都祁山口神社 都祁水分神社 ― 2022年10月16日 13時58分48秒
昨日は都祁で神社をまわってきました。
都祁――「つげ」と読みます。
以前は都祁村と言ったのですが、いつの間にか奈良市と合併していました。なのでいまは「奈良市」です。
都祁山口神社。
説明は丸投げ(笑)
山口神社は奈良県内に何か所かあります。
行ったのはここだけみたいですが(過去ブログ)、調べたらまだまだありますね。
よし、行くぞー(・∀・)
山口神社の鳥居の横を用水路みたいな川が音を立てて流れていました。
あとでビックリしたんですが、この川、じつは・・・・。
それは後にまわすことにして、先にお参り。
本殿の右側にちょっと小高い丘のようなところがあって、磐座があると書いてあったのですが、
いつもならどれどれとお参りに行くところなんですが、今回は石段を二、三段あがったところで、
「やめとこ」
となって、行きませんでした。
お参りを終えて鳥居のところまで戻ってきたら、鳥居の下あたりの玉砂利に動物の足跡らしき凹みが何か所も。
来たときは気づかなかったんですが。
見た瞬間、イノシシだと思いました(姿は見ていないです)。
犬の足跡には見えませんでした。
これ、神社の前の道のわきなんですけどね。
「もしかして、ここ、イノシシ出るっ!?」
神社周辺の道が狭そうだったので公営駐車場に車をとめてそこから歩いて行ったのですが、その道中も田んぼと道のあいだに何やら柵が(^^;)
出るんですかね、アレ(^^;)
出ても不思議はなさそうな雰囲気はありました。
じつはわたしの職場は大阪府某市のけっこう町中のはずなのですが、一時期「イノシシ出没注意」のメールが来たり、看板設置があったりして、通勤時はやぶでガサッと音がするだけでびくびくしていました。
ちなみにうちの職場の中、こんな感じです(笑)
町中のうちの職場ですら「イノシシ注意」なので、都祁だと出ても不思議はないです。
(いなかったらスイマセン💦)
まあ、そんなわけで、早々に退散というか、用心しつつ車に戻り、次の目的地へ。
都祁水分(つげみくまり)神社。
水分神社も奈良県内に何か所かあります。
葛木水分神社と宇陀の水分神社は行っているはずですが、なんかこのブログ、検索しても出てこないんですよね。
行ったけど書いていないんかな?(´・ω・`)
説明はいつもの丸投げ。
すごく清々しい境内でした。
爽快というか、すっきりした気分になる神社です。
都祁山口神社の周辺もここもトンボがたくさん舞っていました。
パパは頭のてっぺんに止まられました(笑)
画像がなくてスイマセン<(_ _)>
水分神社の方は、道は狭いけどうちの車でも進入できて、境内の駐車場にとめられました。
今回行った都祁は大和高原と呼ばれる県北東部の高原地帯です。
都祁水分神社はもともと都祁山口神社の場所にあったそうです。
都祁山口神社の写真で、用水路みたいな小さいな川の写真があったでしょう?
帰ってきて気づいたのですが、もしかして、あの”用水路”が木津川につながっているのか!?
ちょっと拡大。
あの細い水路が布目川になって、やがて木津川に合流、それが淀川に合流して大阪湾にそそぐ・・・・ってことですか!?※
みくまり、ってことは分水嶺ってことです。
すぐ近くに大和川の源流もあったみたいです。
それも帰ってきて気づきました。
大和川は三輪山をぐるっと迂回して大和盆地を抜け、奈良県(香芝市)大阪府(柏原市)境の山のあいだを抜けて大阪平野を抜けて大阪湾へ※。
※古代は河内湖へ
どちらも古代の政治・交易にとって欠かせない交通路です。
北まわりの木津川ルート。
南まわりの大和川ルート。
それぞれのルート上にはその地を押さえている集団がいて、栄枯盛衰のドラマがあったことでしょう。
その2つの川の源流がこの都祁の地にあると。
もっと真剣に周辺をウロウロしてくればよかった、と帰ってきてから思ったのでした(^^;)←イノシシコワいヒト
キンモクセイ ― 2022年10月17日 22時37分34秒
いつの間にかキンモクセイが満開になっていました。
いい香り。
秋が来たなあと実感します。
みなさん、『鎌倉殿の13人』見ていますか? ※以下『鎌倉殿』
昨日は『穏やかな一日』というサブタイトル回でしたが、全然穏やかじゃなかったですね。わたしは見ながらずっと心がかき乱されておりました(^^;)
本来脇役であるはずの実朝が主役というか、かれの心情を軸に一日が過ぎるというか。
かれは若くして命を落とすことが決まっているので、三谷さんの、かれに対する哀惜を含んだ回だったのかな。
ところで、わたしは『鎌倉殿』を見ながらとっても気になっていることがあります。
たぶん、ブログをずっと見ている人は、それを聞いたら、
「あー、ママのやつが目をつけそうw」
って思うんじゃないかな(^^;)
烏帽子です。
気になりません?
