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乙10期 久保伊勢市さん2014年12月16日 09時36分57秒

夏ごろに乙10期の艦攻操縦員、久保伊勢市さんにお手紙を書いてみたところお返事をいただくことができ、そこから奥さまと文通していました。

乙10期といえば13年11月に横須賀の予科練に入隊した大ベテラン!
予科練史的には横須賀に入隊した最後の乙飛生です。
9期と10期は一緒に試験を受けて、どういう基準かわからないけれど、入隊時期を5か月ずらされたいわば双子の兄弟みたいなクラスです。
10期の方が平均年齢も上で元気が有り余っていたみたいな噂もちらほら・・・・(笑)

10期といえばこのブログにもたびたび登場するホリブンや戦闘303の西兼淳夫飛曹長、582空の向島クロちゃんとか、自分にとっても親しみのあるクラス(←勝手に)です。

さらに、9期と10期だけが横須賀、霞ヶ浦、土浦の3航空隊を経験。

久保さんに尋ねてみたいことはいーっぱいありました。



んで、今回、久保さん宅を地元史研究家の方と一緒に訪問してきました(^o^)



いきなり「すいせい」で出撃!(・∀・)
久保さん、艦攻なんですがーーーー(笑)
まあ、いいか。


さすがに「すいせい」だけあって、空を飛びましたよ! 
ポンコポンコ飛びながら走りました。
わたしの知人で春海から「酔う人」と呼ばれている戦史研究家さんがいるんですが、かれなら確実に轟沈していたでしょう(笑)
わたしは無事でした(*´▽`*)



寒いから家で待っていてください、と言っておいたのですが・・・・(^^;)
ご夫婦で迎えに来てくださっていました。

久保さんは戦争中に25番を二人で運搬していて背骨を傷めたそうで、戦後も後遺症に悩まれた、ということは手記を読んで知っていました。
なので、外出など大変なのではないかと心配していたのですが、自転車はスイスイ操縦されていました。




これ、久保さんです。
雑誌の表紙を飾られたそうです。




久保さんは愛媛県出身で、大正11年生まれ。羽藤さんや遠藤秋章さんと同学年です。
9人兄弟の末っ子だそうで、高等小学校を卒業して、ちょっと仕事をしてから予科練に入られたそうです。




適性検査(14年11月)


予科練、2等航空兵時代(15年1月1日~10月31日)

飛練は谷田部。

専修は艦攻操縦。

卒業後は支那方面艦隊司令部附(戊基地)からスタート。
馬公警備府附(このとき爆弾運搬で負傷)、兵役免除になりかけながらもなんとかとどまり大村空教員、1081空(厚木)。

この間、何度か入退院を繰り返されたそうです。




わたしの声が聞き取りにくかったようなので、わたしはスキャンに重点を置いて、お話を聞くのは同行の地方史研究家の方におまかせしました。その方の声は聞き取りやすかったようで、地元ネタ中心に話が弾んでいたようです(;^ω^)


ときたま、
「これは8期の宮本さんで・・・・」
「これは同じ艦攻操縦で・・・・」
「これはどこどこの出身で・・・・」
と声が聞こえてきたら、
「いまの話、メモっておいてください!」
と地元史研究家の方にお願いして。


久保さんの復員のときの話もなかなか興味深かったです。
何人も乗れる練習機(機練?)で、基地を何か所か、いろんな人を便乗させてまわったそうですが。
最後は、松山基地まで「燃料足らんかも!?」と思いながら飛んで帰って来たそうです。ギリギリで足りたそうですが、その間、しっかりと郷土訪問飛行も果たされていました。

自宅上空を飛んだそうです。



「そういうことってあるんだー」とおもしろかったのが、その久保さんのラストフライトを目撃した人がいてですね!

奥さまなんですよ!

当時は久保さんのことはまったくご存じなかったそうで(近くに飛行機乗りになっているのがおる、ぐらいはご存じだったそうですが)。

終戦から数日後にお父さんと畑で草むしりをしていたら上空を旋回する飛行機が。

すわ!米軍か!!

逃げないと撃たれる!

と慌てたらお父さんが、

「日の丸じゃ!」

んで、見ていたら、その飛行機からハラハラと何か落ちてきたそうです。

マフラーが落ちてきたそうです。


なんと、それ、久保さんが操縦席から落としたマフラーだったそうです(ご本人に確認)。


その後、縁あって一緒になられたそうですが。


「そんなことあるんだー( ̄▽ ̄)」





3時間ほどお邪魔していましたがあっという間でした。

写真をじっくり拝見させていただいてからまたじゃんじゃん質問しようと思っています(^_^)


本当に楽しいひと時でした、ありがとうございました(^o^)

肩書2014年12月16日 14時08分44秒

今回参加した会合で配られた出席者名簿。

わたしにも勝手に肩書がついていました(笑)

「搭乗員研究家」


これ、自分で名乗ったことありませんよ!(;^ω^)

ここの会、いつも勝手に肩書を考えてくれます(笑)



わたしのブログによく登場する「戦史人物経歴研究家」さんですが、たしかこの人もこれを自ら名乗っているわけではなく(笑)、この会が勝手につけた肩書だったと記憶しています。
便利いいので便乗してわたしも使わせてもらっています(笑)
たぶんもうみなさん、実名までご存じだと思うんですが(^_^;)



本人に確認とらずに勝手につけてくれるので、たまに間違っていることもあり(;^ω^)

画像の上の方に「遠藤秋章の甥」「山崎一郎平の甥」って書いてありますが、これも違いますからね(-_-;)

でも、ムキになる人もいないようです。愛媛、みな、おおらかです(笑)

わたしも
「搭乗員研究家じゃない! 海軍搭乗員救命胴衣股間紐研究家に訂正してくれ!」
って抗議はしませんでした。





みんな、わたしが冗談で名乗っていると思っているでしょう?

そう冗談でもないんですよ。

いちおう、旅行中も資料収集してきました(・∀・)

実物の観察は不可能だったので・・・・
イラストを見ると、飛行機は1点方式みたいです。

船は股間紐がないようです。





O大尉の遠縁の方にも聞き取り調査(?)。

海自は2点方式。
救命胴衣股間紐ではないですが、知人で落下傘の縛帯で股間を負傷した方がいらっしゃるとか。
この話、海軍搭乗員の方にも聞いたことがあります。
落下傘の縛帯はきつく締めておかないと、緩いと落下傘降下したときに大事な所をつぶしちゃうそうです(>_<)


ちなみに久保さんは中心結び(1点方式)です。


よし、これで来年の肩書は「海軍搭乗員救命胴衣股間紐研究家」になっているだろう( ̄▽ ̄)