期別不明集合写真 ― 2021年08月16日 21時59分46秒
浅川さんの写真の中にこんな集合写真がありました。

練習生らしき人たちのペンネントは「霞ヶ浦海軍航空隊」。
残念ながら階級章などは見えません。
「はて? 何の何期の集合写真かな?」
お一人お一人見てみたけどよくわからない。
別のところにヒントがありました。

初練の前の、浅川教員と練習生2人のペア写真。
これも詳細不明の写真でした。
が、この2人、上の集合写真にも写っていました。


左の練習生の袖の階級章、

錨マークが交差しているように見えます。桜はちょっとわからない。
一等水兵か二等水兵か。
だとしたら、この集合写真は操練だな、と思いました。

こちらは操練40期の初練とキャプションがついていた集合写真。
ペンネントは同じく霞ヶ浦海軍航空隊。
251空宴会写真でコスプレを楽しんでいた安井孝三郎さんが練習生として写っています。
『日本海軍戦闘機隊2』【エース列伝】の巻末資料によると操練40期は12年7月~13年2月までとか。このうち霞ヶ浦はどの時期なのか。
ちなみに浅川さんは何度か霞ヶ浦航空隊勤務があるのですが、1回目が自分の飛練。
2回目は11年11月から約1年間、教員勤務。
3回目は加賀・十五空勤務を経てからの13年終わりごろに半月だけ霞ヶ浦海軍航空隊で教員勤務。
ただ、これ、半月で終わったのはどこかに転勤したからではなく、勤務地の霞ヶ浦海軍航空隊友部分遣隊が筑波海軍航空隊として独立したために所属が変わった、って話だと思います。
が、筑波空(友部)勤務は長く続かず、ひと月後ぐらいに筑波海軍航空隊百里原分遣隊勤務になっているので、筑波空身分のまま勤務地は百里原に移動。
4回目は百里原の次なんですが、この霞ヶ浦時代のことはわたしもよくわかりません(写真、あるのかな? たぶんない)。短期間です。
というわけなので、操練40期は11年11月から約1年の間の霞空教員時代のものと思われます。
たぶん後ろの建物は、冒頭の期別不明集合写真と同じ建物(屋根、壁、樋などから)。
「期別不明写真も11年11月~の霞空教員時代の操練だろう」
と思いました。
時期的なことを考えると、操練40期より後の期ではなく、操練40期より前の期の可能性大と思いました。
【エース列伝】の操練の戦闘機搭乗員の名簿と見比べながら、
「39期(菊地哲生さんがいる)でもない、38期(坂井三郎さんがいる)でもない・・・・。37期(大木芳男さんがいる)じゃないやろ? 36期は顔がわかる人おらんし、35期(原田要さんがいる)でもないし・・・・」
→わからんっ!( ;∀;)
ほぼ何も解明できないままでこの集合写真に対する追及はストップしていました。
で、先週末、急にこの期別不明写真が操練何期かわかりました!!\(^o^)/
見返していて、知っている人が写っているのに気づきました!!

百里原で教員をしていた操練36期の西継男さん!!
ヅラの人、て云った方がわかりますかね?

西さんは浅川さんとは縁深い人で、百里原では同僚教員、それ以前には加賀で同僚(ともに艦攻操縦員)だったんです。
加賀時代のこんな写真もありまして。

浅川さんは後列中央あたりの長身の和装。

浅川さんの右の方に西さんも写っています。
この西さんがですよ、じつは浅川さんと師弟関係(直ではないにしても)だったなんて!
かなり驚きましたぞ(;゚Д゚)
歓喜ってやつです。うれしかったですよー。
そうかー、あの集合写真、操練36期だったのかー。
待て待て。ということは、貝磯巧さんも写っているということか!

百里原時代の貝磯さん。
集合写真、探しました。

この人しかいないんですよねー。

↑この人(^^;)
浅川さんの直の教え子。
百里原時代と比べるとちょっと全体の雰囲気が違うんですが、顔のパーツは同じじゃないかな?

百里原教員時代の集合写真から。
3年ぐらい経っているのか。痩せているけど、やっぱり霞空時代の集合写真・ペア写真の人と同じ人よな?
というわけで、冒頭の写真は操練36期で間違いない。
操練36期だとすると、戦闘機のベテラン・澤田万吉さんもいるはずなんです。
わたしはお顔を知らないんで周辺に聞きまくりました。
そしたら!
わたし、澤田さんのお写真、持っていました!(またかっ!)
その写真&知人に聞いて得た情報などなどから、

この人が練習生時代の澤田万吉さんであろうと結論付けました。
そして、(まだあるんですよ(^^;))、澤田さん、浅川さんの百里原教員時代の集合写真に同僚教員としても写っていました。

海軍航空隊、なんて狭いんだ!(;゚Д゚)
文章だけでわかりにくければ図の方もどうぞ↓
百里原時代は別の期の集合写真から写真をとっていますが、同じ時期に4人が揃っていたであろうことは考証しています。
前に、浅川さんの下宿で撮られたらしき西さんと貝磯さんの写真のことを書きました。

あのあとわかったことですが、この部屋は浅川さんの下宿で、のちにここに奥さんを迎えて新婚生活を送っていた部屋なのだとか。
西さんの転出時期を考えるとこの写真が撮られたのは浅川さんの結婚前のようですが、まあ、操練同期生2人で浅川さんの下宿に遊びに行ったときに撮られた可能性大かなあと思っています。
もちろん、別々に遊びに行った可能性もありますが。
練習生時代の教員の部屋に遊びに行く教え子――なんかいいなあ(*´ω`*)
この”師の下宿訪問”イベントですが、澤田さんの写真はありませんでした。
行っていたのに撮らなかったのか。
撮ったけど、何かの事情で残らなかったのか。
いや、そもそも行かなかったのか。
わたしは澤田さんはこの場にいなかったんじゃないかと思っています。
確証はないです。
西さんと貝磯さんは同年兵で同機種(艦攻)。
澤田さんは海軍歴は1年先輩で戦闘機。
ここは気心の知れた同年兵2人で遊びに行ったと解釈したいと思います。
前に操練出身の搭乗員さんに操練の同期生のことを尋ねたら、
「機種も違うし、同年兵でもないからよく覚えてない」
というようなことを言われたことがありました。
操練で同期かどうかより、海軍の入団年が一緒かどうか、そちらのほうがつながりには重要みたいです。
冒頭の写真ですが、ペンネントは「霞ヶ浦海軍航空隊」。
本隊か友部か決めかねていたのですが、他の期の集合写真とそこに写っていた人の手記からどうやら友部らしいとわかりました。
その話はまた今後。
時期は不明です。
操練36期の卒業は12年6月らしいですが、ペア写真からすると初練みたいだし、集合写真、練習生の後ろの木が冬の木みたいなさみしさだし、袖口から「厚着している?」って感じの人もいるし。この写真の撮影時期は寒い時期かも?
この写真に関してもまだ書きたいことがあるので別に書くと思います。
※画像は浅川さんご家族ご提供
※Kさん、Mさん、Tさんにいろいろとご教示いただきました