乙9期 岡本清見さん ― 2016年06月21日 09時15分19秒
何度目かの投稿ですが。
北海道出身。偵察。
中攻。
【氏名入り班写真】
北海道出身。偵察。
中攻。
【氏名入り班写真】
13班です。
【東京行軍】
【東京行軍】
【鎌倉行軍】
【大楠山慰安行軍】
【ラグビー観戦】
【操偵適性検査】
【香取神宮】
香取神宮と同じ行事ではないかな?
どこかの桟橋での集合写真。
どこかの桟橋での集合写真。
【偵察総員集合写真】
2空
【倶楽部】
【倶楽部】
1空
予科練卒業時の寄せ書き
おもいで
「色白な美男子、同班で横空予科練の高台道場横の角力場で君と角力をとった、いい取組だったよ」
「君と仲野修君の仲よしは羨望の的だった。そして肢体の均整のとれた太眉は正に好男子、君の微笑くぼは印象的だ」
「ソバカスは大抵男前をさげるものだが、君の薄いそれは却って女性に騒がれていたぞ」
ここに出てくる仲良しの「仲野修君」は、予科練入隊時13班で一緒、飛錬は鈴鹿、木更津で一緒。実施部隊も鹿屋空まで一緒です。
千葉県出身。17年8月26日、木更津空、ソロモン方面で戦死。
予科練卒業時の寄せ書き
おもいで
「色白な美男子、同班で横空予科練の高台道場横の角力場で君と角力をとった、いい取組だったよ」
「君と仲野修君の仲よしは羨望の的だった。そして肢体の均整のとれた太眉は正に好男子、君の微笑くぼは印象的だ」
「ソバカスは大抵男前をさげるものだが、君の薄いそれは却って女性に騒がれていたぞ」
ここに出てくる仲良しの「仲野修君」は、予科練入隊時13班で一緒、飛錬は鈴鹿、木更津で一緒。実施部隊も鹿屋空まで一緒です。
千葉県出身。17年8月26日、木更津空、ソロモン方面で戦死。
仲野修さん
【飛練鈴鹿】
【飛練鈴鹿】
班写真でしょうか?
この2枚運動会。
倶楽部の前かな?
伊勢神宮
春日大社
岡本さん、飛練は鈴鹿、宇佐、大型機講習で木更津。
宇佐空時代(16年8月1日~10月30日)に関しては、成績が残っていてですねー(^^;)
飛練10期の偵察専修生20名だけなんですがー。顔ぶれを見ると、のちに中攻、艦上攻撃機・艦上爆撃機の偵察員になった人たち。
岡本さんは真ん中ぐらいです。
【木更津大型機講習】
岡本さん、飛練は鈴鹿、宇佐、大型機講習で木更津。
宇佐空時代(16年8月1日~10月30日)に関しては、成績が残っていてですねー(^^;)
飛練10期の偵察専修生20名だけなんですがー。顔ぶれを見ると、のちに中攻、艦上攻撃機・艦上爆撃機の偵察員になった人たち。
岡本さんは真ん中ぐらいです。
【木更津大型機講習】
実施部隊は鹿屋空、高雄空、753空・・・・。
『予科練外史』に、鹿屋空有志で倉町先生に送ったことばが直筆画像で載っています。
卒業の寄せ書きと同一人物?と疑うような筆跡ですが、署名があるので岡清さんなんでしょう(^^;)
『玉砕の鉢巻も雄々しく元気で張切っています 岡本清見』
「玉砕」は9期偵察員の合言葉やったらしいです・・・・。
【実施部隊】
17年5月1日鹿屋空同期会
場所は不明ですが、内地ではないかな?
場所は不明ですが、内地ではないかな?
