乙7期 安達梅男さん ― 2026年05月16日 00時06分13秒
9期生の飛行機隊戦闘行動調書は、10年以上前にその時点で公開されていた分はわたしはほぼ見ているのではないかと思います。
当時はみんなの操偵、機種すらわからず、悪戦苦闘していました。
どこの航空隊に勤務していたのか、操縦員なのか偵察員なのか、行動調書を見て判断していました。
ただ、「見ている」と言っても9期生の名前を探していただけで、ペアまで気が行っていませんでした。
最近、わけあって藤谷周覚さんの行動調書を全部見返していたのですが、初陣から、
「あっ!」
と声をあげてしまいました。
1空
昭和16年12月8日 クラークフィールド攻撃
操縦:安達梅男1飛曹(乙7)
藤谷周覚3飛曹(乙9)
偵察:関谷関吾2飛曹( )
小山一男2飛曹(乙8)
古閑靖人1飛(丙3)
電信:藤井初男1飛( )
搭整:小山義助(介?)( )

安達梅男さん

小山一男さん
安達さんはこのあともずっと藤谷さんのペアの主操です。
昭和17年4月、1空から4空に転勤になったときも一緒に異動しているようです。
小山さんは同じ分隊は同じ分隊だったようで、おそらく転勤も一緒にしているのでは? たまに一緒に飛ぶことも。その後、4空時代にあるできごとがあり、それ以降は藤谷さんのペアの主偵になります。途中で転勤されたのか、行動調書からお名前がなくなりました。
中攻隊は大所帯なので乙飛の先輩は当然いるでしょうが、いつもだれかかれか先輩と一緒に飛ぶっていうのは心強いんじゃないかなと思います。いや、わからんですよ。世の中にはいろんな”先輩”がいるんで(笑)
そういうわけで、わたしは勝手に安達さんを藤谷さんの操縦の師匠認定しました。
安達さんは支那事変から出撃しているベテラン搭乗員です。
藤谷さんは初陣からずっと、安達さんの操縦を見ながら成長していったんだろうな、と。
以前、知人Мさんから見せてもらった7期中攻操縦員のアルバムに安達さんが何枚か写っていたので、今日は安達さんの話を。
山口県出身。
中攻操縦員。
予科練時代(横須賀)



失礼な話なんですが、見つけたときは「めっちゃかわいいやん」って口に出てしまいました💦
誰でも雛鷲、いや、それ以前のたまご時代もあるわけで。
冒頭の写真は7期の卒業アルバムの写真です。
さすがに「かわいい」ではなくなっています。
でも、やさしそうな感じに見えますけどね。※個人の感想です
飛練時代(霞ヶ浦)

大型機講習時代(木更津)

すでに下士官任官しています。
7期生は飛練を卒業した時点ではまだ兵階級なんですよね。
中練で飛練を卒業して特技章を付与され、延長教育として実用機訓練をしています。
安達さんもどこかで攻撃機の訓練をしてから木更津で大型機講習を受けたのだろうと推測。
同じ呉の山口良一さん(愛知県出身)が大分で攻撃機をやっていたようなので、安達さんもその可能性大かななんて思っているのですが。わかりません。
実施部隊時代


