土浦 神龍寺 霞ヶ浦海軍航空隊航空殉職者供養塔 ― 2025年11月11日 15時59分07秒
10月30日に土浦の神龍寺に行ってきました。
神龍寺といえばこれ↓

浅川さんのアルバムにあった雄飛会慰霊祭らしき集合写真。
この写真に関しては以前に書いているのでそちらをどうぞ。
この写真に関して調べていた時に、神龍寺さんにも問い合わせをしていました。
手紙で写真のコピーも送って見ていただいていました。
「連絡してから訪問しますね」
と言っておいたにもかかわらず、今回、直前に行くのを決めたため、アポなしで行ってしまいました。

行って、ふらっと寺務所を訪ねてみたところ、手紙のことも覚えていてくださってこころよく対応してくださいました。
・戦前の雄飛会慰霊祭に関する資料は残っていない
・本堂は建て替えしているけれど位置や向きはかわっていない
・明日、花火関係者や航空殉職者の慰霊祭がある
とのことで。
お忙しいときにスイマセン💦
ちょっとお話をして、あとはひとりで境内を見学させていただきました。

現在の本堂。
車のある位置ぐらいに予科練生たちが居並んでいるんでしょうかね。

秋元梅峰和尚の胸像。
本堂の前、右寄りの茂みのところにあります。

雄飛会慰霊祭の下半身もある和尚像。
こういう文化財もあるそうです。
※一般公開なし

境内には霞ヶ浦海軍航空隊の航空殉職者供養塔もあります。
裏にも回ってみたのですが、いつの建立かわからなかったです。ふつうは石碑自体に書いてあると思うんですが・・・・。
帰宅後ネットで調べたら「昭和10年建立」と書かれたサイトがありました。
向かって右の碑
【上段】
海軍大尉 上田善夫(兵44)大正11年6月21日霞ヶ浦神社合祀者名簿
海軍少佐 小牧猛夫(兵40)大正12年3月27日霞ヶ浦神社合祀者名簿
海軍一等水兵 成松賢次(操3)大正12年4月28日叙勲※「霞ヶ浦航空隊関係(2)」に詳細
海軍大尉 青山哲次郎(兵48)大正13年1月29日叙勲資料では「哲二郎」※安藤中尉機と衝突
海軍大尉 片桐雄司(兵48)大正13年3月19日※海軍飛行船SS3号殉職者
海軍二等機関兵曹 伊奈仲二( )大正13年3月19日※海軍飛行船SS3号殉職者
海軍三等兵曹 髙井浩一( )大正13年5月30日霞ヶ浦神社合祀者名簿
海軍大尉 吉永彌太郎(兵48)大正13年12月19日叙勲※山﨑大尉、髙倉技手と同衝突事故
海軍一等水兵 大塚志賀之助( )大正14年3月17日霞ヶ浦神社合祀者名簿
海軍大尉 水永利應(兵49)大正14年4月14日霞ヶ浦神社合祀者名簿
【下段】
海軍中尉 小島兼男(兵50)大正14年6月29日霞ヶ浦神社合祀者名簿
海軍特務中尉 髙澤祐次郎( )大正15年3月25日霞ヶ浦神社合祀者名簿
海軍大尉 西岡三郎(兵50)大正15年7月10日
海軍三等兵曹 佐藤 忠( )
同 眞田武雄( )
海軍大尉 髙木恒三(兵52)昭和4年10月18日
同 澁谷誠馬(兵55)昭和6年8月22日※定宗1空曹、小内3空曹同乗墜落
海軍二等航空兵曹 小内忠次(操14)昭和6年8月22日祭粢料下賜※渋谷中尉、定宗1空曹同乗墜落
海軍少佐 長坂盛二郎(兵52)昭和7年9月3日叙勲
海軍三等航空兵曹 津久井覺治(乙2)昭和9年11月22日
向かって左の碑
【上段】
海軍少佐 奈良寅男(兵42)大正11年8月5日叙勲
海軍二等機関兵曹 羽鳥友三郎( )大正12年3月28日叙勲※3月27日墜落
海軍大尉 安藤繁信(兵48)大正13年1月29日※青山中尉機と衝突
海軍少佐 髙橋道夫(兵44)大正13年3月19日※海軍飛行船SS3号殉職者
海軍一等兵曹 介川與四郎( )大正13年3月19日※海軍飛行船SS3号殉職者
海軍三等兵曹 髙橋善三郎( )大正13年3月19日※海軍飛行船SS3号殉職者
海軍少佐 山﨑謙三(兵47)大正13年12月19日叙勲※吉永中尉、髙倉技手と同衝突事故
海軍技手 髙倉要政( )大正13年12月19日叙勲※山﨑大尉、吉永中尉と同衝突事故
海軍三等兵曹 松永繁視(操7?)大正14年6月25日叙勲
【下段】
海軍二等兵曹 山本恒太郎(操3)大正15年2月4日叙勲
海軍一等兵曹 田中兼男( )大正15年3月25日霞ヶ浦神社合祀者名簿
海軍少佐 濵本光雄(兵46)大正15年12月18日叙勲
海軍三等兵曹 古賀 清()昭和2年1月19日御菓子料※19日事故20日発見
同 本廣岩雄(操12)昭和3年1月19日飛行機遭難の件
海軍中佐 小野虎太郎(兵43)昭和5年8月1日※津久井金四郎中尉、肥後道盛2空曹と同乗
海軍航空兵曹長 定宗英之( )昭和6年8月22日※渋谷中尉、小内3空曹同乗墜落
海軍少佐 西島綾夫(兵48)昭和7年4月23日叙勲※4月20日行方不明
海軍三等機関兵曹 金澤隆八(操25)昭和9年11月20日j叙勲
海軍三等航空兵曹 坂井常喜(乙2)昭和10年1月31日
海軍二等水兵 藤澤辰次郎(操30)昭和10年9月20日叙勲
※石碑は殉職後の階級と氏名のみ(太字部分)。それ以外はわたしが追記しました。
乙2期の方のお名前があったので驚きました。

