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箱の中2016年11月11日 07時29分01秒

とうとうわたしも関東日帰りという暴挙に出るようになってしまいました(笑)



いや、暴挙じゃない。壮挙だ。


ということで。




前にここに書きました、ある9期生の遺品が大量に出てきた――という話の続報です。

昨日、現物を見せてもらいに行ってきました。


9期生関係はわたしが見てある程度わかるんじゃないかと思ったのですが、それ以外の海軍関係のものはさすがにわたしではわからない・・・・

ので、こういうときはいつも全力で頼っているYさんに同行をお願いして、一緒に行ってもらいました。

あまり大きな声では言えませんが、荷物持ち&スキャン要員にも一緒に行ってもらいました。直前に増えて、先方さんには申し訳なかったです。



「先方さん」ですけどね。
ここでその予科練生の遺品を紹介するとなると、予科練生本人の氏名はいずれ書かざるをえなくなるだろうと思います。写真とかね。
しかし、いま遺品を管理している先方さんは一般の方なのでここに名前は書けない。
とりあえず今回は便宜上、「イッチ(仮名)」ということで。




お昼前に待ち合わせの駅で無事にイッチと合流できました。

時間が中途半端だったので、ご自宅にうかがう前にお昼を済ませてからにしようということで、ファミレスに寄ってもらいました。
ふつうはこういう場合、ジモピーイッチに、
「おすすめのお店があれば・・・・」
とおまかせするところなんでしょうけど、問答無用でファミレスに行ってもらいました。理由はうちのブログを読んでいる人はわかっていると思います。すまんこってす。
↑脂肪肝を心配している人のランチ。

このランチ中にまず第一の衝撃の事実発覚!
お、お名前が・・・・9期生のお名前が・・・・!
わたしが入手したけっこう確度の高い情報にあったお名前の読みと、イッチが「〇〇さん」って呼んだ名前が違っていたんですよ!!Σ( ̄ロ ̄lll)
あまりにびっくり過ぎてイッチの話の腰を途中で折ってしまいました。
「ちょっと待ったあ!! いま、何と言いましたあ!?」
「〇〇さん」
「ええっ!? あれ、〇〇さんって読むんですか!?」
イッチ、不安そうになり、
「あれ? 違ったかな? いや、でもおばあちゃんはそう呼んで・・・・」
イッチ家の人たちもみな「〇〇さん」と呼ばれていました。いやー、ホンマにびっくりした。

ランチはYさんにゴチになりました。うちの荷物持ちまで(笑)
誘っておいてランチ奢らせるとか、なんという厚かましさ(゚∀゚)



その後、ご自宅にうかがう前にお墓に寄ってもらいました。
この9期生には陸軍で戦死されたお兄さんがいるのですが、同じお墓に入っておられました。
墓石の正面は左に9期生の戒名、右にお兄さんの戒名。墓石の左面に9期生の海軍入隊から戦死までの略歴。右面にはお兄さんの陸軍入隊後から戦死までの略歴が刻まれていました。
裏にまわってみたら、建立日と建立したお二人のお父さんのお名前が。
お墓から立ち去るときにYさんが、
「子どもの墓を建てなければいけない親の気持ちを思うとね・・・・」
とつぶやかれていたのが印象的でした。



そこからご自宅に移動し、遺品を拝見させていただきました。
大きな木箱に入っていました。

「こんなに!?」

ビックリするぐらいの遺品の数々。

見た瞬間に「全部見る」というのは諦めました。

申し訳ないけどこれは優先順位をつけて見ないと見れない。
というわけで、まずバラの写真(アルバムに貼られていないもの)を、ほとんど見ないまま同行したスキャン担当にまかせ、わたしはモノから見せてもいました。
「モノ」というのは、写真でも手紙でも日記でもない、その9期生が日常使用していたらしき遺品です。
「こんなものまで遺っているのか」
というものがたくさん遺してありました。
短くなった鉛筆、氏名スタンプやスタンプ台、「三飛曹 〇〇」と書かれた名札――。
どれもこれも実際にその9期生が使っていたものかと思うともう何とも言えない気持ちになりました。悲しい気持ち、も当然ありましたが、その人の存在をより実感できたというか・・・・いままでただ写真で見ていただけの人が「本当に生きていた」ことを強く実感させられました。
と、同時に、それらの遺品を処分せずに大事に大事にしまっておられた妹さんの想いもね・・・・。遺品というのは亡くなった本人の想いの上に、それを大事にとっておいた遺族の方の想いもかぶさっている――とわたしは思うのです。


