真珠湾攻撃時 加賀艦攻隊総員集合写真 氏名不詳者 ― 2025年10月03日 18時29分36秒
先日も風向標識の件でちょっと話題にした真珠湾攻撃時加賀艦攻隊の総員集合写真。

わたしはもともと航空母艦の構造物はさっぱりで、搭乗員にしか目が行っていなかったので。
この写真を最初に見たときから、自分なりに誰が写っているのかずっと追及しているのですが、なかなか全員判明とはいきません。
今日は途中経過です。現状報告というか。かなりわたしの想像や願望?も混じります。
まずは真珠湾攻撃時の加賀艦攻隊の編制表です。
艦攻なので3人1ペア、26ペアいるので78名ですね。
冒頭の集合写真に写っているのは艦攻隊の搭乗員だけで、艦の幹部(艦長や副長など)、飛行隊の飛ばない幹部、整備員などは写っていません。
この中で一番エライのは飛行隊長の橋口喬少佐。実際真珠湾攻撃に出撃しています。
あとは全員搭乗員でしょう。
総員数を数えるために番号を振っています。
※お顔は全員ちゃんと写っているので、失礼ながらお顔部分に数字を振らせてもらいました。
最近、大人数の集合写真はこうやって番号を振らないと必ずと言っていいほど数え間違いをしているんですよ。3度数えたら3度とも人数が違う・・・・みたいな? 心霊じゃありません。わたし自身の問題です。
話がそれかけました。
93名写っています。ということは31ペア分ですね。
出撃したのが78名・26ペアなので、15名・5ペアが予備員というふうに考えればよいということでしょうか。
ところがどっこい。
そんなに都合よくいかないんですね。
①上の編制表にお名前があり、かつお顔がはっきりわかっているのにどこにいるのかわからない人がいる(もしかして”写っていない”疑惑)。
②現時点で予備員あるいは予備員候補として名前が挙がっている人たちが17名いる。3名1ペア(操縦員+偵察員+電信員)になっていない。操縦員が6名。
①は武田友治さんなんですけどね。
雷撃隊。鈴木中隊45小隊3番機で出撃している電信員です。真珠湾攻撃で戦死されています。
武田友治さんは個人の追悼書籍まで出版されていて、そこにはっきりとお顔がわかる写真が複数枚掲載されています。ネット記事にもお顔が出ているので検索してみてください。
当日の編制を見てもらったらわかるんですが、基本、出撃ペアは同じ分隊の分隊員で編制されています。
が、鈴木中隊の45小隊3番機だけが操縦員・長井泉さんだけ鈴木分隊員で、偵察員・植田米太郎さんと電信員・武田友治さんが牧分隊員です。
何か事情があって植田ペアだけイレギュラーな形になっているのか、あるいはわたしが人を取り違えているのか?
長井さんは甲4出身なので複数枚「これが長井さん」という写真が手元にあります。が、なかなか難易度高い人なんですよね。写真ごとに印象が違うというか。
さんざん検討して、長井さんは鈴木中隊集合写真に写っていると判断しました。
※この「さんざん検討」については覚えていたらいつか書きます
植田さんは乙6期なので卒アル写真があります。
北島分隊集合写真にも鈴木中隊集合写真にも写っていないので、牧分隊と判断しました。
武田さんもお顔ははっきりわかっています。
北島分隊集合写真にも、鈴木分隊集合写真にも写っていません。なので、牧分隊なのかな、と。
こちらは総員を分隊別に色分けしたもの。分隊ごとに番号を振っています。
北島分隊が白、牧分隊が青、鈴木分隊がピンクです。
写っているのが93名なので、3分隊で31名ずつになっているのかと思いきや、違うんですよ💦
北島分隊33名、牧分隊31名、鈴木分隊29名(橋口隊長込み)です。
北島分隊と鈴木分隊は分隊集合写真から抽出し、牧分隊は「北島分隊・鈴木分隊以外」ということで色付けしました。
さらに、氏名不詳者には黄色い縁をつけました。
北島分隊1名、牧分隊7名、鈴木分隊1名です。
氏名不詳者は牧分隊に多いんですよ。誰か記名のある牧分隊集合写真を持ってないですか?

