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秋の長谷寺 <奈良県桜井>2025年12月01日 14時25分11秒

長谷寺は何度か行っているのですが、紅葉シーズンに行くのはもしかしたら初めてかもしれません。

――と思って過去を遡って見たら、2021年に『燃えよ剣』の映画を見て触発され、11月初旬に長谷寺に行っていました💦
画像を見返すと紅葉し始め・・・・の感じでしょうか。

昨日は全盛期ちょっと下り坂な感じでした。






夕方に行きました。
長谷寺駅を降りて少し歩いたところで雨が降りはじめました。
わたしのスマホは暗いところがほぼダメなので撮ってきた写真も肉眼で見ているのと全然違う感じです。思い出しながら調整(加工)した写真を出します。


1530頃到着。
昼間はどうかわかりませんが、わたしが行った時間帯はそんなに人はいませんでした。
例の騒動の影響かどうかわかりませんが、奈良公園に多い(多かった?)特定の国の方もまったくいらっしゃいませんでした。

奈良盆地南の方の寺社は以前からけっこうそんな感じですが。



この登廊の途中に宗宝蔵という寺宝の展示室があります。
わたし、いままで知らなくてですね💦
今回は秋季寺宝展の案内が途中に掲示されていたので気づいて入ってみました。
長谷寺の再建に貢献した豊臣秀長に関する収蔵物が多く展示されていました。
やっているのを知っていたらwもっと早く来たのに。



展示を見終わって登廊を登っていたらまたまた途中にこんな誘惑が!
「なんですと!? お寺の中にカフェ!?」

メニュー見てくださいよ。
わたしが食べられそうものがいっぱい!
知っていたらもっと早く来た!!(ノД`)・゜・。


しかし時間がないので泣く泣くスルー。
たぶん期間限定ではなさそうなので、また時間を見つけて、これメインで行ってもいいかなと思います。もちろんお参りもしますよ!









舞台にまわってみました。
なんと! 五重塔が修理中で覆いがかぶされていました。

塔が見えているとこんな感じです。※2021年11月7日撮影
昭和29年建造の、奈良としては新しい塔ですが、令和の大修復に入っていてしばらく見られないのかな?











上から登廊の屈折点に降りて行く石段があるんですが、そこに菊の鉢植えが並べられて「菊回廊」というイベント?をやっていました。

ちなみに、
紫陽花の時期は「あぢさゐ回廊」をやっています。※2023年6月16日撮影














豊臣秀長公御朱印。
来年の大河が『豊臣兄弟』だからか、そろそろ秀長公グッズも目に留まるようになってきました。

兄に比べたら地味に感じますが。
豊臣政権を支えた偉大な弟です。
とにかく来年は「秀長公の時代キター!!」になってほしいです。



帰りは1700閉店の門前の草餅屋に駆け込みギリギリセーフ。
長谷寺と草餅はセットなのだ(*´ω`*)





ところで。
SNSに長谷寺行ったと投稿したら、「自分も夏に行った」と海の写真を送ってきてくれた友人がいました。
それ、鎌倉の長谷寺だから。
うちは海なし県・奈良の長谷寺だから。

こっちにもぜひ来てね(*´▽`*)

