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織田祐輔『米軍カラーフィルムが捉えた日本軍の艦船・航空機・軍事施設』イカロス出版2024年12月21日 22時17分30秒

いつもお世話になっている宇佐の織田さんが本を出されました。

『米軍カラーフィルムが捉えた日本軍の艦船・航空機・軍事施設』



織田さんはふだんはガンカメラの映像解析をされていますが、これは静止画像です。
しかし全編カラーで、わたしがふだん見ている予科練生や海軍さんの白黒写真とはまた違ったものがあります。変色はしているんだろうと思いますが、空の青、海の青が美しい分、何とも言えない気分になります。
ガンカメラ映像からの画像なので基本的には日本軍(日本の施設)が攻撃されているシーンが写っているわけですが、このガンカメラの先に追われている人間がいたはずで、それを思いながら見るとしんどいですね。

しかし、中にはいままで誰にも知られていなかった誰かの最期も映し出されていると思われますので、心して見せていただこうと思っています。

宇佐に行ってきました62024年11月29日 22時45分54秒

3月に宇佐に行ったときのものです。
1~5はここにリンクがありますのでもし興味のある方いたらご覧ください。



駅館川の海軍桟橋で織田さんと偶然再会し、名残を惜しみつつ別れた後は、若宮神社(グーグルマップでは「若八幡神社」)に連れて行ってもらいました。

境内に予備学生出身士官の慰霊碑があります。






今回の宇佐訪問はここが最後の訪問地でした。

このあとコンビニで飲み物を購入し、柳ヶ浦駅に送っていただきました。
電車の時間までしばしお話。


また会いましょう!

ということで姉妹さんたちとお別れしました。


「ぶぜんながす」は島田さんたちが真珠湾から帰還して宇佐に戻ってきたときに外泊した「長洲」(島田さんは「長州」と記載)です。
現地は海軍桟橋に行くときにちらっと車でかすめたかもしれませんが、立ち寄りはしませんでした。地図で見たら道も狭そうですしね。
次に行く機会があれば自転車でまわってみたいですね。

柳ヶ浦から日豊本線ソニックに乗り別府に戻りました。
宇佐空の搭乗員たちもこのルートで別府に通ったのかな。

別府駅からはバスで観光港へ。



さんふらわあの客室は個室です。ドアのある大きめの部屋の中に何台かのベッドがあり(階段があるつくりの部屋。女性部屋をとった)、そのベッド1台分がカーテンで仕切られて、プライバシーが保たれています。
全室テレビ付き。
モニターで別府の町を眺めつつ出港。

正面左の山は高崎山です。
右手の街並みのどこかに先日書いた木村写真館があるのだと思います。もし、また訪れる機会があれば写真館の場所にも行ってみたいです。当時は海軍さんで賑わったそうです。

夕飯は船内レストランのカレーテイクアウト。
ベッドに持ち込んだら同室の人たちに迷惑だろうと思ってロビーで食べました。

カレーのあとはお決まりのアイス!(*´▽`*)

行きも食べたやつ(笑)
連日やっちまいました。

次乗ったら、また食べると思う(*´▽`*)


これ、どこかな?(笑)
たぶん朝、早く目が覚めて部屋の外に出て撮ったんじゃないかと思います。
明石海峡大橋かな。
明るいんで(!?)、たぶん本州側を見ているんだと思います。

無事に帰ってきました~。

朝ごはんはどうしたかな?
全然記憶に残っていませーん(笑)



搭乗員さんのお孫さん姉妹、織田さん、平和ミュージアムの準備室の方、平和資料館の方、大変お世話になりました。ありがとうございました。

宇佐に行ってきました5 戦争遺跡2024年11月28日 12時51分18秒


長く書いていませんでした。

4までは宇佐市の平和ミュージアム担当者の方と知人の戦史研究家・織田祐輔さんが案内してくださいました。


おっと!
そういえば織田さんの著書『米軍カラーフィルムが捉えた日本軍の艦船・航空機・軍事施設』が12月に発売されるようです。
頼まれてもいないのに勝手に宣伝しておきます。