これ、同じ7期の中攻操縦員の方のアルバムにあった写真なのですが、15年2月10日の注記がありました。
この写真は注記はこれだけですが、同じ場所で撮られたと思われる写真に「上海集会所」という注記があるものがありました。
15年2月分は見つけられなかったのですが、15空の戦闘詳報、5月の百色鎮庵攻撃隊編制表に安達さんのお名前があるので、大陸の方に行っていたのは行っていたようです。が、2月にどこにいたのかはわかりませんでした。
安達さんに似ているような気がするんですが・・・・。
残念ながら藤谷さんと一緒になった1空時代(16年11月~17年3月)、4空時代(17年4月~)の安達さんの画像は手元にありません。
なので、搭乗機を作ってみました。
4空 17年7月12日 リ号作戦ニ於ケル「ブナ」「ココダ」間クムン河附近写真撮影 ブナカナウ
操縦:安達梅男1飛曹(乙7)
藤谷周覚3飛曹(乙9)
偵察:入常雄飛曹長( )
古閑靖人1飛(丙3)
小林正次2飛(丙4)
電信:藤井初男1飛( )
石丸正博1飛(丙)
搭整:小玉長三郎1整曹( )
安達さん、藤谷さん、古閑さん、藤井さん、小玉さんはこの頃の固定のペアだと思います。
ふだんは偵察員は関谷関吾2飛曹と富田一郎2飛(丙3)が入っていることが多いのですが、このときはなぜか入常雄飛曹長と小林正次2飛が入っています。任務が写真撮影だったことと関係があるのかないのか。
そして、なぜか、このときの任務だけ安達機の機番号が書いてあったのです。見つけたときは歓喜しました。
以前にYさんが9期生で機番号がわかる人がいれば塗装図を描くよと言ってくれていて、実際に坂田清一さんの彗星とか平山繁樹さんの銀河とか描いてもらいました。
「Yさんに頼もー!(*´▽`*)」
と一瞬思ったのちすぐに、
「Yさん、たぶんいま忙しい(;´Д`)」
ということに気づきました。某イベントで。
なので自分で描いてみました。
スイマセン、クオリティ低いですorz
ただ、出来上がったものはYさんに見てもらい「大丈夫」のお墨付きをいただきました💦
※ベース・参考は文林堂『世界の傑作機 1式陸上攻撃機』の塗装図や写真
安達さんは16年12月8日の台南からのクラークフィールド攻撃に参加後、比島各地の攻撃や蘭印進出後はダーウィン攻撃などに従事。2月下旬にラバウルに移動後、4月1日に1空から4空に転勤になった藤谷さんと一緒に転勤したのではないかと思われます。
そのタイミングで木更津に帰って来たようです。※いずれも行動調書からの推測です
5月初めにラバウル(ブナカナウ)に再進出、モレスビー攻撃や哨戒が主な任務でした。
そして運命の17年8月7日。
この日は坂井三郎さんの『大空のサムライ』でも大混乱が描かれている日なのですが、米軍がガダルカナル・ツラギに進攻開始した日です。
4空(中攻隊)・台南空(戦闘機隊)ではニューギニアのラビ飛行場の攻撃に向かう予定でしたが、米軍の動きを知り急遽攻撃目標をガダルカナルに変更。
この日、どういう事情があったのかわからないですが、藤谷さんは佐々木孝文予備少尉の副操として、別ペアと一緒に出撃します。
一方の安達さんは、
操縦:安達梅男1飛曹(乙7)
太田繁雄3飛曹(操47)
偵察:関谷関吾2飛曹( )
西崎恒一2飛(丙3)
電信:藤井初男1飛( )
搭整:大貫岩雄1整曹( )
小玉長三郎1整曹( )
この攻撃で4空は爆装で27機出撃、4機の自爆機と、2機の不時着大破機を出しました。戦死者29名。
自爆した4機の中に安達機が含まれていました。搭乗員は全員戦死。
藤谷さんは同じ中隊で出撃していました。目の前でふだんの自分のペアの最期を目撃してしまったのか、それともラバウルまで帰ってきてから知り、戻らぬペアを待ち続けたのか、それはわかりません。
藤谷さんは何も書き残していなのでそのときの心境などは想像するしかないのですが、同じことを経験された方にとっては相当衝撃的な出来事だったように思うので、藤谷さんもショックを受けたのではないかと想像します。
多座機のペアは常に「生きるも死ぬも一緒」の仲間なんですよね。そういう意味では家族以上の存在ではないかと。
このときの藤谷さんの気持ちを想像すると、しんどいです。
※画像は7期生ご遺族、8期東富士喜さんご家族、Мさん、武田信行氏ご提供。
無断転載禁止でお願いします
ちんゆいそだてぐさ ― 2026年05月16日 22時26分18秒
母親を連れて郡山城に行ってみたらなんか知らんけどすごい人出。
何ごとかと思ったら、ちんゆいそだてぐさという工芸イベントをやっていました。
※遊歩道側(裏)から入ったので、出す画像は撮影順が逆になっています

仮設テント(工芸品、食品)が所狭しと設置され、ところどころにはキッチンカーも。

今日はお天気も良くて暑くて、その上すごい人で、ゆっくり見ることはできなかったけれど、かわいい作品を並べているお店が多かったです。
宝くじでもあたっていたらあれもこれもと購入できるのですが、懐寂しいので見るだけ(笑)


ここで母が「回しないよ」と500円玉を入れてくれたのでぐい呑みガチャを回しました。
ガチャと言っても、出てきたぐい呑み含め、そこに置いてある複数のぐい呑みから選んでよくて、全然「ガチャ」じゃなかったんですが(笑)
出てきたのは淡いブルーのぐい呑みでそれでもよかったのですが、機械の前に置いてあったぐい呑みがかわいかったのでそちらにしてもらいました。

ふつうに売っていた豆皿もステキだったので1枚購入。
大福とか食べるのによいサイズです。
お城のあとはお昼ご飯を食べに昆布屋のうどん屋さんに行ってみたんですが、お昼前だったのに行列ができていました。10人はいなかったかな?
うどんなので回転は速いだろうと並びました。
冷やしぶっかけにしました。うどんも出汁もうまうまでした。
食べ終わって出てきたらお店の前の待ち人はさらに増えていました。20人ぐらい?
若い人の集団もいました。城下町歩きしているのかな?
以前は若い観光客なんかいなかったのに。
おそるべし大河効果(;゚Д゚)
