乙9期 米盛朴さん ― 2014年05月21日 20時17分40秒
「よねもり すなお」と読むそうです。(本間猛『予科練の空』)
『予科練の空』に適性検査か、飛行機の前で飛行服姿で撮られた米盛さんの写真が出てるのですが、この写真では米盛さんを探し出せませんでした。
「おもいで」には、
『人相の点では前科八犯位』
と書いた口の悪い級友もいましたが(笑)
雄翔館に米盛さんのお写真がありました。
『予科練の空』に適性検査か、飛行機の前で飛行服姿で撮られた米盛さんの写真が出てるのですが、この写真では米盛さんを探し出せませんでした。
「おもいで」には、
『人相の点では前科八犯位』
と書いた口の悪い級友もいましたが(笑)
雄翔館に米盛さんのお写真がありました。

「どこが前科八犯ですかあ!!w( ̄▽ ̄;)w」
よかにせです!
いつものように「※あくまで・・・・」と付け加えたいところですが、これは誰が見てもよかにせでしょう!( ̄▽ ̄)
この写真のおかげで、集合写真から米盛さんを探し出せるようになりました。
鹿児島県出身、偵察。
中攻。
高雄空。
【水泳集合写真】

【香取神宮】

【適性検査】

【すもう】

【すもう】は説明しないとわからないですよね(^^;)
これは鈴鹿航空隊・偵察の飛練時代に撮られた写真です。
すもうの大会で9期が優勝したとかで、そのメンバーで記念撮影した写真です。
【鈴鹿・熱田神宮】

「おもいで」
「一番先に俺に酒を呑むのを教えてくれた、すべてにお前は俺の兄貴だった。剣道をやるときの君は別人のようにすばらしかった」
「色が黒く、目玉のギョロリとしたまるでムツゴロウ(九州有明海名産)みたい。剣をとっては大した腕前、相撲でも活躍していた」
「剣道は二段か三段であった。一際冴えた剣さばきだったと思っている。歌詩、実に感情のこもった、よい詩を書いていた。いつも感心して読ましてもらった」
「同班の薩摩オハン、お互いに色黒く目玉が大きくギョロギョロしていたので人相の点では前科八犯位。おかげで殴られるときも常に一緒、お尻の皮の厚さ比べをした。剣では宮本武蔵、同期随一の三文文士。八期に殴られるので海岸でかくれていたときがあったのを思い出す。その殴った八期生もいま生きている人がいるかもしれないが、もう二人で殴られるときもなくなったナア」
集合写真で見ると、米盛さんは長身です。
剣道やすもうの猛者。水泳もいけます。『予科練の空』によると陸上競技もいけたそうです。
同じ中攻の偵察員の谷村博明さんは「水泳」「剣道」「長身」プラス「大食い」ですが(笑)
米盛さんはプラス「詩」。
『予科練の空』には、米盛さんのエピソードとして、かれがまだ故郷にいるころ、通学途中に芽生えた恋心をつづった「三銭の恋」という文章のことが書いてあります。
内容は、本間さんの言を借りると、
『川内川下流の水郷にある彼の家の近くに、村の渡しがあった。彼(米盛さん)の通う学校は、この渡しを渡らなくてもよかった。さて、この渡しを使って通学する可憐な女学生がいた。お下げを黄色のリボンで結んだ彼女は、清純で澄んだ眸をして、いつも物静かな感じがした。彼はこの女学生と行き会うと、その日一日が心楽しく、ほのぼのとした気分になった。ことに一緒に渡しで川向うまで行くときには、まるで世の中が自分のためにあるような幸福感につつまれた。別に言葉をかわすわけでもないのに、彼は使わなくてもよいこの渡しをたびたび渡った。彼は彼女に行き会わない日は、彼女の来るのを待って、川向うまで渡り、帰りには遠回りして歩いて帰った。
この渡し代が三銭であった。といっても、親がくれるわけではない。彼は渡し代を稼ぐために、付近の田圃や小川で仕掛けをして、鰻や小魚を獲っては、川魚屋に持っていったのである』
残念ながら、米盛さんが書かれた原文は残っていません・・・・。
でも、本間さんの文章だけでも、胸がきゅんとなるような淡い初恋の思いが伝わってきます・・・・。
(ババアのくせにとか言わんように!(-_-;))
おそらく・・・・。この恋は実らなかったのではないかと想像します。
なんだか切ないです。
あと、鈴鹿航空隊の卒業アルバムに書かれた米盛さんの詩も引用されています。
優勝した運動会に関する詩です。
17年4月27日 高雄空 ポートダーウィン