鍵の交換 ― 2017年06月01日 13時27分07秒
数か月前から鍵が鍵穴から抜けにくくになっていました。
激しくガチャガチャ揺さぶると抜けます。強引にやらないと抜けません。
急いでいるときは抜けずに焦る(-_-;)
そのまま鍵を差しっぱなしで行きたいぐらい抜けない(-_-;)
そのうち鍵穴が鍵と一緒にスポンと抜けるんじゃないかと不安になり、鍵屋さんに来てもらって交換しました。
前にも同じ症状で鍵穴を分解調整してもらったことがありました。
今回は調整じゃなくて交換らしいです。
鍵の寿命は8年なんで交換した方がいいとか何とか。
(うちはもう10数年経っています)
交換作業中、鍵屋さんが道具を取りに車に戻っているときに、滅多に会わない隣の奥さんが通りかかりました。
激しくガチャガチャ揺さぶると抜けます。強引にやらないと抜けません。
急いでいるときは抜けずに焦る(-_-;)
そのまま鍵を差しっぱなしで行きたいぐらい抜けない(-_-;)
そのうち鍵穴が鍵と一緒にスポンと抜けるんじゃないかと不安になり、鍵屋さんに来てもらって交換しました。
前にも同じ症状で鍵穴を分解調整してもらったことがありました。
今回は調整じゃなくて交換らしいです。
鍵の寿命は8年なんで交換した方がいいとか何とか。
(うちはもう10数年経っています)
交換作業中、鍵屋さんが道具を取りに車に戻っているときに、滅多に会わない隣の奥さんが通りかかりました。
「お宅は鍵の交換とかしたことありますか?」
と尋ねたら、
「いえ、一度も」
「うち、鍵が抜けなくなったの2度目なんですよ。交換になりました」
「あー、うちもたまにありますよ。特に湿気のある日とか」
「うちもそれです!!」
ま、最近は天気が良くても常に抜けないんですが。
「あれは鍵穴にスプレーすれば直りますよ」
「えっ!?(゚∀゚)」
そこへ鍵屋さんが戻ってきて作業続行。
ちゃんと抜ける鍵穴に交換してもらい、新しい鍵ももらいました。
奥さん、もっと早く鍵の話したかったですーーーー!!!!
モデルカステン ピクトリアル 巡洋戦艦”金剛”回航記録写真集 ― 2017年06月01日 15時29分31秒
知らない間にこのような写真集が出ていました!!
金剛。
イギリスで作ってもらって、日本海軍が取りに行ったんです。
イギリスで作ってもらって、日本海軍が取りに行ったんです。
前書きをちょっと引用させてもらいます。
「1911(明治44)年1月17日に起工され、翌年5月8日に進水して艤装に取りかかり、公試を進めたうえで、1913年8月16日に竣工、引き渡された。
あらかじめ派遣されていた日本海軍の艤装員=回航員たちの手によって操艦された「金剛」は8月26日にプリマス港を出港、喜望峰、印度洋を経て11月5日朝、横須賀沖にその姿を現した」
なんで9期のカテゴリに入っているんだ?
金剛の回航員の中に9期の池田和義さんのお父さん・池田平作さんがいらして、お父さんが保管されていたアルバムを元にこの写真集が作られました。
というわけで、9期カテゴリ。
この写真集は回航員に配られた記念写真集をもとにしているので、池田さんのお父さんの個人写真は出ていません。
この方です。
軍帽のペンネントは「大日本軍艦金剛」。
これもペンネントは金剛です。
一緒に写っている少女は外国人です。
まさに金剛を受けとりに行った先で撮られた写真かも知れないですね。
一緒に写っている少女は外国人です。
まさに金剛を受けとりに行った先で撮られた写真かも知れないですね。
これは時期不明。
かっこいいですね♪
首から聴診器みたいな紐をぶら下げているでしょう?
これは予科練生の写真では見ないものです。
もちろん聴診器ではありません。
船に乗る水兵さんたちはこの先に折り畳み式のナイフ(折メス)をぶら下げて携帯しているらしいのです。ナイフは胸ポケットの中です。
以前、知人でこういうのに詳しい人が写真と一緒に説明を送ってくれました。
その説明、以前のパソコンに入っていたようで行方不明です(+_+)
おぼろげな記憶では、甲板で作業中にロープが絡まると危険だからすぐに切れるように携帯していたと書かれていたような・・・・? スイマセン、もしかしたら間違っているかもです(^^;)
航空隊の人はこれをぶらさげていません。
航空以外の人でも昭和10年代の人がぶらさげているのは見た記憶がありません。
兵種によって違うのか、時代によって違うのか?
