甲4期福谷知康さんの飛練谷田部時代 写真館写真 ― 2022年11月23日 12時08分03秒
甲4期福谷知康さんの遺品の中にあった谷田部飛練(飛練9期)時代の写真です。
知人Oさんを通してご遺族の方からご提供いただきました。
福谷さんのご遺族の方とはもう7年ぐらいのお付き合いでしょうか。福谷さんが乙9期の兼藤二郎さんと真珠湾攻撃時ペアだったというご縁でブログを見つけてくださって、そこからのご縁です。
いい写真です。
ただ、撮影場所と日付がわからないのは残念です・・・・。
ご当人の福谷さんは前列の真ん中で人形を抱えているメガネの人です。
海軍の搭乗員は目が悪い人はなれないので、度が入っていないメガネでしょう。ただのおしゃれ伊達メガネなのか、いまのように目の保護のためのUVカットメガネ(透明)が存在するのか、わたしは知りません。
この写真、よく見るとひとりだけジョンベラの人がいて、
「あれ?」
って写真なんですが。
このジョンベラの人、重要です。
軍帽にペンネントが巻いてあって「谷田部海軍航空隊」と書かれています。
このおかげで少なくともこの人が谷田部空の人だってことがわかります。
で、谷田部空をヒントに照合してみたところ、ここに写っている人たちは甲4期の操縦専修生たち。谷田部海軍航空隊で飛練9期修業中の人たちだとわかりました。
わかるまでの途中のプロセスを説明したらめっちゃいろいろあるんですが、今日は結論だけ。
3空曹に任官した15年11月ごろから、谷田部を離れる16年4月ぐらいでしょうかね。
任官記念に撮りに行ったのかなあ???? ちょっとわからないですが。
下士官に任官していますが、善行章がありません。甲飛生だな~って感じです。
並びがちょっとわちゃわちゃしていますよね。
イスに座っている人を「前列」、その後ろで立っている人やイスのひじ掛けに腰かけている人は「中列」、最後列の2人を「後列」にします。
甲4の人は消息などはほぼ把握できていません。
戦死状況が確認できている人は「日付、所属、場所」の順で記載しています。
所属航空隊と時期だけの人はそこだけ把握できた人、何も書いていない人はまったく把握できていない人です。
前列左から
堅田瑞穂さん
和歌山、艦攻
龍鳳、582空(18年秋)
浅生寿さん
大阪、艦爆
K103(20年1月・2月)
福谷知康さん
山口、艦攻
17年5月8日 瑞鶴 珊瑚海海戦
今内豊さんか?
茨城、艦攻
※240924追記 今内さんではありませんでした
澤田友次さん
群馬、戦闘機
17年10月18日 751空 ガダルカナル
中列左から
杉田茂さん
宮崎、艦爆
17年1月10日 佐伯空 事故殉職
廣池一二三さん
大分
金子正さん
埼玉
ジョンベラの人は金子正さんでした。島田清守さんの埼玉県出身者集合写真に写っています。進級が遅れたみたいですね。
藤井脩さん(卒アル) ※修?(『予科練外史』)
京都、艦攻
17年8月24日 龍驤 ガダルカナル飛行場攻撃
松木進さん
新潟、戦闘機
17年9月13日 台南空 ガダルカナル
青木真夫さん
鳥取、戦闘機
17年5月7日 祥鳳 珊瑚海海戦
西浦国松さん
三重、戦闘機
17年8月7日 台南空 ガダルカナル
奥山巌さん
山形、艦攻
龍驤(16年12月~17年3月)
後列左から
鈴木三郎さん
山形、艦攻
601空(19年6月)
鈴木さんは中攻から艦攻にかわっているのか?
『予科練外史』では16年12月、一空(中攻)、龍驤(艦攻)どちらにもお名前がある。同姓同名か?
松島武雄さん(卒アル) ※松尾?『予科練外史』
福岡、艦攻
17年10月26日 瑞鳳 南太平洋海戦
こうして見ると艦攻に進んだ人がとても多い印象です。
この写真が撮られた時点では実用機の機種は決まっていなかったと思われるので偶然この比率なのでしょう。
福谷さんの写真の中に大村飛練での艦攻操縦の卒業写真らしきものがあるのですが(まだちゃんと見れていない。個人のお顔がよくわからない写真で、練習生と教員の区別がつかないので正確な人数は不明)、パッと見ただけですごい人数です。30名近くいるのではないか? 大村だけでなく宇佐にも9名いるので40名近く艦攻操縦がいるってことでしょうか。
2か月も違わない飛練10期の艦攻操縦は少ないですからね。8名。
逆に甲4の中攻操縦の人っているのかな? 全然見ないけど。飛練10期は中攻操縦の人が多いです(のちに転科した人も多いけれど)。
クラスによって機種の構成が全然違うなと思いながらながめています。
※画像は福谷さんご遺族、Oさんご提供
Kさんご教示、倉町秋次『予科練外史』
大島隆之『真珠湾攻撃隊 隊員と家族の八〇年』講談社現代新書