乙2飛練の件 追記 ― 2023年04月23日 22時39分16秒
前の江島空曹長に関する投稿で出した9年9月の行軍写真。
『浅川さんの履歴を見ると昭和9年10月1日付で第二期飛行練習生を命ずなんですよね。しかし霞空付は8月。どうなっているのかと思っていたけれど・・・・。9月の時点で霞空の教官に引率されて行軍に行っていますねえ。どういうことだろう? この写真の期間は霞ヶ浦海軍航空隊の人間だけど、飛行練習生ではない期間だったのでしょうか。そのときお世話をしていた江島分隊士がそのまま飛練の教官になったってことなのかな?
上3枚の写真に分隊長なのか同じ大尉さんが写っていますが、この人は乙2飛練の集合写真には写っていないようにあります。』
と書いているのですが。
乙2期生の予科練卒業から飛練までの流れ
昭和9年5月1日 予科練卒業
艦務実習
8月22日 霞ヶ浦海軍航空隊付
10月1日 第二期飛行練習生を命ず
ブログを見てくれた知人の情報提供で事情がわかりました。
霞空付になって40日ほど(ちょうど上の行軍写真の期間)、何をしていたのかと思ったら、操偵適性検査の期間だったそうです。
『予科練外史』にも書いてありました。
※ただ、そこに書かれている規定?がわたしにはまだよく呑み込めていない
上の写真、よく見たら偵察員の迫義彦さんが写っていました。
まだ操偵がわかれる前の状態なんですね。
そういえば乙2の卒アルの個人写真は班別になっているんですが、操偵混合です。
なるほど、「予科練時代に操偵検査をしていないから」ということか。
納得しました。
乙2は、
予科練→艦務実習→操偵検査→飛練(初練→中練)→延長教育(実用機)
ちなみに乙9は、
予科練(操偵検査→艦務実習)→飛練(中練→実用機)です。
Mさん、ご教示感謝です。
乙2飛練の江島教官 ― 2023年04月23日 15時37分41秒
昨日、ちょっと江島友一大尉について触れたんですが。
ブログを読んだ知人が、
「霞ヶ浦航空隊で浅川さんの乙2飛練の教官もされていますよ」
と連絡をくれました。
「えっ!?(゚Д゚;)」
浅川さんの飛練時代は昭和9年8月~10年4月。
初練卒業記念、昭和9年12月1日の書き込みあり。
後ろはツェッペリン格納庫。
いてはりました!
江島空曹長!
浅川さんとは加賀時代の上官部下ってだけでなく、飛練時代の師弟関係だったのですね。ビックリです。
※浅川さん、教員とのペア写真では乙訓輪助教員と写っているので、江島教官に直接手取り足取りしてもらったかどうかは不明です。
この方、ご存じの方も多いのでは?
真珠湾攻撃時の翔鶴飛行隊長の高橋赫一さん(兵56)です。教官、分隊長かな?
乙2飛練の集合写真に写っているのですが、なぜかいつも江島教官のとなりに座っています。別に”仲良し”だからとかそういうことではなく、たぶん序列でそう座っているだけだと思いますが。
高橋さん、他にも何枚か写っていました。氏木さんの写真にも写っていましたね。
こちらは中練卒業記念だそうです。
江島教官。
そのとなりに高橋さん。
これは何も書き込みなし。
江島教官。
となりの高橋さん。
これで終わりじゃないんですよ。
探したらいっぱい写っていました。
「9.9.」と書いてあるのは昭和9年9月という意味なのか、昭和9年9月9日という意味なのか?
筑波山神社。
これも「9.9.」。
小田城跡。
「9.9.」
鹿島神宮、御手洗池前。
日付は昭和9年9月なんでしょうけど、浅川さんの履歴を見ると昭和9年10月1日付で第二期飛行練習生を命ずなんですよね。しかし霞空付は8月。どうなっているのかと思っていたけれど・・・・。9月の時点で霞空の教官に引率されて行軍に行っていますねえ。どういうことだろう? この写真の期間は霞ヶ浦海軍航空隊の人間だけど、飛行練習生ではない期間だったのでしょうか。そのときお世話をしていた江島分隊士がそのまま飛練の教官になったってことなのかな?
