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偵練36期 伊藤心友さん2021年06月12日 23時10分25秒

伊藤心友さん、艦攻の偵察員です。

過去にブログに書いています。
9期関連です。

島田清守さん(瑞鳳)が17年3月15日に小笠原北方海域で悪天候のために行方不明になったときの偵察員が偵練36期の伊藤心友さんでした。

このかた、愛媛県出身の方です。
島田さんの件があったときに愛媛でお世話になっている方に伊藤さんのことをお願いしました。
まあ、結論を言うと墓参もかなわず、遺影も入手できませんでした。
事情はわかったので、伊藤さんのことはそこで追跡をあきらめました。

偵練出身の偵察員の方ですからね。
わたしなんかはなかなかご縁がないわけです。




しかし、以前からここに書いているように「海軍航空隊は狭い!」というのを改めて実感させられるできごとがありました。

書いたかもしれませんが、浅川さん、支那事変の頃は15空艦攻隊でした。
当時すでに善行章2線の一空曹。操縦班の班長さんだったんじゃないかな?

アジ歴に15空の搭乗員名簿があるのでダウンロードして眺めていました。
なんと!
同じ15空艦攻隊(第5分隊)の偵察員の中に伊藤心友一等航空兵(1空と略します)のお名前が!

 
浅川さんの残された写真の中には15空時代の写真もたくさんあります。
97式1号艦攻をバックに。艦攻隊(5分隊)集合写真。
ぱっと見ただけで渡辺初彦大尉(兵58)、北島一良中尉(兵61)や赤松作さん(乙1)などのお顔がみえます。

「この中に伊藤心友さんがいるんだよなあ」
と思いつつ、記名がないのでどの方が伊藤心友さんかまったくわかりません。
絞り込めるとすれば、おそらく兵階級の人は上着の下がジョンベラの中に来ているTシャツみたいな服。その中にいるんじゃないか?


これ以外にも15空時代の写真、たくさんあります。
97艦攻の尾翼の機番号をバックに搭乗員がひとりで、あるいはふたりでポーズをとって写っている写真や、指揮所の前でカメラにおさまっている写真などなど。
しかし、↑これだけいるんでね(^^;)
伊藤さんの注記のある写真はないなあ。





一昨日だったか・・・・。
ネガの中から伊藤心友さんの写真が出てきたんですよ!

いやいや、正確な話をすると、もっと前にわかっていた話なのにわたしが見落としていたというね(失態)。

浅川さんの写真はアルバムに貼られた写真状態のものと、ネガ袋に入ったまま息子さんも見たことがないというネガ状態のものと、あと箱に入っている写真状態のものがあるらしいのですが。
ネガ状態のものはネガ袋に浅川さん自ら中身の注記を入れているらしく、息子さんが先に注記だけリストにして送ってくださいました。
わたしはそれを見て、「じゃあ、〇番のこれこれを見たいです」って言って、先に「四期飛練小林二空曹」などはポジ化して送ってもらっていました。
その後は息子さんがご自分のペースでポジ化したものを送ってくださっていたのですが、一昨日の夜送られてきた中に「南京にて伊藤」という写真があり、
「えっ!?」
ってなりましたよ、「!?」って。

画像を開いたら精悍な感じの兵の方。
ペンネントは「大日本第十五航空隊」。
善行章1線、一等航空兵の階級章、操練か偵練の特技章。

15空にはもう一人、伊藤定夫三等飛行兵曹という偵察員の方がいてはって、「伊藤」だけではどちらの伊藤かわからないのですが、いつものKさんに伊藤3空曹ではないというお墨付きをいただきまして。
浅川さんの息子さんも階級が書いてある搭乗員名簿から伊藤心友さんだろうと推定されていました。

たぶん伊藤心友さんでしょう。
もしこれが伊藤心友さんでないとしたら、他隊の「伊藤」という人が15空の兵の人の軍帽を借りてコスプレしている説、あるいは名簿に載らないような短期間の転勤者で伊藤1空という別の人がいた説。
この写真、すごい精細なんですよ。
無精ヒゲの状態もよくわかります。瞳が光に透けている様子もよくわかります。ちょっと黒目部分が茶目っぽい人だったのかも。



この写真が出てきたので、5分隊集合写真から探してみました。
たぶんこの人ですね、伊藤さん。
他隊の人コスプレ説、消えました。
短期間だけいた伊藤1空説は残っていますが(^^;)




浅川さんの写真の中に、こんな5分隊写真もありました。
同じ写真がアジ歴の15空搭乗員写真の中にあるのですが、あちらは写真が非常にぼやぼや状態で誰が誰やらさっぱりわかりません。おそらく本人かよほど近しい人が見ないとわからないレベル。
ただ、幸なことにアジ歴の写真には全員ではないものの記名があるんです。

後になって気づいたのですが、この中に「伊藤」と書き込まれた人がいました。
下士官です。
なのでこちらが伊藤定夫3空曹なのでしょう。
Kさん、お手を煩わせてスイマセンでした<(_ _)>

こちらの5分隊写真には伊藤心友さんは写っていないように思います。




17年3月15日   瑞鳳  小笠原北方海域  索敵行動中悪天候により行方不明 4月4日戦死認定


操縦 工藤隆1飛
偵察 伊藤心友2飛曹
電信 島田清守3飛曹

もう1機(操縦 能住速雄1飛、偵察 上津原隆3飛曹、電信 原田三好2飛)とともに0535瑞鳳発艦。
その後急激に天候悪化したため横須賀に向かう旨打電してきて以降はまったく消息不明。
2機とも4月4日に戦死認定されました。





しかしホントに不思議な縁を感じます。
5分隊集合写真を見ていただいたらわかるとおり、けっこうな人数です。浅川さんの写真の中に15空個人写真が何枚かありますが、もちろん全員分はありません。
15空の予科練同期生、艦攻隊の仲良しの偵察員、あと兵の搭乗員の個人写真も何枚かありましたが、その中に伊藤さんの写真があるとは。

13年7月18日の南昌攻撃(←徳永さんたち15空艦爆隊が南昌飛行場を焼き討ちした)の編制表を見ると、浅川さんは渡辺初彦大尉の操縦員で(電信員は赤松作1空曹(乙1))、前の加賀時代からこのペアだったので、伊藤さんとはそういう仲でもなさそうなんですよね。

とにかく、
伊藤さんの写真を撮ってくださってありがとうございます。
伊藤さんの写真を残しておいてくださってありがとうございます。
「南京にて伊藤」の文字を残しておいてくださってありがとうございます。
です。

それに、息子さんがブログを見つけてくださって、連絡くださったこと、これに感謝感謝です。


※画像は浅川さんご家族ご提供