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翔鶴の大石さん2021年05月04日 10時45分46秒

昨日、未解決のまま終わった「翔鶴の大石さん」。

起きたら解決していました。

Kさんから、
「翔鶴の大石さんはこの人だと思います」
とメールが届いていました。

ありがとうございます、ホントにいつもいつもスイマセン<(_ _)>

もともとは豊田一義さんのアルバムで認識した人なのですが、「大石兵曹」としか書かれておらず、「どこの大石さん?」と追跡がストップしていた人です。

偶然のことから、谷水竹雄さんの翔鶴時代の写真に写っていることに気づきました。
「大石 一八、一一、一一
赤字は戦死日と解釈。

行動調書で大石さんがどなたか判明するだろうと探したのですが、この日の行動調書を見つけられず、Yさん(お世話になっている戦史研究家。隊史、搭乗員、機体なんでも)に翔鶴戦闘機隊の18年11月11日の戦死者を把握されていないか尋ねてみました。
佐藤仁志飛曹長(操練26)
磯部隆造上飛曹(丙飛6)
立住一男1飛曹(乙飛11)
とのことで。

「うーん、やっぱり大石さんのお名前がない(+_+)」

で、朝起きたらKさんからメールが届いていて、
「翔鶴の大石さんは磯部隆造さん(旧姓大石)のことだと思いますよ」
と。

なんと!?
改姓されていた!

豊田さんの飛練23期の集合写真に写っていたので、当然丙6の名簿は見ました。
ただし「大石さん」を探していました。
まさか磯部さんと大石さんが同一人物だったとは。

よく考えたら、あの頃の人って、いまより姓が変わっている人多い印象です。
結婚とか養子とか。
大石さんの場合、理由はわかりませんが、どこかの時点で大石さんから磯部さんに改姓されて、海軍的には磯部さんになっていたと。
築城時代はたぶん正式に「大石」さんです。作業服の胸に「二飛曹(?) 大石」と書いていあるように見えます。「大石」は間違いないです。

翔鶴時代はわからないです。
谷水さんが「大石さん」と旧姓で認識していただけかもしれません。


Yさんから聞いた戦死時の磯部さんの階級は上飛曹になっています。
翔鶴写真の磯部さんは1飛曹の階級章をつけていますが、Kさんによると18年11月1日上飛曹に進級されているようです。





さっき、豊田さんの写真を見返していて、もう1枚見つけました。
書き込みはなかったけど大石さん。


ちょっと教員(左)と練習生(練成員? 右)には見えないですが。
飛練の教員・練習生ではありえない写真です。
練成部隊なので一人前に扱っているのでしょう。豊田さんと大石さんの間にあまり高い壁はなさそう。




というわけで、翔鶴の大石さんは丙6期の磯部隆造さんのようです。



※画像は愛媛零戦搭乗員会、谷水さんご家族ご提供