上3枚の写真に分隊長なのか同じ大尉さんが写っていますが、この人は乙2飛練の集合写真には写っていないようにあります。
「9.10.」。
日光東照宮陽明門前。
「9.10.」。
日光華厳の滝。
「10.1.」
日立鉱山見学。
この時は高橋大尉も同行。
これ、いつ、どこでかわかりません。
後ろはお屋敷? 塀には忍び返しがついています。
寒い時期なんでしょうか。
江島教官は左から2番目ですが、外套着用です。
時期不明。
成田山新勝寺。
右前で外套を着ているのが江島教官。
上の写真と同じ日なのかなあ?
というわけで。
行軍引率中の江島教官でした。
※画像は浅川さんご家族ご提供
「江島大尉」 ― 2023年04月22日 15時51分57秒
前の投稿で紹介した乙15加藤海造さんの飛練29期筑波中練時代の集合写真に、
「この人、見たことあるんだよなあ」
って人が写っていました。
士官列。
階級章は大尉。
こちらは士官列の中央なので、写っている中で一番エライ人。
どこで見たんだっけー?
筑波空なので、もしかしたら大澤さんかな?
と思って、大澤(旧姓町谷)昇次さんの筑波空教員時代(17年2月~18年5月※『最後の雷撃機』)の集合写真を見てみたら、いらっしゃいました!!
下の飛行服の集合写真の方には数名の方に線が引っぱってあって、この人には「江島大尉」と書いてありました。
どちらの写真も階級章は中尉ですが、大澤さんがいてはる間に大尉に進級されて「江島大尉」という認識だったのでしょうかね。
どうやらこの方が「江島大尉」という方だということはわかってすっきりしたのですが、今度は、
「どこの”江島大尉”だろうか?」
と気になってネットで検索したのですが引っかかりませんでした。
そこで、メール中だったTさんに、「江島大尉、知らないですか?」って聞いたら、
「操練4期の江島友一大尉ですよ、特務士官たる海軍大尉ですよ」
とのことで。
おおおーーーー(゚Д゚;)
大正10年に海軍に入った方だそうで。
神様みたいな人ですな。
「加賀艦攻隊におられたので浅川さんの写真に写っているのでは?」
「え?(^^;)」
すぐに確認しました。
13年5月の加賀飛行機隊総員集合写真に写っていました。
わたし、ちゃんと「江島友一」とフルネームで書き込んでいました。
忘れっぽくてスイマセンorz
※画像は浅川さんご家族、大澤さん、Wさんご提供
予科練生と桜 ― 2023年04月01日 09時39分17秒
毎年恒例にしようかしら、予科練生と桜。
※追加あり
予科練生のアルバムにあった桜の写真です。
白黒なのでちょっとわかりにくいかと思いますが、カラーで見たらさぞかし美しい春の景色だと思います。
霞ヶ浦海軍航空隊。
(4枚目は不明。アルバムの貼り位置からおそらく霞空)
亀城公園。
桜川。
これは乙2浅川三雄さんのアルバムにあった写真です。これも桜ですかねえ。
場所や時期は不明です。
神雷部隊の片桐清美さん(丙15)と宮崎泰弘さん(丙17)のようです。
※画像は甲4福谷知康さんご遺族、9期生ご遺族、浅川さんご家族ご提供
操練46期 馬場さん ― 2023年03月07日 14時18分41秒
2年近く前に浅川三雄さん(乙2)の百里原航空隊時代の練習生とのペア写真について取り上げたことがあります。
後列が練習生なんですが、名札のお名前から、「井上」さん、「馬場」さん、「中川」さん。
いろいろ考証した結果、左から操練46期の井上誠さん、馬場康郎さん、中川貞信さんだろうと書いています。
ところが、最近になって、馬場康郎さんのお孫さんから、
「(康郎さんとは)顔立ちが違う気がします」
とのご指摘が。
