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BY,TAKASU PHOTOSTUDIO2014年09月04日 08時36分12秒

池田和義さんの写真の中に、
『BY,TAKASU PHOTOSTUDIO』
という刻印が入った写真がありました。



この2枚です。
こちらは池田さん単独。


こちらは同郷の木下光三さん(中攻操縦)と。


ペンネントは「大日本帝国海軍」、ジョンベラだったので予科練時代の写真かな、と思っていました。

「土浦には小船井写真館のほかにもタカスフォトスタジオという写真館もあったのかな? それとも静岡に帰省したときにどこかで落ち合って撮ったのかな?」
と思い、検索してみました。

出てきたのは「木更津市高須写真館」。現在も営業中。

「あっ!(ノ ̄□ ̄)ノ」
と思いました。
木更津と言えば、池田さんと木下さんが中攻操縦の訓練をした場所。

よくよく軍服を見ると右袖の階級章は1等航空兵(飛行兵)で、その上に善行章が1線ついていました。
何度も書いていると思いますが、この善行章は海軍にお勤めして何事もなければ3年ごとに1線付与されます。
9期生は13年6月1日に海軍に入隊しているので、1線目の善行章付与は16年6月1日です。
ちなみに1等航空兵に進級したのは15年6月1日で、3等飛行兵曹に進級したのが16年10月1日なので、この軍装でいる期間は16年6月1日~9月30日までの4か月間ということになります。

「予科練じゃない」
飛練時代でした(^^;)

かれらは15年12月1日から飛錬での練習機教程、16年6月1日からは実用機の教程に入っています。
池田さんも木下さんも中攻操縦員になるべく、まずは大村航空隊での艦攻操縦訓練に入ります。
8月いっぱいでそれを終え、9月から木更津に移動して中攻の操縦訓練。10月31日に卒業です。
その後実施部隊へと巣立つわけですが、池田さんはここから艦爆操縦に転科しているので、さらに移動して艦爆の操縦訓練を翌年1月までやったのではないかと。どこでやったのかはわたしは把握していません。同じく中攻から艦爆に転科した嶺岸友三郎さんが1月15日に佐伯で訓練中に事故殉職しているので、池田さんも佐伯で転科教育を受けたのかも? ちょっとわかりません。

とにかく。
例の写真は1種軍装であることから、6月の大村か、9月の木更津だろうと。

大村の方は「高須写真館」を見つけられませんでした。

木更津の高須写真館に問い合わせしてみたところ、
「昭和8年創業」
「木更津にほかに高須写真館はない」
とのことで、おそらく池田さんと木下さんが写真を撮ったのは、木更津のこの高須写真館であろうと思われます。

残念ながら古い写真の原版は残っていないそうです。

というわけで、おそらく16年9月木更津の高須写真館、ということで。

※画像は池田さんご遺族ご提供、高須写真館のご主人さま方、ありがとうございます

乙9期 静岡県出身者 2枚2014年09月04日 19時21分45秒

池田和義さんの写真の中に、静岡県出身者少人数で撮った写真が2枚ありました。

【たぶん小船井写真館】
写っているのは左から池田和義さん(操)、ソファに腰かける伊藤誠一さん(偵)、後ろに立つ大石芳男さん(操)、杉本栄さん(操)、志村実さん(偵)。

ペンネントは「霞ヶ浦海軍航空隊」、階級章は1等航空兵。
15年6月1日~11月14日までの撮影でしょうか。
刻印はありませんが、伊藤さんが座っているソファが、小船井写真館刻印入りの前川重美さんの写真のソファと同じような気もします。



【雄飛の松】
前に座るのが左から亀山一郎さん、木下光三さん、池田和義さん、後ろに立つのが大石芳男さん、杉本栄さん。全員操縦です。

ペンネントは「横須賀海兵団」。

土浦海軍航空隊の雄飛の松と一緒に写っているので、卒業式かも。
前に出したことがある石川さんアルバムの雄飛の松写真と同じときに撮られたものかなあ?
あれもみんな所属海兵団のペンネントの軍帽でした。
あちらにも杉本さんと木下さんは写っています。軍帽のかぶり方とか襟の状態とか、全く一緒に見えるので、同じときに撮られたものではないかな。



下の写真はわかりませんが、上の写真は隊外なのでほかから強制されて一緒に撮ったのではなく、自分たちで集まって撮りに行ったのではないでしょうか。
同県人はなにかと懐かしいのでしょうね。