Google
WWWを検索 ひねもすを検索

練習航空隊の教員・教官2009年11月15日 20時19分06秒

ホリブンは、582空時代の昭和18年1月に被弾落下傘降下し負傷し、病院船で内地に送還されました。
いつ搭乗員として復帰したのか不明ですが、それ以降、ずっと練習航空隊の教員勤務が続きます。
大村空、三亜空、高雄空・・・・。

結局、昭和20年1月に343空戦闘301に着任するまで”練習航空隊の教員”です。

ですから、ホリブンが前線(? 実際に戦闘をする部隊)にいたのは、17年5月頃台南空に着任(したらしい)~18年1月初、20年1月~終戦までです。
教員をやっていた期間の方が長いのかな。

西澤さんも、バリバリ戦地で活躍していたイメージがありますが、教員経験あるそうです。
日米開戦前に大村とか鈴鹿とか・・・・。ここらへん、よくわかりません。
18年11月に飛曹長に進級したあとで、大分空で教官(准士官以上は”教員”ではなく”教官”らしいです)していたとか。

ホリブンも西澤さんもそうですが、あまり喜んで教員教官任務に就いていたわけではなさそうです(^_^;)

これはまたまた勝手なママ妄想ですが、ホリブンは教員に向いているんじゃないかなーって気がします。
「物静かでやさしい人」だった、って人物像からのイメージです。

西澤さんは、教官不適格だったとあちこちに書かれているので、たぶん、そうなんでしょう(*_*)
天才肌で、他人に教えるの苦手そう。でも、努力しない天才じゃないですよ。できる努力は全部やった上での天才です!!

先日、搭乗員さんたちに、この練習航空隊の”教員(教官)”について聞いてきました。
「自分の担当教員がどんな教員だったら嬉しかったですか?」


「もちろん、戦地帰り」だそうです。
教員の中で一番尊敬されるのは、実施部隊で実戦を経験している人。
「オーラが違った」
そうです。

ホリブンや西澤さんは戦地帰り。
ただの戦地帰りじゃありませんよ! ホリブンは被弾落下傘降下海上浮遊経験者です。西澤さんは「ラバウルの魔王」「デビル・ニシザワ」(誰だ! こんなことを言うヤツは!)ですよ!
きっと、ものすごいオーラ、出しまくりだったでしょう ヘ(^^ヘ)(ノ^^)ノ

余談で、
「予備練出身の教員たちも操縦が上手だった」
と言われていました。
そのときは「予備練って何やねん?」と思いながら聞いていたのですが、あとで教えてもらったところによると、「民間や逓信省の搭乗員養成コースから海軍に入った人」みたいな・・・・?

教員が上手だと練習生もうまくなるそうです。
逆に下手な教員に教わると、その人の操縦の癖が練習生にもうつってしまうって言われていました。

『最強撃墜王』の中では西澤さんに戦闘機の操縦を教えた教員は武藤教員。あの、武藤金義中尉の若かりし頃と思われます。
西澤さんの神業操縦の原点は武藤教員!!
本当だったら、すごい!←あの本、どこが史実でどこが小説がいまいちよくわからない(-_-)

いまのママの夢は、「西澤さんに操縦を教わった人」に会ってみたい!!ってこと。
まあ、その人が操縦の天才になったかどうかは別にして、西澤さんがどんな教官だったのか、真実のところを聞いてみたいです!

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック