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35空の9期生 22014年09月20日 10時59分20秒

前回紹介した、おそらく35空の9期生4人。
※のちに池田さんは33空と判明しました
http://papamama.asablo.jp/blog/2016/05/27/


左から田中茂雄さん、和田邦介さん、池田和義さん、村田耕一さん。

この写真の右下に、写真館の刻印が押してありました。



「佐伯 宇和」

大分県佐伯市にあった宇和写真館です。

ちょっと調べてもらったら(また他人頼り(^^;))、建物自体は残っているけど、写真館はもう廃業しているようだ、お店の人も住んでいる様子はない、とのことでした。

船頭町(せんどまち)という古い商店街みたいなところです。
ストリートビューでうろうろしたら、古そうな旅館や商店がありました。

佐伯の駅と航空隊を結ぶルートからはちょっと離れた場所です。

たまたまこの辺をウロウロしていて見つけた写真館に飛び込みで入ったのかとも思いましたが。
どうもそうではないようです。
乙6期の戦闘機の某さんの飛練時代の写真を最近見せてもらう機会がありました。教員と練習生9名が写真館で撮った記念写真です。その写真の右下にも宇和写真館の刻印が押してありました。
海軍航空隊の御用達だったのかも?



この近辺の旅館に下宿している搭乗員もいたのかもなあ・・・・と想像したり。


田中さんが村田さんに寄せた「おもいで」に、
「佐伯での最初の下宿生活では君が一番モテルのでみんなを羨ましがらせたものだ」
と書かれていたのを思い出しました。



池田さんのアルバムには、他にも宇和写真館の刻印のあるものがありました。
池田和義さん

村田耕一さん

田中茂雄さん



和田さんだけが宇和写真館の刻印のない個人写真が貼られていました。


上の3人の個人写真、もし、4人一緒に撮ったときに一緒に撮影されたものであるなら、和田さんも撮っているはず。

ですが・・・・。和田さんの個人写真が宇和写真館撮影かどうかまでは、わたしには判断つきません。
背景の花瓶の絵が、他の宇和写真館の背景には写り込んでいません。角度が違うだけなのか、写真館自体が違うのか・・・・。



写真館の所在がわかれば、時期が絞れるのでは?
と、期待したいところですが。

飛練10期の中攻→艦爆の転科教育がどこで行われたか。
わたしはちゃんと把握していないのですが、中攻→艦爆に転科した嶺岸友三郎さんが、17年1月15日に「佐伯空にて訓練中事故殉職」されているので・・・・。

ということは、池田さんたちは16年11月から翌年1月いっぱいの転科教育は佐伯で受け、さらに実施部隊の35空も、2月16日朝、戦地に向けて出発するまで佐伯(整備長の手記による)。

やっぱり、写真からは、時期はこれ以上絞り込めません。

可能性としては16年11月~17年2月15日まで。
だけれども、わたし個人としては17年2月に35空に着任してから同期の4人で撮ったものではないかと考えている・・・・ってところです。




余談ですが、先日京都で食事会をした戦史研究家のTさんは佐伯のご出身。
子どものころは海軍の飛行機を見ながら育ったそうです。
ちょうど宇和写真館のことを調べているときだったので聞いてみたら、なんと、Tさんも宇和写真館で写真を撮ってもらったことがあるそうです!



※画像は池田さんご遺族ご提供
宇和写真館に関しては役所担当者の方のご教示