呪術廻戦2025年12月02日 23時17分28秒

呪術廻戦の映画をようやく見に行くことが出来ました。


娘の希望で、今回はムビチケで。

昨日ファーストデーで、明日レディースデーなんですが、ムビチケだと多少損な気がしたので値引きなしの今日行ってきました。空いていてよかったです。


娘の好きそうなシーンがてんこもりでしたよ。

次の特典が始まったらまた行くそうです(3回目)。






映画のあとは、最近できたゴンチャでひと休みして帰ってきました。



昭和16年12月5日「甲板上にて撮影をなす」真珠湾攻撃時加賀艦攻隊集合写真2025年12月05日 22時43分08秒

真珠湾攻撃を目前に加賀飛行甲板で撮られた艦攻隊搭乗員の集合写真。


艦攻隊総員集合写真。


北島一良大尉分隊集合写真。




鈴木三守大尉分隊集合写真。


もう一枚、牧秀雄大尉分隊の集合写真があるはずなのですが、わたしはお目にかかったことがありません。



以前からこれらの集合写真に関してはブログでたびたび話題にしており、特に飛行甲板中央部の風向標識に関する投稿はぜひぜひ読んでいただきたい記事です。

そこでもちょっと触れているのですが、今日はこれらの写真の撮影日に関して。
風向標識の記事には以下のように書いています(青字)。


『ちなみにこの加賀艦攻隊総員集合写真、書籍には12月7日、真珠湾攻撃の前日に撮影されたもの、という説明があるものがありますが、2021年12月に放送された「真珠湾80年 生きて 愛して、そして」という番組の中で紹介された加賀艦攻操縦員の北原收三さん(操50)の日記に12月5日に「記念写真を撮る」の記載が(ご遺族ご提供、Оさんご協力)。
北原さんは真珠湾攻撃で戦死されているので、日記は当日か遅くとも7日までには書かれていたもので、そういう意味では大変資料的価値が高い記述ではないかと思います。

北原日記の12月5日にはもう一つ注目の記述があって、
「一昨日来の暴風雨静まれども終日曇天小雨模様なり」
これなんですけどね。
総員集合写真を見ると飛行甲板のところどころに水たまりがあるように見えます。前日まで荒れていたらしいので波をかぶった可能性も無きにしも非ずですが、写真の様子からも晴天には見えません。天気の面からも「5日」で矛盾ないように思います。


ちょっと余談ですが、乙9期の島田清守さん(蒼龍艦攻隊)の日記によると12月5日は、
「次第ニ南下スル。昨日迄ノ荒天モ静マリト平常通リ「総員体操用意」ノ號令モカカル。飛行甲板ニ出ルト部隊ハ厳然ト進ム。各艦飛行甲板ニペラノ(不明。部員?)ガ有ル様ダ。攻撃ヲ前ニシテ、昨日、一昨日ト飛行甲板ノ作業モ出来ズ今日カラ一斉ニ初(始)マル。 飛行機ノ試運転ダ。」※( )はわたし注記
蒼龍ではこんな具合です。
蒼龍から見たら他艦も飛行甲板に飛行機を上げて試運転をしていたらしいので、きっと加賀も飛行機を飛行甲板に上げていたのでしょう。そのときに記念撮影もやった、ということだろうと思います。

というわけで、今回の話に直接関係はないですが、わたしはこの写真に関しては「12月5日撮影」説をとろうと思います。

余談の余談ですが、7日も加賀も蒼龍も飛行機を飛行甲板に上げています(北原日記、島田日記)。
お天気情報は北原日記「今日は暫く振りの晴天」。島田日記にはお天気情報なし。


と、ここまで書いてからの追記。
2023年9月に町元善春さんの遺品を見せていただいたのですが、同じ総員集合写真がありました。
どなたが書かれたのかわかりませんが裏に手書きで「昭和十六年十二月七日撮 布哇攻撃前日 加賀艦攻隊総員」と書かれていました。
「やはり7日なのか?」
正直、揺れています。
北原さんが日記に書いている5日に撮影した「記念写真」はこの集合写真のことではないのか?

総員集合写真の撮影日に関しては、機会をあらためてゆっくり考えてみようと思っています。』


この件は、何か新しいものが出てこないと決着がつかないと思っています。
これ以上いくら写真を眺めても進展しないだろうな、と。


ちょっとだけ進展がありました。
進展というか、援軍というか。

先日知人から本をお借りしたんですよ。
大戸喜一郎という人が書いた『若鷲のふる里』という本です。
甲飛4期の真珠湾戦没者のふる里を訪ねたときのことを随想風に著した本です。
それぞれが育った土地の様子や、両親との面会の様子、本人の幼少期の話など、貴重な内容がたくさん。
著者が訪ねたのは、記載順に書くと、
武田英美さん
外山維良さん
桑原秀安さん
大西俊夫さん
熊本研一さん
坂本清さん
梅津宣夫さん
長井泉さん
の8名です。


かれらのことは別途書きたいと思います。


この大戸喜一郎という人、本の奥付の横にあった著者紹介によると、
早大英文科中退、少年作家として著書あり。海軍省年兵に就いて研究すること既に七年におよぶ。
とあります。
これだけじゃ、なんのこっちゃ全然わかりません。
ネットで検索してみました。1897年生まれ、1961年没らしいです。
著書の画像がいくつか出てきました。『日本海大海戦』『前世界探検』『炭焼キ爺サン』

