが。

Kさんによると、12月15日に水上機班が鹿島空に移動したのは初練から中練に移行したためではなく、鹿島空が新設・開隊されたための移動、だそうです。
申し訳ありません、訂正します。



9期に水上機操縦がいないので、水上機操縦専修生たちがどんな飛練時代を送っているか、よくわかっていないところがあります。
まず、どの時点で陸上機と水上機に分離したのか?
飛練の最初から分離していたとすると、この集合写真は12月15日よりもっと早い時点での撮影かも知れません。
写真からだけではわからないです。襟にモフモフの毛皮?をつけているので寒い時期かなとも思うし、軍帽に白いカバーをつけている下士官(教員?)もいるので夏季に近い時期かなという気もするし。
ちょっとわかりません。


とにかくこの写真には西さんが写っておらず、撮影時点ですでに偵察に移っていた可能性が高いってことです。
予科練卒業後すぐに偵察に移ったんだろうか?



予科練は最初の一年ほどは偵察操縦関係なしの教務が組まれていますが、一年が終わる頃に操偵適性検査というものをやって練習生の偵察・操縦の適性を見分け、二学年からは偵察分隊・操縦分隊に別れて教務を受けます。7期生で約1年、9期生で約1年3か月、偵察員になるための教務、操縦員になるための教務を受けているんです。予科練中はまだまだ一般の学科が中心とはいえ、分隊を分けているからにはそれなりの教育をしています。


西さんの件で、1年間操縦員になるための教育を受けていた人に急に飛練から「おまえ偵察に行け」ということがありえて、しかも適応できてしまうんだなあ、とかなり驚きました。