北島分隊

鈴木分隊+橋口隊長
こちらは総員集合写真を「出撃搭乗員」(赤)、「予備員」(青)、「氏名不詳搭乗員」(黄)に色分けしたもの。
現時点では「出撃搭乗員」74名、「予備員」10名、「氏名不詳搭乗員」9名というところです。
「氏名不詳搭乗員」(黄色)の中にはわたしの中ですでにお名前がついている人もいます。ただ、「?」つきなので氏名不詳搭乗員に入れています。番号で言うと、3、4、83、87の人は「たぶん○○さんだろう」というところまでいっています。3、4、83の方は予備員、87の方は出撃搭乗員では?と思っているので、もしその推定が合っていれば人数は「出撃搭乗員」75名、「予備員」13名、「氏名不詳搭乗員」5名ということになるでしょうか。
逆に現時点でもまったくどなたかわからない「氏名不詳搭乗員」5名。2、53、66、78、89の人たちです。まったくどなたかわかりません。
そういう意味では、武田さんは「2、53、66、78、89」のうちのどなたかではないのか?と思うんですが、武田さん、いらっしゃらないんですよ。けっこう特徴的なお顔なのでいたら絶対にわかると思うんですよね。
最後列の人たちは写真の写りが鮮明ではなくそのせいでお顔がよくわからないんですが、それでもその中に武田さんはいないようにあるんですよね。
あと、上に挙げた出撃隊員の編制表の中で赤文字になっている方々が、いまだにどこに写っているのかわからない人たちです。
尾池三郎さんも赤字になっています。尾池さんも他写真でお顔はわかっています。この方に関しては後述します。
なので、出撃隊員の中でいまだにまったくお顔がわからないのは小川益一さんと徳丸泰次さんですね。
とりあえず現時点で氏名不詳搭乗員に入れている人たちを出します。
(数字は総員数を数えるために振った番号です)

2
まったくどなたか不明。
階級章は1飛。北島分隊の人。

3
わたしのなかではお名前があります。「?」つきですが。
操練56期の集合写真の中に同一人物ではという方がいます。
鈴木分隊写真に写っています。

4
この方も操練56期の集合写真に同一人物らしき方が写っています。お名前は「?」つきで振ってあります。

53
まったくどなたかわかりません。

66
この方もどなたかまったく不明。

78
まったく不明。

83
この方は今回ちょっと検討したい方。

87
この方も検討したい。

89
まったく不明の方。
検討したい方、いきます。

まず83の方。
以前から甲4の倉嶋三郎さんではないかと思っていたのですが(もともとはKさん情報)、その時点では卒アルの写真しかなくて「他人の空似かも?」と思ってここには書いていなかったのではないかと思います。
あと「倉嶋さんはもしかしたら艦爆隊かも?」との情報もいただいていたので。
先日、別件で乙9坂田清一さんの実施部隊時代の同僚に倉嶋さんがいることに気づきました。
いつもの「いまさら」ってやつです。スイマセン。

なんでこういうの見逃すんかなあ、呆れます💦
写真の裏書にもお名前があったし、胸の名札にも「倉嶋」って書いてあるんですよね。
写真は坂田さんの瑞鶴艦爆隊時代の昭和18年初夏頃じゃないかと思います(アジ歴の編制表と写っているメンバーを見比べた結果)。
この頃の倉嶋さんは艦爆の偵察員だったようです。
が、これ別に普通のことで、真珠湾時に艦攻の電信員をやっていて、慣れたら艦爆の偵察配置に、ってのは倉嶋さん以外にもあります。9期の平山さんもそうです。おそらく坂田さんもそうじゃないかと思います。真珠湾時は艦攻隊の電信員配置で(出撃していないので証拠がない)、のちに艦爆の偵察員になっているんだろうと思っています。
偵察員は基本何にでも乗る、みたいな話でした。
大型機は陸上機でも水上機でも講習を受けているようですが、小型機どうしなら講習なしでもこなせるのでしょうね。
83の方はおそらく甲4の倉嶋三郎さんでしょう。

87の方。
倉嶋さんほどわかりやすくないんですが。
以前、乙10の藤本久夫さんの出水空時代の写真に尾池三郎さんが写っていたと、ここに出したと思うんですが。



真珠湾の写真は目線が右の方に行っていて表情が比較しづらいんですが、わたしは尾池さんじゃないのかなあ????と思っています。
このお二人を踏まえてあらためて色を付け直しました。
というわけで、現時点でまったくもってどなたかわからないのは以下の方々。