前回4は城井の掩体壕で終わっていました。

そこで平和ミュージアム担当者の方と織田さんとはお別れしました。
「ありがとうございましたー(T_T)/~~~」

搭乗員さんのお孫さん姉妹とお昼ごはんに。
わたしの好き嫌いのせいであちこちさまよっていただく羽目に。
大変申し訳ありませんでした<(_ _)>

これは食べられる!!
ネギ焼き(*´▽`*)

ごちそうになってしまいました。
ありがとうございます。
めっちゃおしかったです。


わたしは、姉妹さんたちが織田さんに案内してもらうツアーに便乗――のつもりで宇佐にやってきたのですが、姉妹さんたち、
「ママさんが行きたいところに行きますよ!」
と言ってくださって、あちこち車でまわってくださいました。


住宅が散在するのどかな田園地帯にぽつぽつと戦跡が残っています。
で、まわった戦争遺跡はほぼ駐車場完備・あるいは公的駐車場から歩いて行ける範囲という充実ぶりでした。
案内板も、わかりやすくてきれいな立派なものが。
いや、ホント、最近、近代とか現代の産業遺跡や戦争遺跡なども重要視されつつあります。
宇佐の取り組みは本当に素晴らしいと思いました。
今回わたしは織田さんや姉妹さんの車に乗せてもらったからまわれましたが、あとは公共交通機関利用のおひとりさまがいかにまわるかを考えていただくと文句なしと思います(わたしは最初いつものようにレンタサイクルを使おうとしたけど利用時間や貸し出し場所が合わなかった)。


耐弾式コンクリート造建物やタンク跡






柵の間から中を覗いてみました。
80余年ほど前の建物ですが、何に使っていたのかはっきりとわからないみたいですね。
宇佐市のサイトでは「受信所と考えられている」って書かれています。


このU字の部分にタンクを置いたってことですかね。







見学を終えて次の戦跡へ。
ここは宇佐空の郷に車をとめて歩いて行ったんだったか。すぐです。
こんな案内標識もあります。雷装の九七艦攻。

ふつうの住宅地に、ふつうの住宅のようにあらわれる戦跡。
落下傘整備所





80年を経ても機銃痕が生々しいです。




ここは車で移動。 歩いてもいい距離ですが(^_^;)
発動機試運転場


周りにふつうに家がありますが、当時はここ、航空隊内ですからね💦
あの人たちが飛行服、飛行靴で行き来していたかもと思うと感慨深いです。






休憩用のベンチもあります!
なんと! 海軍機の主翼デザインベンチ!
九七艦攻だよな!




隊の戦跡はこれが最後。


爆弾池。


横に展望デッキがあり爆弾池が見下ろせ、航空隊周辺が見渡せます。
のどかです。



戦跡見学を終えて、姉妹さんたちのおじいさん(戦死された搭乗員)のゆかりの地に向かいました。
駅館川です。

姉妹さんたちのお父さんが子どものころ、父親に釣りに連れて行ってもらった思い出があるそう。

わたしは9期生の「おもいで」に出てくる駅館川が小川のイメージだったので意外と大河で驚きました。
あ、写真の場所は河口近くなんですけどね。



ただ何となく「駅館川に行こう」ってここに来たんじゃなく、ここにも戦争遺跡というか、海軍の関連遺構があったのでやってきたわけです。

海軍桟橋。

ちょっとわかりにくい場所で、他県から来られた姉妹さんたちもカーナビを見ながら「あっちじゃない?」「こっちじゃない?」と迷いながらようやく到着。
しかも道が狭かった(;´・ω・)

車を端に寄せて、お姉さんとわたしが降りて写真を撮っていたら、タイミング悪く車が来ちゃって💦

わー💦

となっていたら、なんと!

