飛練10期 谷田部航空隊のある教員 ― 2021年08月06日 11時08分40秒
乙9期は15年11月30日に土浦の予科練を卒業、飛練10期生として操縦専修生たちは筑波と谷田部、偵察専修生たちは鈴鹿へと移動しました。
今日の話題は谷田部の集合写真。
あまり谷田部の教員のことを話題にしたことはないんですが、今日は教員の一人について。


最後列の右端に写っている教員さん。
まあ、だいたいこういう集合写真は椅子列中心に隊の幹部、その両脇に分隊長・分隊士(教官)、そして教員。
椅子列におさまらなかったらすぐ後ろの立ち列も教員さんがいることが。
しかし、最後列の一番端っこに教員がいる写真ってまずないんですわ。
んで、気になっていました。
やさしそうな男前教員でしょう?
※個人の感想です


こちらは谷田部の修業記念と思わる集合写真。
この教員さんは2列目の教員の集団にいますが、教員の中では一番端っこにいます(2列目右から3人目)。
これら2枚から、たぶん、教員の中では下の立場なんだろうな。
もう1枚ありました。

池田和義さんが持っていた飛練のペア写真。
前列左から西山昇さん、教員さん、新井正美さん。
後列左から池田さん、田中茂雄さん、鹿島長重郎さん。

この教員さん、1種軍装の教員さんと同じ人よな?
いま、やや自信を失っているところですが、たぶん同じ人と思うんです。
救命胴衣に記名もなく(練習航空隊はふつうない)、
「だれかわかることはないんだろうな」
とあきらめていました。
浅川さんの百里原の写真がきっかけでどなたかわかりました!
なぜ唐突に浅川さん!?(/・ω・)/
この話、しましたっけ?
浅川さんの写真の中に期別不明の集合写真がありました。

わたしは完全にお手上げだったので、Kさんに見てもらったところ、
「操練46期じゃないか」
と。
操練46期の太田敏夫さんらしき人が写っていると。
坂井三郎さんの『大空のサムライ』で有名です。
台南空の三羽烏ということで。えーっと、坂井さん、西澤さん、太田さんですか。
たしかに!

練習生の太田さん。
その後、他にも操練46期生の方が見つかったことから、操練46期の修業記念写真で間違いなかろうと思います。
太田さんのことはわたしがここに書くまでもなく、海軍航空隊、海軍戦闘機隊ファンの方ならよくご存じだと思います。
長崎県出身。
戦闘機。
『日本海軍戦闘機隊2』【エース列伝】によると操練後は大村空、谷田部空、12空、台南空。
「ん? 谷田部空だって?(;゚Д゚)」
うちにある谷田部空の集合写真を全部見てみました。
飛練某期(飛練10期より前)、飛練16期、2クラス分は空振りでしたが、1クラスによく似た人が。
それが冒頭の写真!
飛練10期!
あれ、台南空の太田敏夫さんじゃないかな?
もし太田さんだったらびっくりです。
ペア写真に一緒に新井正美さんが写っているでしょう?
飛練時代、直の師弟関係?(^^;)
太田さんと新井さんは台南空で再会しています。
新井「あ! 太田教員じゃないですか! その節はお世話になりました!」
太田「おお、新井! 立派な戦闘機乗りになったな! 分隊長に頼んで同じ小隊にしてもらおう!」
新井「はい! よろしくお願いします! どこまでもついて行きます!」
太田「おれから離れるなよ!」
新井「はい!」
→17年5月12日モレスビー攻撃
※もちろん会話は妄想です

台南空時代の下士官搭乗員集合写真(少人数)の太田さん。
座っているのは椅子列。
ベテラン搭乗員です。
戦地で飛練時代の教員と再会――。
うれしはずかしだったろうなー(雛鳥時代を知られている(^^;))。
谷田部には他にものち台南空に配属になった9期生がたくさんいます。

羽藤一志さん

遠藤桝秋さん

久米武男さん

熊谷賢一さん

佐藤昇さん

上田誠さん(ラバウル以前)

新井正美さん

大西要四三さん(所属は千歳空)

木村裕さん
みんな、飛練時代から太田さんを知っていたのかー!?
って思うと、また違う景色が見えてきます。
飛練の中練は7ヶ月ですからけっこう長期間。直接の担当でなくても、よく知っていたことでしょう。
太田さんの方もおぼえていたんじゃないかと思いたい。
太田さんは17年10月21日、ガ島攻撃で戦死。
が、それ以前に、2月24日上田さん、7月20日大西さん、8月8日木村さん、8月14日新井さん、8月26日熊谷さん、9月13日羽藤さん佐藤さん・・・・と帰らぬ教え子を待ちつづけることに・・・・。
もちろん、他の戦友・後輩たちの戦死もこたえたと思いますが、自分が手取り足取りした教え子が帰ってこない状況というのは・・・・。
※画像は9期生ご遺族、浅川さんご家族、武田信行さんご提供