今日はもう遅いので、何が気になっているのか、また今度書きます。
鶴岡八幡宮の大イチョウ。
昭和13(1938)年6月 鶴岡八幡宮 9期鎌倉行軍
2014年1月
2010年に大イチョウは台風で倒壊してしまいましたが、わたしが参拝した時は倒壊したあとに若木がちょろっと育っていました。
2017年にはこんな感じに。
※画像は9期生ご遺族ご提供
『鎌倉殿』 烏帽子視点 ― 2022年10月18日 14時31分30秒
昨日のブログにちょろっと書いたのですが、最近、『鎌倉殿』を見ながら烏帽子が気になっています。
いつものことなんですが、集団の中で装備の違いが目につくと、
「なんで? 何が違うの? 何を表しているの?」
ってのが気になってしかたがないんですよ。
海軍航空隊で言うと、練習航空隊の人たちが左腕に巻いている腕章が気になったり、救命胴衣の股間の紐の結び方が違う人がいる、なんで????みたいな(^^;)
それと同じノリなんですが、
「鎌倉武士が頭に乗っけている烏帽子。あれは身分を表しているんだろうか? いつも同じ形のものをかぶっているのか、場面場面で使い分けるものなんだろうか?」
いろいろ検索しまくっているんですが、結論から言うとよくわかりませんです。
ちなみにわたし、文学部史学科卒を自称していますが、鎌倉時代なんかまったくの門外漢で、大学4年間のうち鎌倉時代にかすったのはアルバイトで某遺跡を発掘したとき鎌倉時代の屋敷墓が出てきて、真っ黒に変色したご遺骨さんと対面した、あのとき一度きりです。
わたしはまったくそのご遺骨さんにはかかわらせてもらえず、ベテランの調査員の人が毎日長時間、墓壙に渡した板に寝そべって対面状態でご遺骨さんの図面をとっていたのが印象に残っています。
いちおう、『鎌倉殿』の公式サイトに載っていた考証担当の佐多芳彦先生(立正大学教授、中世史)の文章を引用させていただきますね。
まず貴族たちは「立烏帽子(たてえぼし)」が日常着の際のスタンダードなかぶり物です。そのうえで、武士たちはそれよりも格が低い、身分が低いわけなので、その一家の頭領は「立烏帽子」、それ以外はちょっと畳んだ「折烏帽子(おりえぼし)」とか「侍烏帽子(さむらいえぼし)」をかぶるという史実に即した設定にしています。なぜ「折烏帽子」かというと、畳んであるところに髻(もとどり)をぎゅっと中に入れている。つまり、ちょっと動きが激しくても烏帽子が取れないんです。馬に乗ったり戦に行ったりする際は、さらにそこにひもをかけます。「頂頭掛(ちょうずがけ)」というんですけど、ひもをかけて顎の下で結び、烏帽子を固定するわけですね。でも、一家の主人はそこまで動きが激しくないわけなので、貴族と同じ「立烏帽子」をかぶるということにしています。
史実をベースに、佐多さんがこの基本で衣装の考証をしていると解釈していいんでしょうかね。
要するに烏帽子は身分表象。
これを見たら高貴な人、あるいは一家の中でえらいヒトかどうかわかるってことですよね。
※実際にそうなのか、『鎌倉殿』でそういう設定にしているだけなのか、それはわたしにはわかりません(現在調査中)
『鎌倉殿』を見ていると、初代鎌倉殿の頼朝、2代目頼家、いまの実朝、みなさん立烏帽子です。
鎌倉殿ですからね。
(右:実朝さん、立烏帽子が折れていて乳母に叱られるの図)
はて? 2代目、3代目は登場時から鎌倉殿=立烏帽子で違和感なかったけど、頼朝は流人時代があるぞ。そのときはどうだったかな?
と思って見返してみると、流人時代も立烏帽子なんですよね。
女装して逃げるときは折烏帽子っていうんですか、小型の烏帽子をかぶっています。立烏帽子のまま女ものの着物をかぶったらとんがりすぎですぐにばれます(笑)
御曹司ってことで立烏帽子着用だったのかな。
たしかに流人なのにエラそうでしたもんね(笑)
折烏帽子って、これのことだろうと思うんです。
佐多さんは一家の頭領は立烏帽子、それ以外は折烏帽子と言っているので、そういう視点で見ると、小四郎が―――おやじさんを追放して北条家の頭領になったとたんに衣装が黒くなったと話題になっていましたが、同時に烏帽子も折烏帽子から立烏帽子に変わっているんですよ。
ちなみにおやじさんの時政さんは立烏帽子でした。
追放されたいま、どんな烏帽子をかぶっているのか気になります。
で、気になって気になってしかたがないのか、「一家の頭領は立烏帽子」設定のはずなのに、三浦義村も和田義盛も八田知家も折烏帽子なんですよ。もうお亡くなりになられましたが畠山重忠殿も折烏帽子でした。
ちなみにいま立烏帽子をかぶっているのは、鎌倉殿、義時、大江広元、源仲章(このふたりは京由来)ですかね。他にいるかな?