2

53

66

78

89
この中に、小川益一さんと徳丸泰次さんがいらっしゃる可能性が高いと思っています。
ただ、武田さんが写っていないように思えるので、出撃しているから必ず写っているとも言い切れません。
小川益一さんって操練48期出身なんです。
最近、知人に操練48期の集合写真を見せてもらう機会があり、必死で見ました。
一種軍装の集合写真では軍帽のペンネントが見えているし(出身海兵団がわかる)、飛行服の方は名札が見えている人もいました。名札で小川さんはわからなかったのですが、「小川さんではない」人はわかるのでその人を除いたりして、小川さんの可能性がある練習生を20余名まで絞り込みました。
その上で上の写真の人はいないか探したのですが、わかりませんでしたorz
ちなみに加賀艦攻隊では鈴木勲さんと中川一二さんも操練48期ですが、お二人はちゃんと写っていることが確認できました。小川さんもいるはずなんだけどなあ・・・・。もしかしてこの5名の中にいないのかなあ?
そう思ったので、すでに名前が振ってある他の人も、つまり全員ってことですが、対象者にして見比べましたがわかりませんでした。
徳丸さんは偵練の人なので現時点で他写真を入手できておらず、探す手立てがありません。
余談なんですが、いや、余談ではなく大事なことか。
徳丸さん、加賀艦攻隊総員集合写真の中で特定されているものが存在します。

