「金子氏」写真と教員4人組写真 ― 2021年06月18日 21時32分05秒
浅川三雄さんのネガの中にこんな写真がありました。
ネガ袋の書き込みは「金子氏」。
2等航空兵曹、善行章2線、教員の腕章。残念ながら特技章は見えません。
この場所で撮られた写真が他にもあり、それから百里原分遣隊の教員室ではないか?と想像しています。
できたてほやほや、木の香りがしてきそうな新しい板壁に見えます。
これと関連して、もう一枚。
これもネガ状態で保管されていたもの。
書き込みは、息子さんが送ってくださった現物を出しますね。
上の4人組写真と袋の画像をKさんに送ったんですよ。
いや、なるべく自分でやろうと思っていたので、頼ろうと思って送ったわけじゃないんですけど・・・・
←言い訳
そしたら4人のことを調べてくれはったみたいで、
「平塚氏」と「古俣氏」はずばり〇期の誰誰、「金子氏」と「高橋氏」はそれぞれお二人ずつ可能性がある人をあげてくれました。どちらも予科練・操練おひとりずつ。
Kさんはわたしみたいに暴走しませんからね(^^;)
いつもスイマセン。
話がややこしくなりますから便宜上番号を振らせてもらいますね。
左から①②③④。
わたし、最初、立ち位置と袋の記名順が対応していると思っていました。
つまり①平塚さん、②高橋さん、③金子さん、④古俣さん。
Kさんが「金子氏」の候補としてあげてくれはったんは乙3期の金子光夫さんと操練30期の金子敏雄さん。
金子敏雄さんの名前を見たとき、
「ええっー!?(;゚Д゚)」
ってなりました。
台南空の金子さんですよ。
台南空の集合写真(17年8月4日、17年11月初)どちらにも写っていない金子敏雄さんですよ。
台南空でお顔を把握できていないおひとりです。
「え!? このどちらか(「金子氏」写真、4人組の③)が金子敏雄さんなのか!?」
ってびっくりしちゃったんです。
何かヒントないかな?
と思ったら、特技章。
見えている②③④各氏の特技章アップ。
②飛練(予科練出身)、③操練(or偵練)、④操練(or偵練)
上にも書きましたが教員室の金子氏の特技章は見えません。
「③の人が台南空の金子敏雄さんなのか?」
と「可能性」から先に進まず数日もやもやしていました。
話が進んだのは今日です。
写真を見ていて、ふと、
「②の人、『金子氏』と同一人物じゃないの?」
と思ったんです。
②の人。
教員室の「金子氏」。
わたしの苦手の笑顔&斜め写真。
これは困った。
こういうときは”集める”。
9期の操偵検査時の集合写真の中から「金子氏」と同一人物ではないかと思う写真を集めてみました。
うまい具合にみな正面です。
これを笑顔にしてみたら・・・・。
②の人になりませんか?
浅川さんの操練46期集合写真にも写っていました。
よし、これは耳が写っている!
②の人と同じ耳ですよね。
というわけで、これ、すべて乙3期の金子光夫さんでは。
②の人が飛練の特技章をつけているので、操練出身の敏雄さんでないです。
ということはですよ。
もしかしたら、他の3人も袋の記名並び順通りではないかもしれない――。
すぐに思いつくのは「逆じゃないか?」ですよね。
①古俣さん、②金子さん、③高橋さん、④平塚さん
古俣さんですが、今日、この話をKさんにしてみたところ古俣さんの写真を持ってはったらしく、送ってきてくださいました。
「おお!! ①の人と同一人物!!」
①操練26期、古俣豊壽さん。艦攻操縦。戦後生存。
残り二人(③④)のうちおひとりが高橋さん・・・・特技章から操練の高橋さんということになります。
操練24期の高橋利男さん。茨城県出身、艦攻操縦。
17年6月5日 飛龍 ミッドウェイ海戦
もうおひとりは操練37期の平塚萬蔵さん。艦攻操縦。
19年11月17日 931空 済州島西方
③と④は袋の書き込みを逆にしてそのまま③高橋さん、④平塚さんでいいのか。
あるいは高橋さんと平塚さん、逆に立っているのか?
お二人は特技章しか見えていないので現時点ではどちらがどちらと断言できません。
浅川さんの集合写真でお二人の階級章が見える写真がないか探しましたがわかりませんでした。
高橋さんはミッドウェイ時に飛龍だったので、10期の藤本久夫さん(当時飛龍艦攻隊)の「ミッドウェーの勇士の面々」という書き込みのある集合写真も探したのですが、ちょっとわからないです。あの写真、ミッドウェイの前か後かもわからないんですよね・・・・。
なので、お二人、どちらがどちらかは保留です。
③の人
④の人
金子氏ですけどね・・・・。
乙3期 金子光夫さん 秋田 戦闘機
14年8月9日 筑波空百里原分遣隊 殉職
操練48期の訓練中の事故です。
それを目撃した操練48期山川新作さん(高知 艦爆操縦)の手記(『空母艦爆隊』光人社NF文庫)。
『ある日、悲しい事故が起きた。百二十人のなかでただ一人の同郷人(高知県出身)であった西練習生が殉職したのである』
Kさんによると練習生は西利一3水。ただし、操練48期山川さんのただ一人の同郷人ではないそうです(他に3人いる)。
『着陸練習中の西練習生機が、場周を飛行中に、アクロバット訓練で回復操作の遅れた一機が、西練習生機に重なるように激突した、地上で見ていた私たちの目には、二枚の木の葉が散るようにヒラヒラと落ちて行った。教員二人と練習生二人の四人が殉職した。西練習生はただ一人の同県人だったので、彼のお骨を抱いて飛行場に帰った』
西さんと同乗していて殉職したのが金子光夫さんだそうです。
もう一機の教員と練習生ペアは、探したけれどちょっとわかりませんでした。山川さんの手記にも記載なし。
※山さんはこう書いていますが、実際はもう一機は不時着し搭乗員無事だったそうです(19日0058追記)
9期が操偵検査でお世話になってからわずか2か月後の殉職。
4人組の写真ですが、①の古俣さんが普通善行章を2線付けています。
古俣さんは昭和8年5月1日の入団らしいので、何事もなければ14年5月1日に2線目の善行章を付与されている、ということになります。
さらに、かれらが一種軍装であること。
9期が操偵検査時、23分隊(前の分隊)が集合写真を撮ったとき(たぶん6月8日)は軍服は一種です。
が、入れ替わりでやってきた24分隊(後ろの分隊)が集合写真を撮ったときは二種の夏服です。
23分隊は操偵検査が終わる2日前に写真を撮っているので、24分隊も同じと仮定すると霞空に帰隊した6月20日の2日前、6月18日には衣替えをしている。
そんなところから百里原では6月9~18日の間に衣替えをしたのではないかと想像。
4人組の撮影時期は14年5月1日~6月前半ぐらいまでに限定できるのではないかな?
要約すると、
・教員室の「金子氏」は乙3期金子光夫さん
・4人組は①操練26期古俣豊壽さん、②金子光夫さん、③④操練24期高橋利男さん・操練37期平塚萬蔵さん
でしょう。
※画像は9期生ご遺族、浅川さんご家族ご提供