ホントに「なんと!」なんですよ。
その車、織田さん(仕事中)だったんですよ(;゚Д゚)

「なんでっ!?」
ってなりました。
偶然ですよ。

仕事で巡回中の織田さんがたまたま通りかかったという。
なんの連絡も取っていませんよ。掩体壕で別れたきり。

そこでもまたごあいさつして、
「さようなら~(T_T)/~~~」

同乗していた同僚の方はさぞかしびっくりされたことでしょう。

つづく。

乙4期 笠原治助さん2024年11月26日 14時21分40秒

蒼龍艦攻隊12分隊の宴会写真に写っているはずなのに、もともとのお顔を知らないので探せずにいた笠原治助さん。



蒼龍艦攻隊12分隊宴会写真。




お顔、わかりました。

”いま”発見した!
というのではなく、ずっと前から知っている方でした。

先日、以前スキャンさせていただいたアルバムを見返していました。
乙7期の中攻操縦員の方のアルバムです。

ホントに、何度も言いますが、何度も見返さないとダメ!
このアルバムも過去何度も見ているはずなんですよ。
なのに今まで気づかなかったんです。自分にあきれ果てています。


右に「中練卒業記念」、下には左から「釜田」「笠原教員」「芦沢」「辻」「14.8.10」。
※日付は間違いではないかと思う。中練(霞空)を卒業したのは14年3月31日



「ふぁっ!?(;゚Д゚)」
ってなりました。


笠原教員の記述にも驚いたんですが、何より驚いたのはこの人の顔、知っていたことです。
「この人が笠原さんやったん!?」







操練43期の大澤昇次さんのアルバムに貼ってあった教員の集合写真です。
この中に笠原治助さんがいることは前から知っていました。

操練43期のアルバムの名簿の教員欄に笠原さんのお名前があったので、
「あの集合写真の中にいらっしゃるんだろうな」
とは思っていたのですが、教員は名札をつけていないので書き込みがない以上わからないです。


7期生のアルバムの書き込みで「笠原教員」と書かれている人、こっちにも写っていました。
いてはる!
笠原3空曹。
大澤さんが霞空にいたのは13年4月から11月まで。
13年から14年ごろに霞空にいた笠原という人で、該当者をいちおうわたしなりに探してみましたが、乙4の笠原治助さんのみではないかと思います。



上にも書いたように7期の中練(霞ヶ浦)の教員なんで、他にも写っています。

7期の教員をされていたころは2空曹に進級しています。


一番びっくりしたのは西澤さんのペアの教員だったこと。

「この教員が笠原治助さんだったのか!」



と、びっくりしたところで蒼龍宴会写真ですが。

あとお顔がわからない准士官以上は中嶋巽大尉、大迫加一飛曹長、笠原飛曹長。


写真の中で「准士官以上の可能性があるけれどどなたかわからない人」は以下の4人です。




不明者が3人なのに、准士官以上の可能性がある人が4人💦



白シャツがおしゃれな襟(ウィングカラー)の人①もコスプレの可能性は低いです。たぶん肌に触れるシャツ類は他人の物にわざわざ着替えるというのは考えにくいです。下士官の人でこのタイプのシャツを着ている人は見たことがないので、この人が下士官の可能性も低いように思います。

長髪の人②はたぶん、下士官兵のコスプレではないです。

一番コスプレしやすいのは「上着を羽織る」③④です。
ほかでも軍帽だけ取り替えていたり、上着だけ取り替えている写真は見たことがあります。

③④の2人はいる場所も、下士官兵がわらわらいる場所にいます。
どちらかはコスプレなのかなと思っていましたが、今回霞空での教官時代の笠原さん写真に気づいて、③の人が笠原さんなのでは?と思いました。
教員時代の笠原さんはお顔がめちゃ特徴的で探しやすいのですが、蒼龍の宴会写真ではちょっと感じが違いますよね。フラッシュのせいなのか、無帽のせいなのか?
眉の形や鼻の形は笠原さんとよく似ていると思いますが・・・・。目と口がねえ・・・・。
教員時代の写真で耳が写っている写真があるとよかったのですが、残念ながらわたしの手元には耳が写っている写真がありませんでした。
いちおう、イラストレーターでお顔を重ねてパーツの位置は一致することは確認しています。
しかし、似た他人という可能性もあり得るからなあ。




