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島田清守さんの遺品 ―集印帖―2016年12月25日 10時06分45秒

島田さんの遺品の中に1冊の集印帖がありました。


そのときは気づかなかったのですが、瑞鳳から送り返されてきた遺品の一つでした。


中はこんな感じです。




「官幣大社宮崎神宮」

集印帖を開いた瞬間、
「えっ!?」
って驚きました、最初のページが宮崎神宮で。
わたしは宮崎出身なので、うれしかったですが。
15年前の宮崎神宮。


なぜ宮崎なのか、すぐにわかりました。
かれらは15年3月20日~4月28日の日程で艦務実習に出かけています。
そのとき、どうも宮崎に立ち寄っているんですよね。――というのは、松本勝正さんの書簡からです。艦務実習中の金剛から実家に送った手紙に、
『宮崎から送った荷物は着きましたか』
という一文があります。
艦務実習前か中かよくわかりませんが、艦務実習の機会に宮崎に立ち寄ったと、そのときに神武天皇ゆかりの宮崎神宮にも参拝したのでしょう。

ここが島田さんの集印帖のスタート。




「奉頌紀元二千六百年」
「六合開都 八紘弌宇」

この「六合開都」が読めなかったんです(^^;)
「開」だけはわかりました。
「六」は「穴」かな?
とか、
「合」は「同」かな?
とか(^^;)
いや、角生えとるし。

「都」にいたってはまったく想像もできず。

これを読むために、ヒトに紹介してもらって某大学日本史研究室に篆書字典を見せてもらいに行きましたが、時間切れで探り当てられず(;´Д`)
教員や学生さんたちに聞けばその場で解決したかもしれないのですが、忙しそうにされていたので小心者のわたしは聞けませんでした。
結局図書館に行って、あーでもない、こーでもない、と1ページずつめくりながら探したところ、「都」の篆書体を発見しました。
「六合開都」・・・・日本書紀の神武天皇・橿原奠都の詔に出てくることばみたいです。
浅学故、今回、調べるまで知りませんでした。



この年(昭和15年)は紀元2600年なので、神武天皇ゆかりの宮崎ではお祝いムードだったのでしょう。

八紘一宇の塔も完成。

八紘一宇の塔はいまは平和台公園となり、塔の名前も「平和の塔」です。

この塔、宮崎の実家から、川を挟んできれいに見えていました。
わたしにとっては懐かしいふるさとの光景の一つです。







「臺南神社」

艦務実習中に台湾に上陸したときに立ち寄ったのでしょう。
「艦隊」かな。








「外宮之印」
「内宮之印」


お伊勢さんは鈴鹿の航空隊(飛練)から行っているのでしょう(15年12月~)。
卒業アルバムにも伊勢参りの写真がありました。
↑全員の顔がはっきりと見えないのですが、はっきり見えているメンバーから推測するに、島田さんもここに写っているんじゃないかと思います。


島田さんの集印帖にはおみやげさんで押したらしい参拝記念のハンコも押してありました。

きっと、お菓子を買いに立ち寄ったんだろう(笑)



「伊勢二見浦」「二見興玉神社」「禊齋」


夫婦岩の写真、9期生のアルバムにありました。16年6月・7月。
同じ島田さんですが、こちらは島田直さん(熊本、偵、艦攻、17年6月5日 飛龍 ミッドウェイ)。
左は隅倉慧さん(熊本、偵、水偵 戦後生存)です。

鈴鹿から近かったので、何度か行っているんでしょうか。それとも個人的に遊びに行ったのか。






「橿原神宮参拝紀念」


橿原神宮といえば、卒業アルバムに写真がありました。
北神門前。



この写真には島田さんも写っています。
前にしゃがむのは左から南弘明さん、宮沢政雄さん、本間秀人さん。
後ろ、教員に挟まれているのは左が鶴見堅三さんと島田清守さん。

鶴見さんと島田さんの背後に植わっている木――。

同じ木なんでしょうか? いまも北神門脇にあります。 ※2015年10月撮影
わたしは写真を撮ったときにはこの木のことは気にしていなかったのですが、ヒトに見せたら、
「この木の成長が時間の流れを感じさせますね」
と言われてハッとしました。

