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乙8期 中仮屋国盛さん2021年06月01日 13時40分39秒

乙2浅川三雄さんの教員時代の写真に、乙8の飛練らしき集合写真があったので、先日からKさんにいろいろ聞いていました。
ご教示くださった中に、
「中仮屋さんも百里原ですよ」
という重要証言が!(;゚Д゚)


「え? そうなんですか!?」

さんざん見たんですよ?
お顔を知っている搭乗員がいないかどうか。
中仮屋さんも顔を知っています。エース列伝に何枚か出ていますからね。


Kさんに言われて改めて探したら・・・・


いてはりました!
中仮屋さん!

鹿児島出身、戦闘機。
戦後生存。




こっちにもいたー!\(^o^)/


言い訳していいですか?

「ヒゲがないからわからんかったんですorz」


さらにポカを重ねているんですよ。
めっちゃいい写真でしょう?
教員と練習生のペア写真。

教員は浅川さんです。

後列の練習生、
左は名札から馬場時治さん。

真ん中は名札が見えず不明。

右、中仮屋さんでしたー!

名札拡大。
色調調整してみたところ、「中仮屋」に見えてきました(笑)

いやいや、ホンマに中仮屋さんだと思います。

こんなにはっきりお顔が写っているのに気づかないものなんですねorz





わたし、故・藤本速雄さん(愛媛、戦闘機)から中仮屋さんのこと聞いているんですよ。

藤本さん、マリアナ沖海戦の時は瑞鶴から発艦しているんですが、帰途、僚機とはぐれて単機千代田に着艦したらしいんです。
そこに中仮屋さんがいた、と。その時が初対面だと言われていました。

翌日、一緒に上空哨戒をやったそうです。

瑞鶴の上空で手を振って別れた、と言われていました。

後に再会。
戦闘310でご一緒やったんですよね。





藤本さんの戦闘310時代の写真の中に中仮屋さんが写っていました。
このイメージだったので。←まだ言い訳している


藤本さんは、中仮屋さんのことを「やさしい人やった」と言われていました。
話してくださった中にはプライベートなほのぼのエピソードもありました。




これ、最新情報。
浅川さんの残されたネガの中にあったそうです、百里原の教員たちのリラックスした様子。

無帽の教員の肩に肘を掛けているのは乙3期の徳永有さんです。南昌飛行場焼き討ちメンバー。

徳永さんの向こうに立っている練習生が中仮屋さんに似ているんですよね。
横顔なので断言はしませんが。
中仮屋さんの右の練習生も8期集合写真に写っている人とよく似ています。

徳永さんは8期の集合写真に写っているんですが、無帽の教員がちょっと見当たらないんで・・・・。
またまた保留という感じなんですが。


※画像は浅川さんご家族、藤本さんご提供

今シーズン初冷や汁2021年06月03日 22時41分24秒

ネットでポチってしまいました。
もう自分で作る気力はないんです(笑)

今井美樹さん御用達とか、向栄食品の冷や汁。

こういうパックをいろいろ試した中で自分がイメージする「冷や汁」に一番近いかも。




今日の晩ごはん。





先日、調子が悪いと書いた三尾和金のキンちゃんですが。
今日は調子いいです。
たまに、底にお腹をつけてジーッとしていることがあって心配です。
でも、今日みたいに一日中ふわふわと気持ちよさそうに泳いでいる日もあります。

水流がない方がいいかなと思って外付け式ろ過装置をはずして、投げ込み式のろ過装置を入れましたが、あまり水はきれいにならないし、フィルターはすぐ汚れるしで頻繁に水替えしています。たいへんですが、しかたない(^^;)

一番調子が悪かったときの状態は脱したのでは、と思っています。

小林正(乙4)さんかな?2021年06月04日 21時51分03秒

先日、中仮屋国盛さん(乙8)のところで出した写真↓

筑波海軍航空隊百里原分遣隊の、くつろぐ教員たち――
といったところでしょうか。

無帽の教員の肩に肘を掛けているのが南昌飛行場焼き討ちの徳永有さん(乙3)であるということはそのときに書きました。そして徳永さんの向こうに見えている横顔の練習生が中仮屋さんに似ている・・・・ということでこの画像を出しました。

そのときに、無帽の教員が8期の集合写真に写っていないので、練習生が8期(中仮屋さん)かどうか自信がないということも書きました。



その後もしつこくこの写真を眺めていました。

だんだんと無帽の教員が乙4期の小林正さんに見えてきました。


この人ですね。

厚かましくも再撮影をお願いして送っていただきました<(_ _)>

「歯が見たいんで」

という理由で(^^;)


小林くん、ゴメンナサイ。
口元アップとかイヤですよね?(^^;)



これは浅川さんが「四期飛練 小林正二空曹」と書き込んでくれていた写真です。
※送っていただいたのをちょっと明るくしました。

歯が見えていますよね。
拡大して見ると、前歯二本が特徴あるんです。
こちらも撮り直してくださいました。


ふたたび小林くん、ゴメンナサイ<(_ _)>




オフィシャル集合写真の小林くん。



どうですかね?
無帽の人、小林くんだと思うんですが。



あの無帽の写真、眼光鋭い徳永さんにもたれかかられながらもなんだか楽しそうですよね。
予科練の先輩後輩だしね。
浅川さんの写真の中に百里原の教員らしき写真がたくさんあるんですが(先日は教員の個人写真は小林くんだけと言ってしまいましたがじつはたくさんありました)、みんな仲良さそうだな、って感じです。
いや、見るからに仲悪そうな写真って見たことないんですが(^^;)