気にならんですか?
立烏帽子の人と折烏帽子の人がいるの。
北条家だけ特別なんだろうか?
そもそもどんな烏帽子をかぶるか、誰が決めるのか。
決まりがあって、それにのっとっているだけなのか。
これら疑問、まったく何も解決しておらず、ただただ、
「(鎌倉殿以外)どういう人が立烏帽子で、どういう人が折烏帽子なーん????」
と思いながら見ている、ってだけの話なんですけどね。
ちょっと余談ですが。
善児とか鶴丸みたいな武士という範疇から外れているような人たちもかぶり物をしています。
烏帽子の簡易版みたいな、くしゃっとした帽子をかぶっています。
武士は烏帽子を寝るときも絶対取らない、頭見せるのは恥、みたいな概念があったそうなので、庶民も似たような感じでかぶり物取らないいんでしょうかね。
で、気づきました?
鶴丸が義時から諱をもらって平盛綱になったでしょう?
あの直後にあった弓大会の場でのかぶり物が折烏帽子になっていたの。
まだ御家人ということではなかったけど、泰時の個人的使用人みたいな立場から北条家の家人になったということなんだなと思いながら見ていました。
烏帽子、おもしろそうですよ。
素材とか構造とか種類とか変遷とか、いろいろ見てみたいなあ。
これからもさらに烏帽子に注目して楽しみたいと思います。
TsuTsuMu レアチーズ大福 ― 2022年10月19日 23時08分47秒
阪急梅田と大阪メトロ御堂筋梅田駅の地下連絡通路の途中に、レアチーズ大福のお店ができていました。以前、ブルージンというイロネコパンのおみせがあったところです。
ブルージン、コロナ禍のあいだになくなっちゃいました(T_T)
数日前から気になっていた新店舗、今日、ちょっと寄ってみました。
大福は8種類あったかな?
1つ300円前後でした。
6つお買い上げ~♪
冷凍で渡してくれました。
家に帰ったときまだ硬かったので、3つは冷蔵庫に、3つは冷凍庫に入れました。
冷蔵庫に入れた3つは今晩のおやつになりました。
栗とシャインマスカットとみかん。
うちは味違いを買って、みなで分けるスタイル(^^;)
求肥、やわらかかったです。
中のジャム?もそんなに変な甘さじゃなく、クリームチーズもおいしかったです。ちょっとヨーグルト感もありました。
1つの味がこの量なので、「もっと、もっと」みたいな、多少欲求不満気味で終われるのがいいんでしょうね(笑)
残り3つも楽しみ~(*´▽`*)
肉屋の店員さん ― 2022年10月20日 11時39分21秒
昨日、帰宅途中にある肉屋さんで買い物をしました。
最近できた肉屋です。
会計のときに店員さんに、
「何回か来てもらっていますよね?」
と言われました。
そうなんですよ。
初めてじゃないです。
たぶん、この店員さん(♂)は2回目で、あと2回ほど、若い女性の店員さんが接客してくれました(そのときはこの店員さんはいなかったと思う)。
2回しか会っていないのに、なんで覚えられているのか?
わたし、別に奇抜な格好しているわけじゃないですよ。
ふつーのおばちゃんです。
「鳥の巣みたいな頭で覚えているんじゃないの?」
ってご意見もあろうかと思いますが、髪型はその都度違います。
おまけにマスクもしていますしね。
うちの上司なんか、
「マスクのせいでヒトの顔が覚えられない」
といつもぼやいています。
さすが接客業の人はマスクがあっても一度来た客のことは忘れないのか。
と言いたいところですが、自分ではどうして覚えられてしまっているのか、心当たりがあります。
ここ、高級牛肉店みたいなんですよね。
(ネットで調べた)
で、わたしがこの店でいつも買っているのは、マカロニサラダ1パックのみです(爆笑)
けっこうな量なのに198円、激安なんです。
薄味で自分で調整できるのもいい。ドレッシングかけたり、マヨネーズ追加したり、胡椒ぶっかけたり。
うちは生野菜サラダに追加でのっけたりしています。
マカロニサラダなんですが、フィジリとペンネのミックスなんです。パパがそれもお気に入り。
というわけで、たぶん、にーちゃんは、
「うち(高級牛肉店)でマカロニサラダしか買わない人」
って覚えているんだと思います。