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遺品箱の中の個人写真 9期以外の乙飛生2016年11月20日 08時08分27秒

裏書があり氏名が判明している分だけです。


奥富梅次さん
乙8期 埼玉
15年10月16日   写真裏書には「昭和十五年十月艦爆ニテ殉職」と書かれています。

ペンネントは霞ヶ浦海軍航空隊、階級章は2空。
14年春頃でしょうか。


「不言実行。寡黙で目立たない存在であったが、総員罰直等に於ける君の不撓不屈の精神には敬服させられた」(8期生会誌)
「十二年夏姉さんが■■(国名)から帰った頃七期の教員から将を得んとせば先づ馬を射よの戦法で口説かれ弱った顔をしていたが純情な男だった」(8期生会誌)



田中武三さん
乙10期 埼玉 艦爆操縦
17年10月26日 翔鶴 南太平洋海戦

飛練時代 ※久保さん所有

「一番俺と仲良しだった。なかなか頭の切れる鋭いところが貴様にはあった。ハンモックも隣り合わせで、よく巡検後、小声で語り合ったな。冬になると手が凍傷になり、難儀していたなあ。実に気の毒でならなかった。それでもじっと堪えて、よく頑張ったな」(10期生会誌)
「背はスラリと伸び、眉はきりっとしていて個性的な顔だった。入隊時関東出身の方言のことで、「だんべえ」「だっぺ」の使い方で笑い話をしたことがあった。〇〇(地名)はいまでは大東京圏の中。いまごろまで生きていたら、大地主となって、〇〇の顔になっているだろう」(10期生会誌)



鈴木善三郎さん
乙10期 埼玉 戦闘機
17年5月4日 赤城 殉職


飛練時代 ※久保さん所有

予科練1学年時は久保さんと同じ班だったので、久保さんの写真にたくさん写っています。


「△△(11班伍長)が軽業(軍医の決定)が多かったので、次席の彼の号令で食事をしたことが多かった。小柄だがすばしっこい奴だった。戦闘機に乗るために生まれてきたような男だった」(10期生会誌)


10期のお二人はお二人とも土浦海軍航空隊時代、階級章は1空。
15年11月後半~予科練を卒業する16年5月までの撮影でしょうか。
鈴木さんの方には小船井写真館の刻印が入っています。田中さんの写真も雰囲気が小船井写真館っぽいです。




町田守雄さん
乙12期 埼玉


杉田量平さん
乙12期 埼玉

どちらも期と氏名の裏書あり。


写真はどちらも霞ヶ浦海軍航空隊時代、階級章は3等航空兵です。
町田さんの方は15年夏、杉田さんの方はその前後の時期(15年春とか秋とか・・・・)かなあ???? 予科練は15年11月15日には土浦に移転しているので、それまでの時期です。




以前、乙12期の人に9期生のことを聞いたことがあるのですが、

「雲の上の人たち、畏れ多すぎて・・・・」

ということで、具体的な思い出話は聞けませんでした(^^;)



しかし、逆に9期生から見た12期生というのは、きっと「かわいい後輩たち」だったのだろうなあ・・・・とこれらの写真を見て思ったのでした。



※画像は9期生ご遺族、久保さんご提供  伏字はわたし編集

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