総員番号が振ってある写真で言うと68の人なんですけどね。
この方が徳丸さんであるとなっているものがあるのですが、わたしはこの方は大橋成克さんと判断しています。理由、ブログに書いていますかね? 検索しても出てこないのでまだ書いていないのかな?
この件も長井さんの件と同様、いつか書こうと思います。
ということで、わたしは徳丸さんは上の氏名不詳者5名の中にいる可能性が高いのではないかなと思っています(写っているなら)。
②の問題。
上に「お名前が挙がっている予備員が17名」と書いています。
現時点で写真に写っていると確定している予備員は13名(操練56期らしきお二人、倉嶋さん含む)。
残り4名は真珠湾時に加賀艦攻隊にいたのではないかと思われるのですが、写真に写っているのかどうかわからないという方々です。写っていないかもしれないし、氏名不詳者のおひとりかもしれないし、という感じ。
写真に写っていると判断している予備員
1大迫弘毅さん(自分で他画像で裏取りしておらず)
3操縦員(操練56期?)
4操縦員(操練56期?)
5西村武さん
6佐々木亀蔵さん
7平山繁樹さん
10島田直さん
16偵察員(氏名判明)
32井藤弥一さん
37吉田隆成さん(自分で他画像で裏取りしておらず)
51坂田恵介さん
83倉嶋三郎さん
93武信太助さん
写っているかどうかわからない予備員
操縦員A(17年1月のラバウル攻撃編成表にお名前がある)
偵察員B(17年1月のラバウル攻撃編成表にお名前がある)
偵察員C
偵察員D(17年1月のラバウル攻撃編成表にお名前がある)
さらに、どこに写っているかわからない出撃搭乗員2名がいる状態なので、氏名不詳搭乗員画像5名分に対して6名候補がいる状態です。
武田さんは「写っていない」判断に入れています。
ということは、真珠湾攻撃時に加賀艦攻隊に在籍していたけど、この総員集合写真に写っていない可能性のある人が少なくともお二人はいる、ということになりそうです。
武田友治さんと予備員1名。
小川さんと徳丸さんも写っているかどうかはわからないんですけどね。お二人が写っていると仮定したら、写っていないのは「武田友治さんと予備員1名」ということになります。
今後、いろいろ調べて行くうちに予備員が増えて、「写っていない人」が増える可能性はもちろんあります。
そういうわけで。
総員集合写真には93名写っているわけですが、真珠湾攻撃時の加賀艦攻隊には最低でも95名はいたのではと思います。
写っていない搭乗員が鈴木分隊搭乗員であれば、人数差がいくぶん解消されて納得ではあるんですけどね。
ご存じの方も多いかと思いますが、真珠湾攻撃時の加賀艦攻隊って、水平爆撃隊が1機少ないんです。
真珠湾攻撃時の水平爆撃隊の編制機数をちょっと挙げますと、
【第1次攻撃隊】
赤城
第1中隊 40小隊3機、41小隊2機
第2中隊 42小隊3機、43小隊2機
第3中隊 44小隊3機、45小隊2機
加賀
第1中隊 40小隊3機、49小隊2機
第2中隊 47小隊3機、48小隊2機
第3中隊 46小隊2機、43小隊2機
蒼龍
第1中隊 1小隊3機、2小隊2機
第2中隊 1小隊3機、2小隊2機
飛龍
第1中隊 40小隊3機、48小隊2機
第2中隊 46小隊3機、47小隊2機
【第2次攻撃隊】
瑞鶴
第1中隊 41小隊3機、42小隊3機、43小隊3機
第2中隊 45小隊3機、46小隊3機、47小隊3機
第3中隊 51小隊3機、52小隊3機、53小隊3機
翔鶴
第1中隊 41小隊3機、42小隊3機、43小隊3機
第2中隊 45小隊3機、46小隊3機、47小隊3機
第3中隊 50小隊3機、51小隊3機、52小隊3機
つまり第1次攻撃隊の赤城、加賀(1航戦)、蒼龍、飛龍(2航戦)は基本5機1中隊で水平爆撃を行い、第2次攻撃隊の瑞鶴、翔鶴(5航戦)は9機1中隊で水平爆撃を行っている、ということになります。
なぜ第1次攻撃隊と第2次攻撃隊で中隊機数が違うのかはこの際ちょっと横に置いておいて、いまは加賀の第3中隊46小隊(赤字の小隊)が1機足りないことをちょっと考えてみようと思います。
真珠湾時の加賀艦攻隊編制表を見てください。
1機足りない46小隊は鈴木分隊の三上良孝大尉の小隊です。
三上大尉の隊の飛行機が1機足りないことに関しては、理由が判明しています。
加賀が真珠湾に向けて内地を出港する際、陸上基地で訓練を続けていた飛行機隊を収容しているわけですが、その際、三上大尉が着艦事故で飛行機を1機壊しています(昭和16年11月18日、北原收三さん日記。Оさんご教示)。
ウィキペディアによると、加賀の昭和16年12月7日(真珠湾前日)の97艦攻保有機は27機と書いてありますが(参考文献は『戦史叢書10 ハワイ作戦』だそう)、三上大尉が飛行機を壊して以降、飛行機が補充されないまま、可動機としては水平爆撃隊14機、雷撃隊12機の計26機で真珠湾攻撃を迎えたのではと思っています。実際の編制表から。
ここでちょっと気になるのは、北原さん日記には書かれてないことなのですが、「使用不能になるほどの事故を起こして、怪我人は出なかったのか?」ということです。
三上大尉はどうやら無事だったようです。真珠湾攻撃にはちゃんと出撃されています。
偵察員と電信員はそのとき同乗していなかったのか?
乗っていたとしたら、怪我はなかったのか?
何も書かれていないのでわからないんですよ。
事故が真珠湾攻撃の二十日ほど前。大怪我をしていたら、出撃の編制から外れてしまった可能性もありますよね。