奥付によると発行は昭和19年9月20日、発行所は輝文堂書房。
ちなみに価格は2円70銭。




今日は長井泉さん。

『若鷲のふる里』の中に、長井さんの真珠湾攻撃時の日記の記述があったのです。

その中に、「甲板上にて撮影をなす」と書いている日がありました。

「こ、これはっ!(;゚Д゚)」

大戸さんが取材し活字化されたもので、日記現物の画像が掲載されているわけではありません。しかも伏字が多いです。日付も伏字、地名も伏字。
長井さんが「甲板上にて撮影をなす」と書いている日も「○○月○日」になっています。
なので、北原さん日記と照合して日付を入れてみました。共通して特定の行事を書いてくれていると日付が特定しやすいです。
その結果、日付的には『若鷲のふる里』に引用されている長井さんの日記は、11月19日~12月5日までと判断しました。
途中、11月23日と24日は抜けています。11月23日・24日というのは単冠湾に停泊している期間です。長井さんが書いていなかったのか、大戸さんが敢えて本に転載しなかったのか、そこはわかりません。
長井さんの日記現物を見てみたいですけどね。

が、現時点で見ることはできないので、『若鷲のふる里』に転記されているものを信じて、ちょっと考えてみたいと思います。


まず、長井さんの日記の伏字の件。
例えば、
○○月○○日 段々と暖かくなったような気がする。四日も島も見えず寂しさ一人身に沁む。(以下略)
○○月○日 遂に○○となる。思ひを故国の上に走らす。(以下略)
こんな感じです。

日付と、何か軍の機密めいたことが伏せられています。
これ、たぶん日付は伏せてあるけれど、内容から察するに、日付順にきちんと並べられているだろうと思いました。
そこで、同じ加賀艦攻隊だった北原修三さんの日記の記述と見比べながら日付を検討してみました。北原さんの日記は日付がきちんと入っていますし、ほぼ伏字なしです。下表で●になっているところはわたしが読めなかった字です。

北原收三さん(操50)


日記に書いている日課を比較検討したら、長井さんの日記はこんな感じで日付が入りました(単冠湾を出港した11月26日~12月7日分)。
日記に書いている日課を中心に抜き出したものです。

よく見たら、大戸さんは日付を伏せているけれど、「十一月三十日」は「○○月○○日」、「十二月一日」は「○○月○日」と伏せた文字数と○の数を合わせていました。ありがとうございます。
※上に引用した太字部分は11月30日と12月1日分です。


とまあ、こんなわけで、長井さんが「甲板上にて撮影をなす」と書いている日は12月5日で間違いないです。
北原さんが書いている12月5日の日記の内容とかなり一致しています。




風向標識の記事で触れた天気についても比較しました。


加賀艦攻隊の長井さんと北原さん、蒼龍艦攻隊の島田清守さんの日記に書かれていた天候に関する記述です。
さらに参考までに、戦史叢書に掲載されていた第8戦隊司令部首席参謀藤田菊一中佐(機動部隊に同伴)の日誌とやらからのお天気情報も併記しました。

これらを見ると12月2日夜ぐらいから荒れ始め、3日、4日は猛烈に荒れていたことがわかります。
3日には加賀で作業中の下士官が海に転落する事故が起きています。長井さんは落ちたのは「下士官一名兵一名」「助けられしとか聞く」と書いていますが、北原さんは「四分隊先任下士官山本一曹」が波に飲まれたとしか書いていません。実際、何人落ちたのか、その後どうなったのか、これに関して調べようとしたのですが、詳細が書かれたものが見つかりませんでした。


とにかくようやくこの荒天が一段落したのが5日。
ただし晴天には戻らず、「風次第に弱くなり、海上平穏となる。雨尚降る」(長井日記)、「一昨日来の暴風雨静まれども終日曇天小雨模様なり」(北原日記)。
この状態で各艦飛行機を甲板に上げ作業をしたようです。それは島田さんの日記にも描かれています。
「次第ニ南下スル。昨日迄ノ荒天モ静マリト平常通リ「総員体操用意」ノ號令モカカル。飛行甲板ニ出ルト部隊ハ厳然ト進ム。各艦飛行甲板ニペラノ(不明。部員?)ガ有ル様ダ。攻撃ヲ前ニシテ、昨日、一昨日ト飛行甲板ノ作業モ出来ズ今日カラ一斉ニ初(始)マル。 飛行機ノ試運転ダ。」※( )はわたし注記