わたしは木の種類はわからないし枝ぶりなどの比較もできないので、まったく同じ木なのかどうかは判断できませんが、同じ木だとしたら、感慨深いものがあります。

ここに写っているかれらのほとんどは二十歳そこそこで命を失ってしまったのだけれど、この木は70余年経ったいま、大きく育ち葉を茂らせています。





「春日神社」

いまの春日大社。戦前は春日神社だったそうです。


橿原神宮も春日大社も奈良行軍時に参拝したのでしょうね。
卒業アルバムにも写真がありました。

春日大社南門。


先日、春海と訪問。

いままで神社のご朱印にはまったく興味がなかったのですが、このときは、
「どんなふうにしているのか?」
気になって、ご朱印をいただける場所を探しました。
この門の内側左手に、お守りを授けてくれる場所があり、さらにその奥の窓口に行列ができていました。そこがご朱印所でした。
横から覗きこんだら、巫女さんみたいな女性が、毛筆で朱印帳にさらさら書き込んではりました。その上に朱印を押すんですね。

島田さんの頃も、並んで押してもらったのかな?



今回、初めて海軍さんの遺品の中に集印帖があるのを見ました。
お守りは、手記や回想などからも、「たいていの人は持っていただろう」と思っているんですが、さすがに集印帖を持って行っていたというのは驚きました。

予科練飛練時代の思い出というだけではなく、やはりそこで神様になにがしかのお願いをしているはず。軍人さんですからね。願いごとは・・・・わたしが想像していることから大きく外していないだろうと思います。
そういう思いが詰まった集印帖だったのかな。


※画像は9期生ご遺族ご提供。わたし撮影。

いままでのクリスマス2016年12月25日 12時33分40秒

ブログをはじめてからの分。



2007年。


サンタさんにお手紙を書いて、カピバラさんをもらいました。



いまだにこれで遊びます、春海(=_=)  ※中3です




2008年。
このころはまだホールを買っている我が家(笑)




2009年

マリオのソフトをもらって大喜び。

サンタさんにお礼状を書いていました。
そのときのブログより↓

『まず、「ニュースーパーマリオブラザーズ、ありがとう」(お礼)。

そして、「今日さっそく遊んだよ、おもしろかったよ、途中でやめたらセーブできてなかったよ」(遊んだ感想)。

さらに、「パパにもファイナルファンタジーをあげてください、ママには第301飛行隊長菅野直大尉の紫電改をあげてください」(親孝行)。

最後に、「できたらピカチューの大ぼうけんポケパークWiiをください」(さらなるおねだり)。

パパはこれを読んで、春海のあまりの強欲ぶりにあきれ果てていましたが、ママはそうは思いません。
起承転結のある、サンタさんへのすばらしいおねだり・・・・いや、すばらしいお礼状じゃないですか!』




2010年

この年はちょっとかわいそうだった(^^;)
ブログで見てね。



2011年
ブログより↓
『朝起きたら、春海の枕元にサンタさんからのプレゼントが。

よかったーーーーー、生きたひよこじゃないーーーーー(ToT)

ブツはコレでした↓

大喜びするかと思いきや、ママのところにどんよりした表情でやってきて、
「ママー、はーちゃん、ピンク頼んだのにな、違う色がきたーーー(-_-)」




どこに「ピンク」なんて書いてるんだよっ!?
「ポケモン図かん」しか書いてねーだろう!!

去年の「ドラえもんの四次元ポケット」→「ドラえもんの腹巻き」はさすがにちょっと気の毒かな、とも思いましたが、今年は春海の勝手な言い分にブチッ♯


「いらんのやったら、すぐサンタさんに返品し。他に欲しい子がいたら、そっちに再配達してくれるわ(--#)」

「いやだー」

朝練から戻ってきて、ずっといじっていますが』





2012年

『春海、今年のクリスマスはパパから3DSLLとやらを買ってもらいました。
※サンタさんからはナシ』




2013年

愛媛に行っとったみたいです。
K上飛曹と。





2014年

ショートケーキ食べ比べとか、アホなことをしとりました(^^;)





2015年

ショートケーキ食べて・・・・


自分がもらったクリスマスプレゼントだけ出していました(^^;)


春海は何かもらったんかのう?




今年は・・・・なしやったのう(笑)