道の駅 お茶の京都 みなみやましろ村 ― 2022年11月29日 13時19分08秒
我が家に村ブーム来ています(・∀・)
京都府南東部、三重県・奈良県の県境にある村です。
一度も行ったことがなかったのですが、パパが、
「道の駅に茶ソフトがあるらしい!(*´▽`*)」
と調べてきたので行ってみました。
夕方遅くに行きました。
そんなに大きな施設ではなかったですが、車いっぱいでした。
中もけっこうな混み具合。
ソフトクリーム売り場には行列ができていました。
わたしはほうじ茶ソフト♪
濃かったですー(*´▽`*)
めっちゃおいしかったです。
パパはふつうのお茶のソフト。
上が欠けているのはわたしが横からすくったからです(^^;)
※ケロが食べたんじゃないよ
スイーツがどれもこれもおいしそうで、ぽいぽいカゴに入れていたら6000円超えちゃったデス(゚Д゚;)
※ソフトクリーム除く
※お茶のコロッケとシイタケのコロッケも購入
茶だんごとどら焼きはすでに食べました。
どっちも茶味が濃くておいしかったです。
今日はプリンかな~♪
チーズケーキは冷凍なのでもう少し寝かせておくことにします。
蒼龍艦攻隊 偵察配置集合写真 ― 2022年11月29日 14時47分40秒
鹿熊粂吉さん(甲3)の遺品の中にあった蒼龍艦攻隊偵察配置の集合写真と思われる1枚。
お顔がわかった人たちから推定して、写っているのは下表の太字の人たち、偵察配置の下士官の人たちだろうと。
ペアは3人一組。上から操縦、偵察、電信。色ベタは出身別(操練・偵練、乙飛、甲飛)なのでお気になさらず。
前列左から(上から氏名階級(出身期)、入隊年月、蒼龍分隊、消息)
加藤豊則1飛曹(甲2)
13年4月
11分隊
19年10月15日 K406 台湾沖
吉岡政光2飛曹(偵43)
11年6月
11分隊
戦後生存
金井昇1飛曹(偵35)
9年6月
12分隊
16年12月22日 蒼龍 ウェーク島攻撃
藤波貫二1飛曹(偵27)か?
11分隊
19年6月29日 K251 サイパン
藤波さんは乙5の大多和達也さん(『予科練一代』光人社NF文庫)の蒼龍時代のペアの偵察員です。手記にもたくさん登場していますが、お顔がわかりません。
写真がおそらく「蒼龍艦攻隊偵察配置の下士官たち」と思われること、また座り位置からこの人が藤波さんでは?ということになりました。
石井利一1飛曹(乙7)
11年6月
12分隊
19年2月23日 321空 マリアナ
宗形龍恵2飛曹(偵43)か?
12分隊
19年10月14日 K263 台湾沖航空戦 索敵未帰還
宗形さんは川崎まなぶさんの『マリアナ沖海戦』(大日本絵画)に千歳搭乗員集合写真が出ているんですが、個人が小さくてお顔がよくわかりません。「別人だ」というほどではないですが「この人に間違いない」ということも言えないような写真です。
12分隊の宴会写真に写っているはずなのですが、現時点で見つけられていません。
もしかしたら鹿熊さんの後ろからお顔半分だけのぞかせている下士官帽の人かな?とも思っているのですが、ちょっとわからないです。
田中敬介1飛曹(甲2)
13年4月
12分隊
17年6月5日 蒼龍 ミッドウェー海戦
田中さんはもともと佐藤-金井機の電信員だったみたいです。夏に田中さんが偵察員として他ペアに移り、かわりに花田さんが佐藤機の電信員に入った、と(金井日記)。
後列左から
田村重年2飛曹(甲3)
13年10月
11分隊
戦後病没
杉山弘興1飛曹(甲1)
12年9月
12分隊
19年4月30日 K251 内南洋
紺野喜悦2飛曹(乙8)
12年6月
11分隊
17年10月17日 隼鷹 ソロモン
安藤百平3飛曹(偵49)
12年
11分隊
戦後生存
大谷末吉3飛曹(偵49)
12分隊
16年12月22日 蒼龍 ウェーク島攻撃
佐野覚1飛曹(甲2)
13年4月
11分隊
19年11月25日 K256 比島
鹿熊粂吉2飛曹(甲3)
13年10月
12分隊
17年10月17日 隼鷹 ソロモン
紺野さんと鹿熊さんが戦死されたこの攻撃は森拾三さん(『奇蹟の雷撃隊』光人社NF文庫)が右手を失ったあの攻撃です。投弾やりなおしで艦攻隊に多大な犠牲が出た・・・・。
これから書こうとしている蒼龍艦攻隊から隼鷹に移ってこの攻撃で戦死された方も多いです。
太田五郎1飛曹(乙6)
鹿熊粂吉1飛曹(甲3)
丸山忠雄1飛曹(甲3)
紺野喜悦2飛曹(乙8)
田辺正直2飛曹(甲4)
土井敬二2飛曹(甲4)
若宮秀夫2飛曹(甲4)
岩田高明2飛曹(甲4)
江塚寿2飛曹(甲4)
浮ケ谷弘3飛曹(偵52)
川島甲治2飛曹(操50)
西田孝雄3飛曹(偵47)
並び順の話をすると、階級だけなら1飛曹の杉山さんなどは「この人が前に来た方がしっくりくる」って気もするんですが。
前列は11分隊偵察班先任下士(藤波さん)、12分隊偵察班先任下士(金井さん)をまず中央に。そして雷撃隊偵察員+予備員宗形さん。
後列が水平爆撃隊偵察員と予備員紺野さんと田村さん。
みたいな感じで並んでいるのかな?
予備員の宗形さんが前列、紺野さんと田村さんが後ろ、というのは、もしかしたら真珠湾前の訓練時、宗形さん雷撃チームで、紺野さんと田村さんが水平爆撃チームだったりしたのかななんて想像したりもしています。いや、ただたんに(藤波さんか金井さんに)「もう一人座れるぞ。だれか前に来い」と言われて宗形さんが「じゃあわたしが前行きます」となっただけかもしれませんが。
前列、後列それぞれの中では中央から端に入隊年順に並んでいるのではなかろうか、と思います。入隊年を把握できていない人もいますが、階級から察するに。
※画像は鹿熊さんご遺族、Oさんご提供、出身期の一部はKさんご教示
大島隆之『真珠湾攻撃隊 隊員と家族の八〇年』講談社現代新書