尾道 古寺めぐり2 ― 2019年03月24日 12時37分50秒
ロープウェイで千光寺公園まで一気に上がりました。
画像は?
いやねー、動画を撮っているんですが、景色がいい方と逆側に乗っちゃったんであんまり「これ!」というのがないんですよ。
というわけで、いきなり山頂(笑)

恋人の聖地。
BBAのお一人様です!!( ;∀;)
娘の恋がかないますよーに💕
と祈ってきました。
展望台があったので入ってみました。



尾道水道と向島。
前日、「ライトアップしているらしい」と石段を登ってみましたが、本来の目的地はここだったんですよね。千光寺公園。
わたしは間違えて千光寺(お寺)の方に行っちゃって、暗くて怖くてさっさと帰ってきてしまったのでした。
もう少し登れば公園だったのですが、真っ暗で行き方もわからず、翌日のリベンジとなったのであります。

桜はここだけ。まだちょっと先みたいです。※17日の様子です
山頂からの下りは自分の脚で。




岩がすごかったですー(^^;)
火サスみたいな岩(笑)
ちゃんと千光寺をお参りしてきました。


千光寺の石段から。
すぐ下に天寧寺の三重塔。


前夜、見かけて撮った仏さま。昼間。
尾道駅まで戻って来て、近くのカフェで昼食。

お昼ごはんにワッフルを食べるとかありえんことをしてしまいました!( ̄▽ ̄)
さーて。
ここまでは前置きです。
いや、前置きと言ったら尾道に失礼ですね。
今回の広島行きには最初から明確な目的があって、まずそれが決まってから、
「せっかく行くから・・・・」
と前後にいろいろ詰め込んでしまったのです。
大三島とか、尾道古寺めぐりはあとから詰め込みました。もっというと、「行ってから決めた」ような感じ(^^;)
いわば、ここまでが「前」です。
いよいよ本来の目的地へ・・・・。
乙7期 渡邉邦夫さん ― 2019年03月24日 13時57分33秒
去年、乙7期の山口良一さん(愛知)のご遺族の方と交流ができまして。
山口さんのご遺族の方が同期の中攻偵察員の渡邉邦夫さん(広島)のご遺族の方とつながりができてお墓参りに行かれるというので、
「一緒に連れて行ってもらっていいですか・・・・?」
図々しくてスイマセン(汗)
両家に快諾していただき、今回、わたしまで墓参させていただけることに。
山口さんのご遺族の方がどうして渡邉さんに連絡を取られたのかというとですね・・・・。
山口さんの日記に渡邉さんが登場するんですよ。
実施部隊時代、同じ中攻乗りということで親しくされていたみたいでした。
わたしも日記の写メを一部送ってもらっているのですが、そこに「十五空の渡邉」として登場していました。
17日、お昼過ぎ、尾道駅で山口さんご一家(←実際の姓は「山口さん」ではありません。便宜上「山口さん」で)と合流。山口さんは前日から広島・宮島方面をまわっておられて、この日はレンタカーでわたしを拾ってくださったのです。
渡邉さんちまでの道中も山口さんちのボク(今度小学入学)と「鬼太郎」の話で盛り上がって楽しかったですよ~
帰宅後、その話を春海(今度高3)にしたら、
「(わたしと)話、合いそうやな」
って笑っていました。次回はぜひ(笑)
ご自宅近くまで行ってちょっと(?)迷ったんですがー(;^ω^)
なんとか無事到着。
邦夫さんの弟さんご夫妻、その娘さんが迎えてくださいました。
わたしはお目にかかるのはもちろん、話をするのも初めてだったのですが(連絡はすべて山口さんにおまかせしていた)、そうは思えないほどフレンドリーに迎えてくださいました。
おうちは築400年近くの旧家でした。邦夫さんが育った家。

↑囲炉裏、弟さんが手作りしはったそうです。
お抹茶が出てきて、戸惑う・・・・(^^;)
(さすがに撮れませんでしたー( ;∀;))

お仏壇にはこの写真の邦夫さんが遺影として飾られていました。
左は邦夫さんのお父さんです。
「遺影は亡くなった順番です」
と説明を受けました。
ご両親より邦夫さんの遺影が先に飾られていて、何とも言えない気持ちになりました。
島田さんの墓参に行ったとき、墓石に建立者としてお父さんのお名前が刻んであり、それを見たYさんが、
「子どもの墓を建てないといけない親の気持ちを思うとね・・・・」
とつぶやかれていたのを思い出しました。
渡邉家や島田家に限ったことではないですけどね・・・・。
邦夫さんのお葬式のときのお父さんの写真も残っていました。
邦夫さんの遺品もあらかじめ並べて下さっていました。