中嶋巽大尉は吉良敢・吉野泰貴『真珠湾攻撃隊 隊員列伝』大日本絵画の中嶋さんの項に、19年12月ごろという横空第2飛行隊の集合写真が掲載されていて、そこに写っています。しかし大勢の集合写真で中島さんのお顔がはっきりわからないです。
が、どう見ても①の人ではないだろうと思います。
②の人に似ているような気もします。




大迫飛曹長は前に加賀時代の13年5月の写真をブログに載せたことがありますが(右)、あれ1枚ではどうにも判断に迷っていました。
フォルダ以内をあちこち探してみたところ、もう少し前の加賀の大迫さんの写真がありました(左)。
この方が大迫加一さんです。

どう見ても①の方は違いますよね。
④の人かなあ?
④の人はたしかに飛曹長の軍服を着ているんですが、人数的にこの人がコスプレかと思っていました。大迫さんなのかな?
失礼いたしました<(_ _)>



ということは①はどなた!?

蒼龍艦攻隊12分隊で准士官以上はいちおう、他は、
阿部平次郎大尉

佐藤治尾飛曹長

中村太門飛曹長



揃ったよな?


①の士官らしき人がまったくどなたかわかりません。
艦の幹部の人とか整備の士官とかが飛び入り参加した可能性は?
11分隊から飛び入り参加!?(長井大尉ではない)

場所的にはこの宴会写真の中心に陣取っているんですよね💦
阿部平次郎大尉の肩に親し気に手のひらを添えています。



ちなみにこの宴会に参加した島田清守さんの日記によると、


昭和十六年十一月十二日 於笠ノ原飛行場
午前、飛行作業。 爆撃、発射運動
午后、飛行作業
スペア配置デハ全ク飛行モ出来ナイ。毎日地上ノ
勤務員ト云フ調子デ有ル。
夕食後入湯。十二分隊搭乗員ノ(1字あり?)暮會。
鹿屋ノ翠光園デ七時ヨリ分隊長、
分隊士モ出席サレテ、酒ニ朗カナ氣分ニ成ッタ。
練習生出テ最初ノ会デ浩然ト酒モ飲ンダ。
八時半頃、皆上氣分ニ成ル……、全ク上下ナキ艦隊
ノ會デ或ル。九時頃分隊士ノ自動車デ隊ニ
帰ル……。


こんな感じで、参加者は「分隊長、分隊士」までしか書かれていません。

同じ宴会に出席していた金井昇さんの日記でも出席者は「分隊長以下、各分隊士全部」という表現。
これ以上の詳細は不明。
また宿題ができてしまった・・・・orz


※画像は7期生ご遺族、9期生ご遺族、浅川さんご家族、Wさん、Мさん、武田信行氏ご提供
Оさんご協力(金井日記)

軍艦利根の人たち22024年11月21日 10時55分12秒

前回、用意していたのに出すのを忘れていました。


この方も利根の人のようです。
ペンネントは大日本軍艦利根。
階級章や特技章は見えません。もしかしたら特技章はないかも。

誇らしげな感じです。



賞をもらった記念の写真のようです。

賞状
海軍●等水兵 ●●●●
右昭和十五年軍艦利根乗組中機銃員の職に在りて操法検定に参与し優等の成績を得たり仍て茲に賞状を授与す
昭和十五年十月三十一日
第二艦隊司令長官古賀峯一

※原文は旧漢字・カタカナ

階級と氏名は判読不能です。
氏名の最初の文字は「角」のような気もします。
もしかしたら2文字目は「崎」かなあ?
ちょっと検索してみたら、角崎さんは富山にも多い姓みたいなので、「利根の角崎さん」は大いにありえそう。樋爪さんの同郷というご縁でこの写真を持ってらしたのかも、という気もします。
わかりません、想像です。





ちなみに昭和14年末~15年ごろの第2艦隊司令部。
前列中央の人が古賀峯一さんです。




※画像は樋爪さんご遺族ご提供(第2艦隊司令部写真はわたし)