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支那事変従軍記章2014年05月14日 13時17分59秒

1月に池田和義さんのアルバムを見せていただきに行ってきました。そのときのこと――。




アルバムをひと通り見せていただき、全員で記念撮影をし、春海に頼まれていたペットのネコちゃんの写真も撮り終え、
「では、そろそろ失礼いたします」
とコートを着込んでいたとき、姪御さんが奥から、
「こんなの興味ありますか? おじいちゃんの勲章です」
と小さな箱を持って来られました。

海軍軍人だった和義さんのお父さんの遺品ということで、
「見せてください」
とその場にとどまり、見せていただいたところ・・・・。

一つは「勲七等瑞宝章」、もう一つは「支那事変従軍記章」でした。


「写真撮らせてくださいね」
と撮っていて、ふと、

(支那事変従軍記章は和義さんのものでは?)

という疑念が。


というのも、お父さんは金剛をイギリスから回航してきたメンバーのお一人。そのときのお写真も見せていただきました。
家族写真にも写っていて、和義さんの海軍時代にはすでに海軍は引退されているような・・・・?
支那事変に参加されたのだろうか?

和義さんのお父さん。



一方の和義さんは確実に支那事変従軍記章をもらっています。

ある9期生の履歴にははっきり、
「一五、四、二九  支那事変従軍記章授与」
と書かれています。


15年4月29日という日付は、9期生にとってどんな日かというと・・・・。
井原大三さんのご遺族の方が取り寄せてくださった履歴によると、

15年3月20日 戦艦榛名ニ派遣
    4月28日 復帰
  
つまり、ひと月余りの艦務実習をおえ、予科練に戻ったのが4月28日、その翌日に「支那事変従軍記章授与」です。


藤代護さんの手記によると、
『「陸奥」に乗り組んで、ようやく馴れてきた一カ月後、艦隊はアモイ沖に碇泊した。少尉候補生らは内火艇で、アモイに戦跡見学に行った。羨ましかった。戦地である中国も見たかったが、われわれは行かせてもらえず、チョッピリ不満であった。
それでも、後でわれわれは支那事変に参加したことになり、「従軍記章」と、金四十五円也の国債が渡された。十四センチ副砲の六番砲手(弾運び)の戦闘配置にあったからだと思われた。以後、式のたびに左胸に従軍記章をつるして、得意になったものだ』

ということで、実際に戦闘もしていない、中国の土も踏んでいない9期生たちも従軍記章をもらった、ということのようです。

9期生の支那事変従軍記章授与に関しては名簿が残っているらしいのですが、なぜか5名だけが漏れているそうです(戦史人物経歴研究家さんのご教示)。
5名の共通点は「偵察専修生」ということでしょうか。
藤代さんの手記によると、自分は戦闘配置だったからもらえた、というようなことを書いていますね。
この5人の配置が関係しているのか、それとも5人は事情があって艦務実習に参加しなかったのか、それともただ単なる名簿の記載漏れなのか、それは現時点では不明です。
それこそ、厚労省の履歴を見れば、もらったかもらっていないかは判明するのでしょうけど。




というわけで、和義さんの遺品である可能性が高い「支那事変従軍記章」。





遺品はない、というつもりでお宅にうかがったので、うれしいサプライズ。
和義さんの支那事変従軍記章と対面できて感激して帰って来たのでした。