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朗ラカニ緊張シテ2018年10月09日 09時36分54秒

岡本清見さんが予科練卒業時の寄せ書きに書いていた「朗ラカニ緊張シテ」

このことば、いっけん矛盾しているようにも感じ、ずっと気になっていました。

でも、よく考えるとよいことばです。
とくにかれが軍人さんであることを考えると。

岡本清見さん。卒アルから



「朗ラカニ緊張シテ」

このことばの出どころが6年越しでわかりました。

島田清守さんの日記に書いてありました。

14年3月6日(月)の日記。
3月1日に予科練は横須賀から霞ヶ浦に移転したばかりです。
「本隊司令ノ移動ニ際シテノ訓示ガアリタ」
『予科練移転ニ際シ一言訓示ス 諸子ノ元気溌剌タル 諸子ヲ本職ノ部下ニナリシ事ハ本職ノ喜ビタエナイ所デアル 又不完備ノデ諸子ニ対シテハ非常ニ気ノ毒デアルガ其ノ所ヲ忍ンデモライタイ。本職着任来本隊ノ標語トシテ致ルハ「朗ラカニ緊張シテ 親切ニ協力一致」テイル 諸子ニ移転ニ際シマズ此ノ言葉ヲ送ル(後略)』(ママ)

当時の霞ヶ浦海軍航空隊司令は大野一郎さん(海兵38期)です。
9期が霞空に移って来たときは「本隊司令」とだけ書かれていて階級はわかりませんが、翌年10月16日、厦門方面司令官として転出・退隊された日の日記には大野一郎少将と書いてあります。

この方です。9期卒アルから




島田さんの日記を読んで、

「あー、岡本さんが寄せ書きに書いていたことばはこれだったのかー」

と、やっとのどにつっかえていた魚の骨がとれたような気分になったのでした。



ちなみにわたしは好き嫌いで魚を食べませんが、食べられなくなった原因は幼少時(2、3歳?)に魚の骨をのどに引っ掛けて苦しんだ経験からだと思っています(´・ω・`)
わたくしごとでスイマセン。


※画像は9期生ご遺族ご提供

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