どうして真ん中の練習生を馬場康郎さんと判断したかというと、
まず名札の氏名が「馬場」に見える。「場」は言い過ぎとしても、2文字目の右側は「昜」だろうなと思ったので、そういう方針で練習生を探したところ、馬場康郎さんと馬場将尋さんのおふたりが該当者である、と。
運よくというか何というか、おふたりは操練時の兵科が違っていて、康郎さんが水兵、将尋さんが航空兵でした。※Kさんご教示
名札に「四分隊 〇水」って書いてあるように見えたので、
「そうか、じゃあ水兵の康郎さんだな!」
と思いました。
ちなみに将尋さんなら「〇空」です。
その後、康郎さんの芙蓉部隊時代の写真を書籍(吉野泰貴『海軍戦闘第八一二飛行隊 日本海軍夜間戦闘機隊”芙蓉部隊”異聞』大日本絵画)で見つけたので見比べて、
「不鮮明だけど、別人という感じではないな」
と思ったので、この人が馬場康郎さんみたいです、って書いていました。
お孫さんが「違う気がする」と言われているので、再考証しなおしてみました。
もしかして、操練46期に他に水兵の馬なんとかさんとか、馬場なんとかさんがいるのか?
Kさんに尋ねてみたところ、把握しているのはおふたりだけということでした。卒業前にやめていたりしたらわからないとのこと。
なるほど。
やっぱり水兵の馬場さんは康郎さんのみ。
これは浅川さんの操練46期集合写真の、ペア写真「馬場さん」と同一人物思われる人です。
こちらの写真では階級章とか善行章とか、他にヒントになりそうなものは見えません。
「そうだ!」
あの投稿の後で、知人から見せてもらった別の操練46期集合写真に、全員ではないんですが記名があったことを思い出しました(元々の所有者である搭乗員が書き込んだものと思われる)。
藁にもすがる思いでそれを見てみたところ・・・・。
浅川さん集合写真でわたしが「馬場康郎さんでは?」と指摘していた人と同一人物と思われる人に記名がありました。
※色調調整済み
が、ぐちゃぐちゃっと書いてあってはっきりわかりませんでした。わたしはこの人がペア写真の「馬場さん」と同一人物だと思っているから「馬場」と書いてあるように見えるんですが、ただの願望がそう見せているだけかもしれないと思って、事情は話さずにいまの持ち主である知人に、「これ、なんて書いていてあると思いますか?」って聞いてみました。
そしたら「自信がないけど馬場かなー」ってお返事が。
「馬場さん」には違いなさそう。
さらにその返信にはとっても有益なことが書いてありました。
「太田さん(台南空の太田敏夫さん)の左二人隣にも同じ書き込みの人がいます」
って。わたしは全然気づいていませんでした、それ。
太田さんの左の左の人を見てみました。
「あ! ホンマや!」
浅川さんの集合写真ではこの人です。
この2枚を、書籍掲載の芙蓉部隊時代の馬場康郎さんの写真と見比べてみると、やはり「別人という感じではない」という感想ですかね(^^;)
鮮明ではないし小さいので断定は難しいです。
いや、たぶん、こちらの方が康郎さんなんですよね。
操練46期の馬場さんはおふたりだけ。もう一人の馬場さんはお孫さんが「違う気がする」と言われているので将尋さんでしょう。ペア写真の名札の階級は「水」ではなく「空」と書いてあるんでしょうね。
本当はこの記事もお孫さんに確認していただいてから出そうと思っていたのですが、連絡が取れないので(^^;)
間違っているなら早く訂正しておきたいという気持ちもあって上の考証で出してしまいました。
記名した人の記憶違いがない限り、こちらの方が馬場康郎さんでしょう。
たいへん失礼いたしました。
※画像は浅川さんご家族、Mさんご提供