操偵入り混じり、みんな楽しそうです。
ジャワ島の民族衣装で。
時期場所ともに不明。
ですが、民族専門の人に見てもらったら、現地の都市部のスタジオではないか、とのこと。
鹿屋空同期会写真に一緒に写っている藤原国雄さん(同期会・民族衣装写真ともに所有)。
岡本さんと藤原さんは、岡本さんの飛練宇佐時代(16年7月30日~16年10月31日)を除いて、13年6月の予科練入隊以来18年9月終わりごろまで、ほぼ5年間ずっと同じ航空隊だったのではないかと思います。
藤原さんのご遺族の方から見せていただいた履歴・・・・というか、勤務地を書き記した海軍の用紙があるのですが、「ゲルンパン」「デリー(ジャワ)」「セレベス」「チモール島」などの地名が並んでいます。
「マレー蘭印方面航空作戦に従事
シンガポール海峡カスパル海峡等で艦船爆撃、クリスマス島電信所バンドン附近の飛行場の爆撃
豪州のポートダーウィン、ポートヘッドランド等の空襲
ポートダーウィン夜間攻撃
チモール及豪州西北方面艦船索敵攻撃に従事し又ブロックスクリーク、バチェロール飛行場を爆撃」
同じ航空隊といっても、本隊やら支隊やらあると思うので、常に同じ場所にいたかどうかはわかりませんが・・・・。
藤原さんの戦地勤務時代らしき集合写真。
岡本さん、ここにも写っているのかな?
あまり精細にお顔が判別できないんで・・・・ ←言い訳
藤原さんは前から2列目の右端です。
岡本さん、ここにも写っているのかな?
あまり精細にお顔が判別できないんで・・・・ ←言い訳
藤原さんは前から2列目の右端です。
藤原さんの前の人、谷村さんに見えるんだけど、違うかな?
谷村さんが一緒だとしたら、高雄空時代かな?
――などと想像したりしているのですが、自信がありません。
19年5月、宮崎空。
――などと想像したりしているのですが、自信がありません。
19年5月、宮崎空。
19年6月21日 宮崎空 本州南方海域索敵哨戒中不明
海兵71期 中山栄一さん 19年6月21日 宮崎空 96陸攻
海兵71期のサイト「同期の桜」に以下の記述がありました。 ※Kさんご教示
『大海指第三九八号による索敵哨戒)を命ぜられて、宮崎基地から出撃していった。そして哨戒中、発動機に故障が生じたので引返しを決意して帰途に就いた が、午前九時一五分ごろ宮崎の一三七度一五〇浬附近で基地との連絡を絶ってしまった。おそらく発動機の故障が致命傷となり、海上に不時着したのであろう、 遂に帰還せず中山機長以下七名は戦死と認められた』
さらに、今村一敏さん(兵72、陸攻操)、同期会のサイトに、
『19.6.21 九州南東洋上 九州南東150浬の哨戒線上で哨戒中、消息を絶つ(96陸攻)』
時期的には飛行学生ではないかと思うのですが、「訓練中」というわけではなかったようで、今村さんも「戦死」です。
少し前まで、この人たちと岡本さんの戦死が関係あるのかないのかよくわからなかったのですが、いまは同じ飛行機(96陸攻)で哨戒中に亡くなったのだと思っています。
岡本さんも「戦死」です。
ヒトからいただいた予科練名簿などで検索したところ、同じ19年6月21日、同じような場所で亡くなっている人が他にもいました。
菊川忠之さん(甲9) 本邦南方
熊崎雅造さん(甲10) 宮崎沖
廣田亀雄さん(丙6、偵) 本州南方海面
これで6名です。
この人たちがペアなのでしょうか。
あと搭整員を加えたら7名。搭整員のお名前はまだ見つけられていません。
ただ・・・・。
甲10期の熊崎さんに引っ掛かっています。
K上飛曹にも調べてもらったのですが、熊崎さんは同期生会誌では「殉職」になっているそうで。
同じ飛行機に乗っていて、ある人は「戦死」、ある人は「殉職」ということがあり得るのか?
熊崎さんがこのペアの一員だったかどうかは判断しかねています。
※画像は9期生ご遺族ご提供
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