見ていただきたいのは写真の影と飛行甲板の様子です。
どう見ても晴天下の撮影ではないし、飛行甲板には水たまりが残っているように見えます。
分隊集合写真も装備などから同じ日ほぼ時間をおかずに撮られたものと判断しています。いずれの写真も同じ状態です。

藤田参謀がこの日「視界不良」と書いているんですが、加賀艦攻隊の総員集合写真も最前列の人たち(北原さんとか)と最後列の人たち(長井さんとか)の明瞭度を比べると、後列になるほど明らかにもやっている感じがあります。
搭乗員たちの背後の97艦攻もちょっとぼやけています。

5日の天候状態と矛盾ないと思われます。



お天気的な意味では6日も可能性は残っているかと思います。



では巷間言われている「7日撮影」、この可能性はないのか?

北原さんは「晴天」と書いています。

藤田参謀も「天気は益々良」。

戦後に書かれた手記なんですが、金沢秀利さん(乙8、飛龍)は7日の天気を「快晴、視界良好」と書いています(『空母雷撃隊』光人社NF文庫)。


一日中天気がよかったのか、それとも基本晴天で時々曇ってその隙に写真撮影されたのか、いやー、そこがわからないんですよね💦

一日中晴天だったらあの写真は撮れないと思うんですよ。

リアルタイムで書かれた日記の記述的にも、お天気的にも、5日の可能性が高いんじゃないかとわたしは思います。



※画像は8期生・9期生ご遺族ご提供。
北原收三さん日記はご遺族所有、Оさんご協力。

真珠湾攻撃に参加した甲4期生2025年12月08日 19時02分44秒

というタイトルで何か書こうと思って取り掛かりはじめたら、思った以上に人数が多くてとてもわたしの能力で手に負えないと観念して、「加賀艦攻隊の甲4期生」という内容になりました。
※202512102242母艦上空警戒任務に就いていた蒼龍・野村栄良さん、翔鶴・佐々木原正夫さんと一瀬寿さんを予備員に入れてしまっていたので表を作り直しました。申し訳ないです。






真珠湾攻撃前(たぶん12月5日)に加賀飛行甲板で撮影された艦攻隊総員集合写真(正確にいうと総員ではなさそう)。

ここに写っている甲4期生。
黄色い〇がついているところにいます。

前列から、左から。 ※予備員は操偵の別しか記載していません
西村武さん(福岡)
予備員、偵察



大場八千代さん(佐賀)
第1次攻撃隊 水平爆撃隊 電信員



坂田恵介さん(熊本)
予備員 偵察



田村三郎さん(新潟)
第1次攻撃隊 水平爆撃隊 電信員




梅津宣夫さん(山形)
第1次攻撃隊 雷撃隊 電信員
行方不明
※熊本さんとペア



熊本研一さん(宮崎)
第1次攻撃隊 雷撃隊 操縦員
行方不明
※梅津さんとペア

飛練卒業時(大村)の集合写真から



大西俊夫さん(香川)
第1次攻撃隊 雷撃隊 電信員
行方不明



倉嶋三郎さん(新潟)
予備員 偵察



長井泉さん(熊本)
第1次攻撃隊 雷撃隊 操縦員
行方不明

飛練卒業時(大村)の集合写真から



武田英美さん(高知)
第1次攻撃隊 雷撃隊 電信員
行方不明



平田義幸さん(広島)
第1次攻撃隊 雷撃隊 操縦員



武信太助さん(大分)
予備員 操縦

飛練卒業時(大村)の集合写真から


基本、甲4の卒業アルバムの写真をもとに探しています。
真珠湾戦没者に関しては、『若鷲のふる里』にも遺影が掲載されています。
加賀の集合写真と大村の集合写真には氏名は入っていません。
加賀の写真に関していえば、一部氏名が入っている写真もあるようですが、間違いがあるのではないかと思っています。
その検討過程はまた時間があればここで紹介します。

