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南のおみやげ2016年12月01日 12時35分17秒

先日、こんなおみやげをいただきました♪



右下のラップに包んであるのはバームクーヘンです。

ご自宅用に買って来られたのではないかと思うのですが、おいしいからっておすそわけで持って来てくださいました。

わーい(*´▽`*)



国際通りの黒糖のバームクーヘンらしいです。
その場でいただきました、ペロッと(笑)


おいしかったです♪



春海に話したら、

「なんで持って帰って来んのや"(-""-)"」

と叱られました( ;∀;)


今度から黙っていようと思います。

篆書体2016年12月01日 21時50分41秒

てんしょたい――です。

先日見せてもらった島田清守さんの遺品の中に集印帖がありました。

あとで見たら、それは瑞鳳から返って来た遺品のひとつだったのですが・・・・。



神社などの朱印が押してありました。

ほとんどはパッと見て何と書いてあるかわかったのですが、どうしてもひとつだけ、横にしても斜めにしても読めないものがありました。

どうも篆書体という書体で彫られているようでした。



わたし、いちおう履歴書には「文学部史学科卒」って書くんですが。

考古学専攻だったので、歴史的な文書類はまったく読めません( ;∀;)

もちろん、篆書体なんか読めません。



最初はネットで調べようとしたんです。

しかし、文字の予想がついていたらネットでも調べられるのですが、まったく予想できないとなるとネットで調べるのは難しいです。

「これはやっぱり紙で調べないとダメだ」 ←アナログ人間


それで、上司に
「篆書字典、持っていませんか?」
って聞いてみました。

上司なら持っているんじゃないかと思ったんですよー、でも、
「持ってない」
って言われてしまいましたorz

まあ、フツーは持っていませんよね。


ただ、
「図書館にあるんじゃないの?」
という貴重な助言もいただきました!


調べたら図書館にありました。

一昨日、行ってみたら休館日でした(;´Д`)


で、今日、再び図書館に行ってみました。
開いていました。
篆書字典もありました。


そして、島田さんの集印帖の中にあった、どうしても読めなかった印がやっと解読できました!


ものすごく重大な発見、とか、そういうわけではないです。
どこで押したものかの想像はついていたので。
宮崎です。
宮崎で押されたであろう印に書かれている文字が読めないのが癪で、意地になって調べていました(^^;)

9期生は艦務実習のときに宮崎に行っているんです。
残念ながら宮崎滞在時の写真は見たことがないですが、松本勝正さんが艦務実習中に実家に宛てた手紙に宮崎のことが書いてありました。




集印帖のことはあらためて書きます。

原始人に服を着せる2016年12月02日 12時10分20秒

先日、ある写真を見て、一日、そのことが頭から離れなくなってしまいました。

いや、いまだに離れていません。



沖縄県博の図録です。
港川人の特別展をやっているみたいです。

そこに原始人模型の写真が何枚か載っていました。
ルーシーはまあいいとして、ネアンデルタール人、北京原人、港川人の模型が全裸だったことに衝撃を受けました。
※ネアンデルタール人だけは肩に毛皮を掛けていました



こんな感じ↓


そのまま出したらまずいので、簡単なイメージイラストにしてみました。





わたしのイメージでは、






ちゃんとした衣服は着ていなくても、何かで股間だけは隠しとるだろうと、そういうイメージでした。

ギャートルズみたいに。



「原始人は全裸やったんか・・・・全裸やったんか・・・・」


この疑問を何でも知っている上司にぶつけてみました。

「港川人復元模型が全裸なんですが・・・・」


うちの上司はこういうおバカな疑問にも真剣に答えてくれます。

「実際は何か着ていたのではないか。ただ、復元して着せるとなると、根拠が必要になって来るから、はっきりわからないならいっそ着せない方が・・・・となったのではないか」

と推測されていました。


なるほど。


たしかに、腰巻でも葉っぱでも、それを復元模型につけるとなると、考証が必要ですよね。
マンガならテキトーに腰巻をつけてよくても、博物館で復元模型を展示するとなると、
「あの腰巻は実際に出土しているのですか? 素材は何ですか?」
と言ってくる人がいるかもしれません。


