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大阪府立弥生文化博物館 発掘された日本列島20242024年10月06日 20時23分35秒

昨日、大阪府立弥生文化博物館に行ってきました。

文化庁主催の発掘された日本列島展が始まったのでした。

初めて展覧会の開会式に潜入しました(笑)

ここ数年、正倉院展のレセプションに行っていたんですが、うちら一般人は館外の行列に並んで、モニターで開会式の様子を見る、みたいな感じだったので、その場に立ち合うのは初めてです。

正倉院展レセプションほどヒトはいませんでした。

テープカットに並んでいる人たち(博物館館長、文化庁担当者、大阪府教委、マスコミ?、近隣自治体首長、教育委員会関係)が全員あいさつしました。
特に「おー!」と思ったのは、首長さんたちのお話で。さすがにふだんから人前で話をする機会が多いためか、話慣れしていているなあという感じでした。よどみなく、おもしろくお話されていました。
パパも同じ感想でした。
春海は寝ていました(無理矢理連れてこられた感)。




開会式の後は文化庁担当者による展示解説。
展示の前で見どころを解説してくれます。

この展示物(縄文のお墓)の説明をしているときに、玉を「お墓にお供え」と説明してたのが気になりました。
あとで質問しようと思っていたのですが、そのまま忘れていました。

玉類って、ふだんから身に着けている可能性が高いじゃないですか。
ふだんから身に着けていないものがお墓に入っていたら「お供え」したのかなと思うんですが、ふだん身に着けているものを「お供え」と捉えているのは理由があるのか?
お供えしたのか(副葬品)、身に着けたまま葬られたのか(着装品)、そこらへんはどう区別しているのかな、と。
聞こうと思いながら忘れていました💦



写真、いろいろ撮ったんですが、帰ってきてフォルダ見たら全然残っていませんでした(泣)

再葬墓の壺棺。



展示室の出口近くは地域展「大阪に伝来した龍」をやっていました。
こちらは弥生博の担当者の展示解説付きで見てまわりました。
池上曽根の土器の龍はまだわかるんですが、中には「これが龍!?」って園児の落書きみたいな”龍”も。円弧だけ、みたいな(笑)
なぜそれが龍なのか、どういう風に変遷していったかの図が壁にかかっていたのを春海が写真に撮っていたので驚きました。興味ないと思っていたので(笑)

春海曰く「同じ遺跡でこんな変化をしていきましたよ、っていうならまだ説得力あるけど、離れた地域でこんな風に変遷したってのは説得力がなくない?」と、写メを撮っていました。




列島展の大阪会場は、弥生博と近つ飛鳥博物館です。
弥生博が古い時代、近つ飛鳥が新しい時代担当のようです。
近々近つ飛鳥にも行かなければ。

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