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乙6期 中西義男さん 42014年09月26日 14時11分06秒

先に「3」を読んでください。
前回の「クロ狸」の続きです。


その後、クロちゃんも松ちゃんも582空艦爆隊に転勤になりソロモンへ。
クロちゃんは18年6月16日のルンガ沖航空戦で戦死――。

そのときの松ちゃんの手記。※クロちゃんは18年4月に飛曹長進級
『中西飛曹長は私の一期先輩の好漢で、十七年七月、特設空母春日丸(のちの「大鷹」乗り組み以来のつきあいだったが、いっしょにペアを組んだのは、先のフロリダ島沖海戦のときの一回だけだった。佐伯飛曹長にうらやましがられたたった一回のペアは、エンジン不調で引き返し、彼が自慢の降爆の腕前は、直接見ること ができなかった。
彼は、緒戦以来歴戦の勇士で、「開戦当初のハワイ海戦やインド洋作戦、珊瑚海海戦よりも、このソロモンの戦闘の方がずっと厳しいよ。圧倒的な敵戦闘機の数と、日々戦闘方式を改善して四機編隊で襲ってくるやり方が・・・・」と、よく言っていたが、すばしっこくて、機敏な中西クロちゃんをもってしても、群がり襲いかかってきた四機編隊ずつの敵戦闘機をふり切れず、第二大隊長前川中尉機の操縦員として、ついにガダルの空で散華してしまった。
一杯飲むとすぐに語っていたハワイ、ツリンコマリ、珊瑚海の彼の自慢話は、永久に聞くことができなくなってしまった』




山岸昌司さんの姪御さんのご紹介で、このクロちゃんの弟さんと会うことになりました。
松ちゃんの手記に出てくるクロちゃんは人間味あふれるとても魅力的な人。弟さんから見た、お兄さんとしてのクロちゃんの話が聞けると大変楽しみにしていました。

会う前に、待ち合わせの相談も兼ねて、弟さんから電話をいただきました。

そのとき、唐突に弟さんが、
「じつは兄は独身だったんですが子どもがおりましてね・・・・」
という話をはじめられ・・・・。


「えっ!?」
と思いました。


思わず、
「本当ですか!?」
と言ってしまいました。

びっくりしすぎて。

「松浪さんの手記に書いてあったあの話は本当ですか?」
と言ったつもりだったのですが、弟さんは「独身だったのに子供がいたんですか、本当ですか」と解釈されたよう。

「そうなんですよ」
と。

ところが、話しているうちにどうやら話が食い違っていることに気づきました。

「岩国の・・・・ですよね?」
とわたしが聞くと、弟さん、
「えっ? どうして知っているんですか!?」
と大変驚かれたご様子。
「本で読みました」
「何の本ですか?」

なんと、弟さん、松浪さんの手記をご存じありませんでした。
クロちゃん大活躍(?)のあの本を。
※その後取り寄せられ、読まれたそうです。

わたしは松ちゃんの悔しがりようから、あの話は、
「まんまとクロ狸にだまされて休暇をふいにしてしまった話」
だとばかり思っていました。




――クロちゃんがあのとき松ちゃんに語った話は本当でした。

岩国の叔父さんの家に下宿していたHさんというお嬢さんといい仲になられたそうで、結婚していないのに子供ができてしまったそうです。娘さんです。名前はY子ちゃん。 

先日見せてもらった実家へのクロちゃんからの手紙にも、Hさんのことを気遣い心配している様子がありありとうかがえました。

入籍こそしていなかったものの、二人の関係はヒミツでもなんでもなく、実家の方にはちゃんと紹介して家にも連れて行っていました。事実上「嫁」です。
手紙を読むと、クロちゃんが隊に戻ってからもHさんは大阪のクロちゃんの実家にいたんじゃないかな?

クロちゃんのすぐ下の妹さんがHさんと歳が近かったのか、
『良い友達になってくれればと思っています――』
と妹さん宛ての手紙にも書いています。


内地にいればまだしも、戦地に行かなければならなくなったクロちゃん。
さぞ、入籍問題のことが気がかりだったことでしょう。
このまま自分にもしものことがあると、二人が宙ぶらりんな状態になってしまいます。

クロちゃんは、松ちゃんから見たら隙を見せると自分をだまそうとするクロ狸だったかもしれませんが、死ぬに死ねない悲愴な状況で出撃を繰り返していたのでした。



ところが18年6月16日、クロちゃんは戦死・・・・。

中西家ではクロちゃんの戦死後もHさんとY子ちゃんを家族として扱っていたようですが、どういう話し合いがされたのかまではわかりませんが、最終的には中西家の籍には入れなかったそうです。
弟さんは昭和8年生まれなのですが、「お前がもう少し大きかったら(Y子ちゃんを籍に入れたのに)」と言われていたそうです。
そういうこともあって、弟さんは大変Y子ちゃんのことを気にされていたそう。

Hさんは戦後、他の方の元に嫁がれ・・・・。

昭和40年ごろまではY子ちゃんと中西家では連絡がついていたらしいのですが、いつの間にか消息不明に・・・・。

最近、いろいろあって弟さんが調べられたところ、Y子ちゃんの消息がわかったそうです。

十数年前に、亡くなっていたそうです。
結婚して、旦那さんはいたそうですが子供はなかったとか。


Hさんも既に亡くなれているそうです。


弟さんは「亡き兄貴へのせめてもの恩返し」と、両親やクロちゃんのお墓の横の区画に建てる碑に、自分たちきょうだいの名前とHさんとY子ちゃんの名前も一緒に刻んであげ、離れ離れになってしまった親子を一緒に眠らせてあげたい、二人を兄の腕に抱かせてやりたい、と言われていました。


松浪さんの手記も一緒にクロちゃんのお墓に入れると言われていました。

松ちゃんが譲った休暇は、おそらく家族3人が一緒に過ごせた最後の時間になったのではないかな。












Y子ちゃんを抱くクロちゃん
一緒に写っている写真はこの1枚だけだそうです。






※ご遺族ご提供
松浪清『命令一下、出で発つは』光人社NF文庫