津久井覚治さん(群馬) 水上機操縦専修

坂井常喜さん(福岡) 艦上機操縦専修
津久井さんは殉職されたとわかっていたのですが、坂井さん。
雄飛会戦没者名簿では「疾病入室中に病死」となっていたので、
「病死の方も殉職者慰霊碑にお名前が刻まれるのか」
と不思議に思いました。
帰宅してあらためて調べたところ、坂井さんは訓練中錐揉みを回復できずに墜落死されていました。病死ではなく殉職。詳細な報告書がアジ歴にあり。
乙2飛練の霞空時のオフィシャルな集合写真は浅川さんのアルバムに3枚ありました(行軍写真除く)。
おそらく撮影順は下の通りだと思います。

艦上機操縦専修生たち。

この集合写真にだけ坂井常喜さんが写っています。

艦上機操縦専修生たち。
坂井さんだけ写っていません。

こちらは修業記念の集合写真と思われます。
艦上機操縦&水上機操縦専修生たち。
坂井さんも津久井さんも写っていません。なぜか建山逸馬さんも写っていません(建山さん不在の理由は不明)。
津久井さんの飛練時代の写真はないだろうか?
と思って、同じ水上機操縦班だった松永喜三男さんの写真を見返してみたのですが、津久井さんだとわかる写真はありませんでした。
時期的に、津久井さんが写っていそうな写真が1枚だけありました。

乙2飛練と操練25期生の筑波山登山の記念写真だそうです。
昭和9年9月16日だということで、もしかしたらこの中に津久井さんも写っているかもしれません、
お顔からはちょっと探せないです。
※土浦神龍寺の現在の写真以外は浅川さん・松永さんご家族ご提供