軍刀と短剣。
あと、右の方には徽章・勲章類があります。
軍刀は、当時ご実家に何本もあった刀のうちから、邦夫さん自身が選んで拵えをつけて持って行ったものだそうです。
短刀は・・・・海軍士官の短刀ですね。戦死されて飛曹長に進級されたので、それで遺品として戻って来たのでしょうか。
17年1月22日 元山空 シンガポール攻撃
マレー沖海戦にも元空から索敵隊として参加されていて、ご実家に山本長官の感状があったそうです。現在、所在不明。

これは当時元空の整備員をされていた藤本速雄さん(のち戦闘機)がお持ちだったものです。これと同じものが渡邉家にもあったそうです。
この文章を弟さんはそらんじていました。

ご実家にいるときに邦夫さんが使っていた机がいまも残されていました。
弟さんが受け継がれたそうです。
山口家の方々が渡邉家の方々と歓談されている間、邦夫さんの写真もスキャンさせていただきました。

これは予科練の操偵検査でしょうかね。
7期の操偵検査がいつなのか正確には知りませんが、11年入隊なので、12年ですよね。9期と同じだとしたら5月とか6月とか。

横須賀海軍航空隊。
左の人はどなたかな? 7期生で探しているんですが、現時点では見つけられていません。
時期はわかりません。左の人の階級章が2空だと思うので、もし同期生だとしたら13年の春かな。
桜ですよね。

これはご家族(きょうだい)写真ですね。
邦夫さんが抱き寄せているのが今回対応してくださった弟さんです。
後ろは邦夫さんの妹さんたち。今回の邦夫さんの写真も、妹さん所有のアルバムに貼られていたものです。
邦夫さんのペンネントは呉海軍航空隊。特技章がついていてまだジョンベラ(下士官任官前)なので、14年の夏かな?

こちらはすでに三空曹に任官しているので14年11月1日から1年の間ですね。軍服が2種なので、ということは15年夏ですか。

戦友と。
中央の人と右の人はどなたかわかりません。
渡邊さんの階級章が写っているのですが、よく見えないんですよね。2空(飛)曹か1飛曹かな?
写真館の刻印もなく、時期・場所ともに不明。
他にも予科練に入る前の邦夫さんや、予科練時代の集合写真もありました。
予科練時代の集合写真に関しては別に書きたいと思っています。
ご自宅からすぐのところに渡邉家の墓地があり、そこに邦夫さんのお墓もありました。
お参りさせていただきました。
そのあと、近所のお社にも案内していただきました。

境内は子どもたちの遊び場ですよね。
秋祭りがあるので、ぜひまた来てください、と誘っていただきました。
この人、図々しいからホントに来ちゃいますよ?(笑)
実はですね。
山口家の方々が帰られたあとも、わたしだけ残っちゃったんですよ。
「娘が福山の方まで帰るので、福山駅まで一緒に乗って行ってください」
「えー? いいんですか? じゃあ・・・・」
図々しすぎー!(゚∀゚)
しかし残ってよかったです。
見ていただこうと思ってパソコンに入れて来ていた渡邉さんに関する資料(Kさん)や写真など、見せないまま山口さんご一家と一緒に帰ろうとしていたんですよ。
引き留めていただかなければ、その場で見ていただけないところでした(帰宅後USBに入れて送りました)。
7期卒業時の総員集合写真(9期池田和義さん遺品)などは、PC画面で拡大して見ていただいたらすぐに、
「あ! これだ!」
と見つけてくださいました。
お一人お一人が小さいのでけっこう難易度高い写真です。わたしはまだ数人しか特定できていません(^^;)
帰りは娘さんに福山駅まで車で送っていただきました。
このあと、どこをまわるんですかー、って話になって、考えている予定を話したところ、
「今回、鞆に行かれないなら機会を改めてぜひ。案内しますよ」
と言っていただきました。
この人、図々しいからホントに来ちゃいますよ!(゚∀゚)
今回はホントにホントに山口家の方々にお世話になりっぱなしで。事前の打ち合わせも移動も、全部おまかせしてしまいました。
渡邉家の方々にも、初対面にもかかわらず歓待していただいて感謝感激です。
お世話になりました、ありがとうございました。