調べたことがないのでわかりません。
日露戦争時だと、水兵さん写真でぶら下げている人がいます(旅順港閉塞作戦の集合写真とか)。これが写っているのを見ると、「古い写真だなあ~」という感想を持ちます
※あくまでイメージです
個人写真は掲載されていませんが、回航員名簿が巻末についています。
おもしろいですよ。
「割烹」とか「従僕」とか「剃夫」、「給仕」、「洗濯屋」とか乗っているんですよ。これって一般人ってことですよね。
海軍自前でやらないんだな、と。興味深いです。
ちなみにこの写真集はいつもお世話になっているYさんの手によるものです。
Yさん、島田さんの遺品を見に行ったときに名前を出してもいいと言われたのですが、ここではずっと「Yさん」なのでそのままYさんで載せています。「K上飛曹」みたいなものです。全然隠してねー(゚∀゚)
※画像は9期生ご遺族ご提供
かっこいいですね♪
首から聴診器みたいな紐をぶら下げているでしょう?
これは予科練生の写真では見ないものです。
もちろん聴診器ではありません。
船に乗る水兵さんたちはこの先に折り畳み式のナイフ(折メス)をぶら下げて携帯しているらしいのです。ナイフは胸ポケットの中です。
以前、知人でこういうのに詳しい人が写真と一緒に説明を送ってくれました。
その説明、以前のパソコンに入っていたようで行方不明です(+_+)
おぼろげな記憶では、甲板で作業中にロープが絡まると危険だからすぐに切れるように携帯していたと書かれていたような・・・・? スイマセン、もしかしたら間違っているかもです(^^;)
航空隊の人はこれをぶらさげていません。
航空以外の人でも昭和10年代の人がぶらさげているのは見た記憶がありません。
兵種によって違うのか、時代によって違うのか?
調べたことがないのでわかりません。
日露戦争時だと、水兵さん写真でぶら下げている人がいます(旅順港閉塞作戦の集合写真とか)。これが写っているのを見ると、「古い写真だなあ~」という感想を持ちます
※あくまでイメージです
個人写真は掲載されていませんが、回航員名簿が巻末についています。
おもしろいですよ。
「割烹」とか「従僕」とか「剃夫」、「給仕」、「洗濯屋」とか乗っているんですよ。これって一般人ってことですよね。
海軍自前でやらないんだな、と。興味深いです。
ちなみにこの写真集はいつもお世話になっているYさんの手によるものです。
Yさん、島田さんの遺品を見に行ったときに名前を出してもいいと言われたのですが、ここではずっと「Yさん」なのでそのままYさんで載せています。「K上飛曹」みたいなものです。全然隠してねー(゚∀゚)
※画像は9期生ご遺族ご提供
春海から相談 ― 2017年06月01日 23時10分57秒
今度の試合、どの種目に出るか、顧問が提示した中から選ぶように言われたそうです。
・400メートル個人メドレー
・200メートルバタフライ
・200メートルフリー
・800メートルフリー
「あれ? バックはアカンの?」
「バックは激戦区やからやめときって」
つまり、春海の(自称)専門の背泳ぎは早い子ばかり、つまり裏を返せば「春海は遅い」んで、もう潔くあきらめて他の種目を泳いでみろ、と。いうことでんな?(´・ω・`)
・400メートル個人メドレー
・200メートルバタフライ
・200メートルフリー
・800メートルフリー
「あれ? バックはアカンの?」
「バックは激戦区やからやめときって」
つまり、春海の(自称)専門の背泳ぎは早い子ばかり、つまり裏を返せば「春海は遅い」んで、もう潔くあきらめて他の種目を泳いでみろ、と。いうことでんな?(´・ω・`)
400メートル個人メドレー
春海の言い訳↓
「いきなりバッタ100なんて溺れます、ムリです」
200メートルバタフライ
春海の言い訳↓
「100もムリなのに200なんて泳げるわけがない、ムリです」
200フリー
春海の言い訳↓
「先生は決勝ラインは2分25秒かなて言うてはった」→春海は100フリー1分10秒ぐらいかかるので、200を2分25秒なんて到底ムリ
というわけで、800フリーしかねーだろーと思いました。
つーかね、顧問、春海のバタフライを見たことねーだろー?(-_-;)
「はーちゃんはどう返事したん?」
「返事してない。家に帰って決めてきますって言った」
「なぬ!?( ゚Д゚) もしかして、ママに相談してる?」
「うん(・ω・)」
じゃあ、やっぱり800フリー行け、GOっ!!
って言っておきました。