足でも骨折してしまっていたら、入院が長引いて総員の記念写真にも分隊の記念写真にも写れなかった可能性もあるな――などと、「総員集合写真の人数が足りない理由」「鈴木分隊員が他分隊員より少ない理由」をあれこれ想像してみたりしているんですが、どうでしょうか。
参考までに蒼龍艦攻隊が真珠湾に向け訓練基地を離れるとき、操縦員以外が乗っていたかどうか。
当時蒼龍艦攻隊12分隊員だった嚮導機偵察員・偵練35期出身の金井昇さんと新米偵察員(電信配置)の乙9期島田清守さんの日記によると、どうやら蒼龍艦攻隊は飛行機収容の日は午前中、爆撃訓練をやっているんですね。で、午後そのまま蒼龍に着艦して収容されて・・・・という流れのようです。
金井さんは飛行機に乗ったまま蒼龍に着艦したと思われます。
一方、島田さんは予備員です。爆撃訓練にも出なかったようで、後日、陸路で蒼龍が碇泊している港に出向き乗艦したようです。陸路組の人数も書いてあります。12名だそうです。以前、蒼龍艦攻隊の編制や予備員に関して書いているんですが、そのときはわたしは予備員を13名挙げているはずです。1名の誤差は何なのかな?
加賀艦爆隊の山川新作さんの手記を読んでも、偵察員も同乗の上で収容されているので、艦攻隊の三上大尉機にも偵察員や電信員が同乗していたと思われます。
この事故によってもともと27機あった97艦攻が26機に減ってしまったわけです。
三上大尉は分隊長なので、
「飛行機壊れちゃった。俺、出撃取りやめね」
ってわけにはいきません。
そこでどうするか?
「だれか飛行機、俺に譲って」
になりますよね。
自分たちの乗機を三上大尉ペアに譲ったペアがいる!
でしょう、たぶん。
いや、もしかしたら、ペアすらいじったかもしれない。
例えばの話、事故で三上大尉の偵察員や電信員が怪我をしていた場合、飛行機&偵察員&電信員を譲ってもらっている可能性すらあるんじゃないか。
加賀艦攻隊の予備員の顔ぶれで不思議なことがあって、かなりベテランと思われる偵察員の方が予備員になっているんですよね。総員集合写真椅子列(幹部&ベテラン)の左端の人ですよ。鈴木分隊写真にも写っています。この人が予備員にまわったことに関しては三上大尉の事故と何か関係があるんじゃないかとわたしは睨んでいるのですがどうでしょうか。
三上ペアが事故後も全員が搭乗に何の支障もなく、乗機だけ譲ったペア(操縦員、偵察員、電信員)がいるのかもしれません。そして、この「乗機だけ譲ったペア」の偵察員が例のベテラン偵察員だったのかもしれません。
もう、これはわかりません。
アジ歴で探せそうなところは探してみましたが、真珠湾前の加賀艦攻隊のペアがわかるような資料はなさそう。新たな個人の日記でも出てこないともうわからないんじゃないかと思います。
加賀艦攻隊の水平爆撃隊の三上中隊に、真珠湾直前になって突発的事態が発生してしまったことだけは事実。
わたしとしては、総員集合写真の人数の矛盾に関して、この件が関係している可能性があるんじゃなかろうか思いたい気持ちがあります。
水平爆撃隊中隊機数に関して
先ほど横に置いた、真珠湾時の水平爆撃隊「1航戦・2航戦は5機1中隊」「5航戦は9機1中隊」に関して、以前にYさんに尋ねたことがあります(メールで)。
練度の問題があり、1航戦・2航戦の水平爆撃隊は特練出身者も多く5機1中隊で艦船を標的に、5航戦は9機1中隊で飛行場を狙うことになったような説明でした。
艦戦は小さい上に動き回る可能性もありますし、飛行場は広大で動かないですから狙いやすかったのでしょう。
動き回る艦船に対しては5機1中隊で爆撃を行ったほうが、中隊の機動性の面からも適していたのかもしれません。
『真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自伝』(編/解説 中田整一 講談社)によると、
「練度の高い第一、第二航空戦隊の飛行機隊で、太平洋艦隊の主力艦を撃滅することにし、練度の浅い第五航空戦隊の飛行機隊は、敵の航空基地を攻撃せしむることにした」
とのことです。
予備員問題に関して
加賀艦攻隊の予備員、現時点で17名(操縦員6)の氏名があがっていると書いていますが、加賀はホント、予備員がわからないです。Kさんにも情報提供いただいた上で出している数字です。
加賀だけでなく赤城も翔鶴も瑞鶴もわかりません。
逆に言うと、2航戦の蒼龍と飛龍はある程度分かります。
真珠湾の帰りにウェーク島攻撃をやっていて、そこに真珠湾の予備員を出撃させているからなんです。あとその前後での対潜哨戒とか前路警戒みたいな任務で搭乗させています。
そういうのを勘案して、現時点でわたしが把握しているのは蒼龍13名(操縦員5)、飛龍15名(操縦員5)ですね。
(蒼龍艦攻隊の予備員だった島田清守さんは、真珠湾に向け基地を離れる際、12名で陸路で艦に向かったと日記に書いています)
見落としがあるかもしれないので増えるかもしれませんが、たぶん減ることはないんじゃないかと。
ちなみに蒼龍も飛龍も艦攻隊は艦内分隊2分隊です。
赤城、翔鶴、瑞鶴に関しては予備員にはまったく手を付けていません。
加賀に関しては、編制表からだけでは予備員の氏名を割り出すのは困難ですが、幸い総員集合写真があるわけなので(おそらく総員は写っていないですが)、そこから何とかしたいですけどねえ・・・・。
※画像は8期生、9期生、10期生ご遺族ご提供。
大島隆之『真珠湾攻撃隊 隊員と家族の八〇年』講談社現代新書