とにかく現時点ではわたしは上のように理解しています。

加賀の甲4期生がこれで全員かどうかはわかりません。
出撃搭乗員は編制表から全員わかっていますが、出撃しなかったいわゆる予備員と言われている人たちに関してはこれで全員なのかどうかわかりません。”総員”集合写真もたぶん写っていない人がいると思われますので。



真珠湾の編制表を見たら一目瞭然ですが、加賀の被害は艦攻隊雷撃隊の第2中隊に集中しているんですよね。
攻撃隊全体(赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴)で見ても、艦攻隊の被害としては水平爆撃隊の未帰還機は0、雷撃隊の未帰還機は5。すべて加賀の雷撃隊です。








真珠湾攻撃に参加した甲4期生。
出撃搭乗員は吉良敢・吉野泰貴『真珠湾攻撃隊 隊員列伝』巻末付表から。
予備員はKさんご教示、行動調書や集合写真、大島隆之『真珠湾攻撃隊 隊員と家族の八〇年』の巻末付表などから。予備員はもしかしたらもっと増えるかもしれません。

水色ベタ・太字は真珠湾戦没者。オレンジベタは操縦員です。

※202512102242母艦上空警戒任務に就いていた蒼龍・野村栄良さん、翔鶴・佐々木原正夫さんと一瀬寿さんを予備員に入れてしまっていたので表を作り直しました。申し訳ないです。





ちなみにですが、同じフォーマットで乙9期の真珠湾参加者の表を作ってみました。
出撃したのは全員艦攻の電信員です。
予備員もおそらく、もし出撃していたら艦攻の電信員だったのでは、とわたしは思っています。

9期は「真珠湾に間に合った最後のクラス」と言われることがありますが、形式上はそれで正しいです。飛練(飛練10期)卒業は16年10月末。
が、実際は真珠湾攻撃時点で飛練を卒業した内の約半分程はいまだ実施部隊に着任しておらず、転科教育や大型機講習を受けていました。

艦隊に着任した組も、移動もあるので着任したのが11月に入ってから。その時点ですでに訓練はもうほぼ仕上がっている状態だったでしょう。

ちなみに蒼龍の島田清守さんは、着任後、11月5、6、10日は飛んだようですが、それ以外の日に「飛行作業」と書いているのは隊が「飛行作業」をしたのであって、島田さん本人は地上にいたような様子です。
「スペア配置では全く飛行も出来ない。毎日地上の勤務員と云ふ調子である」
とぼやいています。
結局、蒼龍が内地を離れるまでの搭乗機会はこの3回しかなかったのではないか。他の艦隊の9期生も似たり寄ったりだった可能性が。
といっても実際に真珠湾攻撃に水平爆撃隊の電信員として出撃した9期生もいるので、隊によって、11月の9期生の扱いが違っていた可能性はありますが。それでも訓練に参加できたのは二十日間ほど。さらに天気や整備などで飛べない日もあったでしょうからね。




甲4期(飛練9期)は9月中頃に飛練の実用機訓練を終えています。
機種によって日付に差があるようで、わたしは全機種の終了の日付を把握できていません。大村の艦攻操縦専修生は9月12日。大分の戦闘機専修生は9月22日ののようです。

飛練卒業時期のひと月半の違いがこの差になったのだろうな、と以前は思っていたのですが、最近はちょっと違う感慨も持っています。
それ以前に甲4期は、どの時点かわかりませんが、早い時期に真珠湾の戦力として想定されていたのではないかと思えるような機種配分です。艦攻操縦がめっちゃ多いです。50名ほどいそうな? まだちゃんと把握できていないので、「○名」と断言はできませんが。ちなみに乙9期の艦攻操縦は8名です。この艦攻操縦の8名も、一人も艦隊に配属されていません。
乙9期はあまり真珠湾の戦力として想定されていなかったのではないかな、という機種配分です。
飛練卒業がひと月半早かった遅かったという問題ではなく、もっと早くから甲4は真珠湾の戦力の一部として育成されていたのではないのかな。
わたしの想像ですよ。甲4期の全員の機種を把握できていないので、わかった人だけの印象で言っています。