モノを見せてもらったあとは、手紙の束を。
手紙はその人の人間関係がわかるので大変興味深かったです。
差出人の中に9期生のお名前も複数ありました。実施部隊に出てからのもの。中を読むとやはり同期生の話題。
それはスキャナに撮らせてもらったので、差出人や話題にされている同期生で、ご遺族に連絡がつく人は画像を送ってあげようと思います。おそらく、いや、絶対にご遺族の人は見ていない手紙でしょうから。




とにかく数がものすごくて、現地では写真はほとんど見れていません。
時間が押して来て慌ててアルバムの写真はチェックしました。
このアルバムは綴じ部分がもろそうに見えたのでスキャンは諦めてYさんにカメラで撮影してもらいました。
ざっと見て、いままで見たことがない写真を「これ、お願いします。これも。これも」と。

現地で見て、個人写真や少人数の写真はすぐに誰が写っているかわかったのですが(9期)、ちょっと人数の多い写真は家に帰ってきてからデータでチェックしました。
イッチと約束したので、誰が写っているのか、いつ頃のどこの写真なのか、どういうグループの写真なのか、おいおいここでご紹介したいと思います。




ところで。

蒼龍新聞ですけどね。
箱のふたを開けてくれたときに、
「おお! これが例の蒼龍新聞!」
と、箱に入れられたままの状態をちらっと見たのと、帰り際に、
「せっかくなので、蒼龍新聞をちょっと写メ撮らせてください」
と束の一番上にあったのを記念撮影させてもらっただけでした(^^;)

申し訳ない。わたしはほぼ触っていないし(写真を撮るのにちょっと動かしただけ)、中身も見ていません。





めちゃめちゃ見たかった予科練時代の日記は今回はムリでした。

半分冗談、半分本気で言うと、イッチ家の庭にテントを張って泊まり込みで見せてもらいたいぐらいの分量でした。

あの予科練時代の日記は、ちゃんと読めば、わたしがいままであーでもないこーでもないとやってきたことがいろいろと判明するんじゃないかと期待できるものでした。
一部は写真で撮ってもらいました(分厚い日記だったのでスキャンはムリそうだった)。とりあえずそれだけでもなるべく早く読んでしまおうと思います。

やらなければならないこと。
・写真に写っている人や、手紙の差出人・話題にされている人で連絡がつくご遺族の方に連絡
・撮ってきた予科練時代の日記の内容確認

16年(蒼龍時代)の日記はYさんにおまかせです(^^;)


これらの遺品をどうするかについてはイッチ家でよく話し合ってもらい、その結果、もし、Yさんやわたしで相談に乗れること(公的な相談先の紹介など)がありそうなら、そのときは言ってくださいということになりました。

昨日、イッチの希望を聞いたところ、
「とにかく内容を知りたい(日記や手紙を読んでみたい)」
ということだったので、もしかしたら、内容を知ってからどうするか決めるという流れになるのかな、とも感じました。わたしの想像ですが。





いつもは訪問先で、ご遺族の方と一緒に記念写真を撮るんですが、今回は慌ただしすぎて先方さんと写真を撮れませんでした。
(イッチ家の人が出してくださったお茶を飲む時間さえなかった(>_<))


で、帰り際にそれを思い出したので、慌てて「イッチ家訪問記念写真」を。

はいよ(笑)


イッチ家のみなさん、昨日は本当にありがとうございました<(_ _)>












夜中に帰宅したら、春海はまだ起きていました。


開口一番、


あー、書かなくてもわかりますよね。



おみやげは?(*´▽`*)



ママを待っとったんじゃなくて、これを待っとったんです。


そんなもん買ってる時間なんかあるかーい!



とは言わず、

「はい、おみやげ♪」

Yさんからいただいたおみやげを横流ししておきました(笑)


Yさん、最初から最後まで(笑)ありがとうございました(・ω・)ノ

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