小林くんなら、8期の訓練中の写真に写ているのに集合写真(修業記念)に写っていない事情は理解できます。



※画像は9期生ご遺族、浅川さんご家族ご提供

今日の朝ごはん2021年06月06日 11時16分23秒

昨日、田原本のプラススクエアの前を偶然(?)通りかかったので、立ち寄って食パンを購入しました。

今回は忘れずに、家に帰って冷えているのを確認してからすぐに同梱のビニール袋に密封しました。





朝ごはんはたまごサラダのトーストサンド。
たまごサラダにはクリームチーズがちょっと入っています。








昨日はプラススクエアで初めてコーヒーも買ってみました(豆を挽いてもらいました)。

エチオピアのゲイシャ!!

先日買ったパナマゲイシャの半額ほどでした(・∀・)

見つけたときはホントにこの値段か!?と疑って、店員さんに、
「これ(袋)が、これ(値札)ですよね?」
と念押し確認してしまいました(笑)


もちろん味の違いはわかりません!(爆笑)

ただ、ほんのり甘くてめっちゃ飲みやすい。

これだけでファンです(^^;)





昨日の夜、ミッドウェイの日だと思ってアップした記事があるんですが思うところあっていったん非公開にしました。
ツイッターでいいねしてくださった方々、申し訳ありません<(_ _)>

追加修正してまたアップする予定です。

航空母艦 加賀2021年06月06日 13時40分32秒

5日の夜中に一度アップしたのですが思うところあっていったん非公開にしました。
追加修正したうえでの再投稿です。


浅川さんの写真の中に昭和12年か13年ごろの加賀の飛行甲板で撮られたらしき集合写真がありました。


当時、浅川さんは加賀の艦攻隊。

どういうメンバーかは研究していません。人数が多いので艦攻隊だけではなさそう。

後ろは艦橋ですね。

白く塗りつぶしてあります。

「なるほど、軍機だな」

と思っていたのですが、先日ネットで見た同じころの加賀の飛行機隊集合写真ではばっちし写っていました。あれ?(´・ω・`)




下2枚も加賀(兵階級の人のペンネントが加賀)。

撮影場所は飛行甲板なのかな?
でも、同じ場所ではないようです。
写真の精度もだいぶ違うので、別の機会の撮影かなと思います。





昨日、予科練時代のアルバムの写真を送ってもらったのですが、その中に「航空母艦 赤城」と書き込みのある写真がありました。

三段式の飛行甲板。

「今日はミッドウェイ海戦の日だし、紹介させてもらおう」
と思って赤城と加賀についていろいろ調べていたのですが、

「赤城と加賀って、どうやって見分けるのかなー?」
↑いまさら感


で、「煙突」だと(^^;)

時事通信の記事を見つけました。まったく同じ写真だー。



これは加賀の煙突らしいです。

この煙突のせいで気流が乱れて着艦を困難にしたり、ダクトの内側の准士官の居住区が排熱で焦熱地獄になったんだとか。

一段式に改装された時に赤城と同じ煙突形式(うまく説明できないので検索してください)になったそうです。

浅川さんが加賀に着任された時はすでに改装後、焦熱地獄は解消された後だったみたいで、よかったです(まだ下士官ですが)。



浅川さんの写真、すごい精細ですよ。
20センチ連装砲と艦橋。


高角砲。

乗員が二種軍装なのもわかります。



のちに自分が勤務することになる加賀の写真を予科練アルバムに貼られていたわけです。
運命的なものを感じます。







わたしも勇み足で、6月5日ミッドウェイ海戦の日に『航空母艦 赤城』という文字を見てすぐにYさんに、
「浅川さんのアルバムに赤城の写真が貼ってありましたよ!」
って送っちゃいました。

が、返信が来る前に自分で調べて加賀だとわかったので、その旨、またメールしました。

そしたら、「正解、加賀」とのことで。

Yさんによると、煙突が一番わかりやすい相違点ではあるけれど、じつは形がまったく違っていて、見慣れてくるとぱっと見でわかるそうです(^^;)



で、ちょっと引っかかったのが、
「どうして浅川さんは加賀の写真に『赤城』って書いていたんだろう?」
ってことです。

わたしの想像。
・当時、加賀は海軍でも最高機密で(←大和みたいに)、予科練生ですらその姿を知らなかった。
予科練の教員に「赤城の写真だ」と言われて、素直に信じて「赤城」と書いて貼っていた説。

・加賀の姿を知っていたが、教員に「赤城」と言われて渡された。
予科練生にとって教員が「カラスは白い」と言ったら白である、「これは赤城である」と言ったら加賀も赤城である――。おかしいな、と思いつつ「赤城」と書いて貼っていた説。




今朝になって『航空母艦 赤城』の書き込みの謎は解決しました。

息子さんに「あれ、加賀みたいです」ってメールしたら、

「(赤城の書き込みは)私が後に追記したものです」

とのことでした。どうして赤城と書いたのか、いまとなっては思い出せないそうです。あるある。

そして「父ちゃん、ゴメン」のひとことが添えられていました。

わたしも、「教員さんたち、濡れ衣着せてゴメン」。



しかし、わたしの説も矛盾だらけです。
加賀が軍機なら、あんな細部がわかる写真を塗りつぶしなしで予科練生に渡したりしないですよね(^^;)


※画像は浅川さんご家族ご提供