一度ちゃんと甲4期が全員で何名いたのか。飛練に進んだのは何人か。操縦何名、偵察何名、あるいは機種ごとに、全部ちゃんと数字を出して検討してみたいです。
希望しているだけで全然実現しそうにありませんが💦


※画像は9期生ご遺族ご提供、操32期中島義喜さん写真より

奈良に行ってきました2025年12月12日 23時18分31秒

昨日の話なんですが。

娘に言いつけられて奈良にお使いに行ってきました。

「怪獣8号のガチャガチャ探してきて」





自宅警備が多忙でそんなに暇でもないのに、娘の言いつけ通り午前中から奈良に行ってきました。立替払いで。


三条通。
ビックリするぐらいヒトいなかったですよ!
コロナ禍初期以来ではないかってぐらいいませんでした。
コロナ禍初期との違いは、修学旅行生や少数の外国人旅行者はいたってことでしょうか。
まあ、とにかくビックリしました。


まず、指定されたならまちのガチャガチャ屋さんに行き、店内を3周まわって探しましたがありませんでした。

「腹減ったわ~」


娘にLINEしました。
「ランチもしてきてええか?」
「・・・・。ええよ(-_-)」

というわけで、ならまちで出汁巻き定食食べてきました。
久しぶりでした、おいしかったでーす(*´▽`*)
ごち!


しかし、思いのほか出汁巻きが大量でお腹いっぱいになりすぎたので歩くことに。

奈良ホテルの方にまわって、春日大社に行きました。


春日大社参道もヒトいないキター!!(・∀・)

シカのほうが多いんじゃねーのってぐらいヒトがいませんでした。





かわいい小ジカちゃんのお出迎え。


牛かと思ったら牡鹿だった!



最近、奈良公園のシカ、軒並みお辞儀しながら近寄ってくるんですよ。
なんか見ていると心が痛くてですねー。
「ゴメン、何も持ってない」
って謝りながら通り過ぎます。

本来の習性なのか、観光客がシカせんべいでしつけたのかわかりませんが、なんか観光客に頭下げてエサもらっているのを見ると心がチクチクします。
それがかわいいって言う人もいますけどね。

春日大社の一番社殿に近い鳥居の下にもいました。
参拝者が鳥居の前で一礼するでしょ?
シカは参拝者の方を向いて一礼しているんですよ。いや、一礼じゃないな。何度も。

こんな感じで。
「やめなよ」
と思いながら見ていたんですが。
この気持ちはことばで説明しづらいです。
シカに責任はないことなんですが💦

奈良のシカって昔からこんな感じでしたっけ?





春日大社をお参りした後は東大寺の方にまわりました。

東大寺は春日大社と比べるとずいぶん人が多かったです。
修学旅行生もたくさんいました。

紅葉はほぼ終わっていましたが、何箇所かまだ真っ赤なところが。

手向山八幡に行ってみました。ちょっとだけ高いところにあるので、残っているのを期待して。

しかしここも終わっていました。

さらに終わっていたのが、
「本日 閉門日」

ガーン!(;゚Д゚)
閉門日なんてあったのか!

Googleクチコミで見たら木曜日は「定休日」って書いてありました💦
いや、冗談はさておいて、公式インスタがあったので見てみたら木曜は「閉門日」らしいです。なんと、今日も不定の閉門日だったようです。みなさん、お参りの際はインスタで閉門日をチェックしてから行ってください。


気を取り直して。
三月堂、二月堂とまわりました。




二月堂から生駒山。
真ん中の大屋根は大仏殿です。



疲れたので休憩しました。

どうせ踏み倒されるのでこれは立替払い請求していません。



このあともアニメイト行ったり、奈良ファミリーに行ったりしてガチャガチャを探しましまわりましたがどこにもありませんでした。
20000歩オーバー。







今日の仕事帰りにセブンのちいかわエニマイくじ引いたようで。
これでランチ立替払いチャラにしようとしているみたい。


ほんで、ガチャガチャの方は今日、友だちと晩ごはん食べに行った先で見つけたらしく、一発で目当てが出たと喜んで帰ってきました。


昨日のわたしの、11時から17時ごろまで歩き回った20000歩は・・・・(;´Д`)