そーか、よくわからないから全裸復元なのか。



その日は、

「じゃあ、人類はいつから、何がきっかけで服を着るようになったのか」

ということを一日考えていました。


ネットで検索したりしたんですが、結局わかりませんでした。
※アイスマン(5300年前)の記事がとってもおもしろかったのは収穫でした


上司が言うには(くだらないことばかり話題にしてくる部下でスイマセン(>_<))、寒いとか、そういう現実的な理由から着始めたんじゃないか、と。
あと、狩りをするために森の中に入るときに枝や棘で怪我をするのを防ぐ目的もあったかもしれないですね。樹木に紛れる(迷彩目的)とか。
たしかに、「裸、恥ずかしい」という心理的な理由から着始めたのではないだろうな、とは思いました。

ということは、わたしがイメージした、腰に毛皮を巻いたり、股間を葉っぱで隠したり、っていう原始人イメージも間違っているかもしれません。
「服を着る」というより、「股間を隠す」ということをしているだけの原始人イメージ(笑)

復元原始人の「股間を隠す」のは、現代人の「恥ずかしい」という心理がそうさせている部分もあると思うんですよね。

寒かったら、股間を隠すよりまずもっと全体的に覆いますよね。


こうだったかもしれない。

いや、おかしいやろ(゚∀゚)

寒い、とか、森の中で狩りをするときに棘や枝が危険というなら、股間を隠すという行為は真っ先にやったかもしれないですね。
上半身を覆うなら、きっと下半身も覆っていますよね(^^;)
大事な部分なんで。



こんな感じでしょうか?

クツを履かせるなら脛あても・・・・ってなるんですよね。

素材は何だ、とか。



当時の環境も考証しないといけないです。
服が必要なほど寒かったのか。
周辺は野っぱらだったのか、森林だったのか。

狩りでどんな動物を捕まえていたのか(毛皮の素材)。


服を着ていたのかいなかったのか、着ていたとしたらどんな服か、考え始めたらけっこうややこしくてですね(^^;)



結局、

ここに戻ってきます(笑)





日本では縄文時代に布があった、とか、弥生時代では銅鐸絵画や土器絵画に服を着た人が描かれているとか、そこらへんからだと「服」のイメージが沸きやすいです。

それ以前の人たちが何をどんなふうに着ていたのか。
イメージイラストみたいなのはネットに転がっているんですが、うちの上司が言っていたように、その考証の根拠を求めようとするとたしかに薄い(あるいは「ない」?)ような気もします。


ひとりごとです。

こんなことを考えていないで、預かっているおうち仕事を早く終わらせろって話です。

港川人は左利きだったのか2016年12月02日 12時48分11秒

わたしが見た復元港川人は左手に狩猟具(槍?)を持っていました。


これを見たとき、

「港川人は左利きだったんだろうか?」

と思いました。




以前なら、

「こんなもん、テキトーに持たせとるだけ」

と思ったでしょうが、いまは時代が違います。科学の発達で、

「そんなことまでわかるのか!?」

ってことまでわかるみたいですよ。
※アイスマンの記事


腕の骨が出ているのなら、もしかしたら左利きの証拠があるのかもしれないなと思って検索してみたのですが、わかりませんした。

どうやらこの槍はテキトーに持たせとるらしい(笑)



こんな細かいことまで「根拠はあるんか?」と気にする人がいるから、この港川人は服を着せてもらえないんだな、かわいそうに。

今日のトサキンさん2016年12月02日 15時16分42秒

一番大きなトサキンさん、まだらだった部分が完全になくなりました。

画像ではオレンジに見えるかもしれませんが、黄色みたいな色をしています。









今日はろ過装置をかえました。

いままでロカボーイコンパクトを使っていたのですが、どうも水量に合っていなかったようで。
あれ、たぶん10リットル以下の小型水槽用ですよね。トサキンさんのところは20リットル以上入っています。
水替えをしても水の濁りが取れていないような気がしたので、邪魔にならず、あまり水流が起きないよう、ちょっとだけ大きめのろ過装置にしました。

今回は水作スリム。

しかし、これね、いつも行くアクアショップに売っていなかったんですよ。

じゃあ、どこにあったんだ?

うちのきんぎょグッズ入れの底の方から出てきました(笑)

これとは別に2個入りフィルターの箱が2箱あったので、とりあえずは間に合うかな、と。

しかし、それがなくなったら、どこで買えば・・・・。

どこで買ったんだろうな? すっかり忘れているんです。

いざとなったら通販で買うか。