ホリブンの肉声 ― 2011年05月05日 14時05分57秒
ホリブンは手記を残しているので、それが肉声と言えば肉声ですが・・・・。
以前、ママは第三者が書いた手記の中からホリブンの肉声を集成しようと試みたことがあります(「戦友の手記に登場するホリブン」)。
よほどおとなしい人だったのか、まあ、結果的には、肉声を拾えず。
いままで第三者から聞いた”ホリブンの肉声”としては、唯一、K上飛曹が教えてくれたアレ。
「今日はいいところに連れて行ってやる」
と言って、20年2月頃、訓練の帰りに寄り道して、石鎚山の樹氷を見せてくれたって話。
(愛媛で聞いたときには、黙って連れて行かれたようなニュアンスだったのですが、いつもの会合で聞いたときには、訓練に上がる前にホリブンからこう言われていたと)
以前、ママは第三者が書いた手記の中からホリブンの肉声を集成しようと試みたことがあります(「戦友の手記に登場するホリブン」)。
よほどおとなしい人だったのか、まあ、結果的には、肉声を拾えず。
いままで第三者から聞いた”ホリブンの肉声”としては、唯一、K上飛曹が教えてくれたアレ。
「今日はいいところに連れて行ってやる」
と言って、20年2月頃、訓練の帰りに寄り道して、石鎚山の樹氷を見せてくれたって話。
(愛媛で聞いたときには、黙って連れて行かれたようなニュアンスだったのですが、いつもの会合で聞いたときには、訓練に上がる前にホリブンからこう言われていたと)
昨日、図書館で見つけた追憶記にはホリブンの肉声が掲載されていました。
戦後、ずいぶん経っているので”ホリブン”の肉声というより、”三上光雄さん”の肉声です。
安食昭夫さんの「追悼の記」より。
「それは、あなたと私の二人の合作じゃあないですか。どうぞ自由に使ってくださいよ」
これはいつどういう状況での発言かというと・・・・。
亡くなる3、4ヶ月前の会話だそうです。
安食さんは、もともと堀さんが『私の日記から』という表題で『とんぼ』(乙飛十期会)という冊子に書かれていた手記を、『南溟の空よふたたび』と改題して月刊誌・『予科練』に再掲させてもらおうと思い、ご自宅に電話をされたそうなのです(安食さんは当時月刊『予科練』の編集委員)。
当時すでに堀さんが病気だという話は聞いていて、不在かな?と思いつつ電話をしてみたら本人が在宅していて電話に出られたそうです。
そのときに、再掲したいという話を安食さんから聞いた堀さんがこう言われたと。
「二人の合作じゃあないですか」
という発言には、裏話があって・・・・。
『南溟の空よふたたび』という手記は、堀さんへの追悼文とともに同じ会報に掲載されています。内容は、昭和45年から46年にかけて、インドネシアやニューギニアに出張したときに思い出した戦時中の体験や同期生のこと・・・・。その「思い出した戦時中の体験」が、この会報にも掲載された『若き日の想い出』の内容と重なっています。
どうやら、『若い日の思い出』を零戦搭乗員会の会報に掲載するに当たって、安食さんが原文の手直しを頼まれたらしく、安食さんは堀さんと東横線の自由が丘駅の近所にある喫茶店で会って、コーヒー1パイに水をおかわりしながら4時間ほどかかって、相談しながらまとめたようなのです。
ですから、『若き日の想い出』は堀さんと安食さんの合作→(これをベースにした)『南溟の空よふたたび』も堀さんと安食さんの合作、という意味で、電話でああ言われたようなのです。
これらの話からわかることがあります。
・堀さんの手記『若き日の想い出』は、多少第三者(安食さん)と手直ししているものの、本人が書いている。さらに手直しも本人が了解している範囲。
昔、大いに感動させられた搭乗員さんの手記も、中には第三者が書いているものがあると聞いて、「まさかホリブンも・・・・」とちょっとドキドキしていたので、これがはっきりしたことは喜ばしいことでした。
あと、これは可能性ですが・・・・。
・堀さんは戦時中、日記をつけていて、しかも、戦後も所持していた可能性がある?
もしかしたら『私の日記から』の”日記”は、全日空機長時代の”日記”という意味かも知れません。
なんせ、搭乗員さん方、「終戦時に持ち物を燃やした」と言われている方が多いので・・・・
特にホリブンは大村での終戦後、皇統護持作戦に従事しているので、戦時中の日記などはつけていたとしても処分した可能性が高いような気がします・・・・。
この電話の時、安食さんが「病気の方はいかがですか?」と尋ねると、
「早くよくなって会報の編集に行って皆さんに会いたいですね」
と言われていたそうです。
さらに安食さんの「追憶の記」から。
「私は幸せな男でしたよ。一生空で過ごせたんだからね」
これは、全日空を定年になった頃に言われたようです。
当時、堀さんと安食さんは会報の編集作業のあと、途中まで同じ方向、一緒の電車で帰っていて、いろいろ話をされたそうです。
そのときにそう言われていたのだとか。
元搭乗員のお二人が電車に揺られながらこんな会話をしているシーンを想像・・・・映画みたい。
1973年(昭和48年)10月22日、日本のパイロットととして史上7人目の飛行時間2万時間を達成されたそうなのですが、そのとき言われたことば。
「二万時間といっても毎日の積み重ねですからね。二万時間飛ぶためには、まず会社が飛ぶ機会を与えてくれたということのおかげだし、今まで整備、運航の人がいかに苦労してきたか・・・・。そういう人たちの苦労のうえにあぐらをかいて、機長だけが”二万時間パイロット”といってお祝いされるのは心苦しいですね。パイロットは飛ぶのが仕事なんですから・・・・」