Google
WWWを検索 ひねもすを検索

飛行装備の写真館写真2024年02月01日 09時59分49秒

以前、9期の藤谷周覚さんのご遺族の方から藤谷さんの個人写真を送っていただきました。

その後、この写真に関して、
「飛行手袋に何か書いてあるようだけれど、何と書いてあるんでしょうか?」
みたいな問い合わせをいただきまして、あらためてスキャンしなおした画像も送っていただきました。


問題の手袋の文字は90度回転させて拡大するとこんな感じです。
文字だろうなという感じはします。

右に2文字、左に3文字かしら?






そもそも写真館で身に着けている飛行服や飛行関連装備品は本人の持ち物ではなく、写真館のレンタル用品です。

基本、搭乗員は飛行服のまま基地外に出てうろうろすることはできなかったようです(搭乗員さんに手紙で聞いた。ただし戦地や終戦間際になるとその限りではなかったもよう)。

なので、予科練生たちが練習生期間に写真館で飛行服や飛行眼鏡などを装着して撮っている写真は写真館の備品と思ってまず間違いないでしょう。

藤谷さんのこの写真も、どこかの写真館で、写真館の備品を身に着けて撮ったものでしょう。

だとしたら、写真館の名前が書いてある可能性が高いのかな?とも思いましたが、「○○写真館」には見えないですよねえ。
予科練周辺でよく知られている写真館は小船井写真館と廣岡写真館ですがどちらも違うように見えます。
(写真自体に刻印はない)


藤谷さんが2空の階級章をつけているので、2空でしかも二種軍装の期間(昭和14年8月1日~9月ぐらいの間)、「夏季休暇の期間が含まれているな」と思い、もしかして地元(三重県)の写真館で撮影されたのかも?という気もしました。
鈴鹿まで行けば、もしかしたら飛行装備を用意している写真館が存在した可能性も?
その写真館の名前が書いてあるのだろうか?

あるいは。
ご遺族の方が「西島  ○小長」のように見える、と言われていました。そう言われるとそんな風に見えなくもない・・・・。
なんとか長と言われたら海軍航空隊の階級に「空曹長」があるのですが(14年当時)、他の2文字は「空曹」には見えないですしねえ・・・・。
海軍からの払い下げ品だろうか?


まあ、結論から言うと、何と書いているのかまではわからない、ってところに落ち着きました。






で。
わたしの手元にはほかにもたくさんの予科練生たちの飛行コスプレ写真があるので、それらを見てみました。

もしかしたら、何かヒントはないだろうか?

これは9期の阿部芳包さんです。
写真右下に小船井写真館の刻印が入っています。
階級章が1空なので昭和15年6月から卒業(11月末)までの撮影でしょう。
もしかしたら、飛練(筑波空)に進んだ後で土浦の予科練に遊びに来て写真を撮った可能性もありますが。

他にも小船井写真館の刻印入り飛行装備写真はありまして。
9期古田正直さん。階級は2空か1空。


9期隅倉慧さん。階級は1空。昭和15年の夏季でしょう。



刻印はないけれどスタジオの雰囲気や装備などから小船井写真館だろう、と思っている写真。
9期松本勝正さん。階級2空。


9期清田進さん。2空。



9期三浦光男さん。2空か1空。




9期生が霞ヶ浦に在隊していた当時の小船井さんの飛行帽・飛行眼鏡のアップ(阿部さん)。



藤谷さんの装備と比べるとまず飛行眼鏡が違いますよね。
阿部さんが装着しているのと同じような形のものを海軍航空隊でも使用しています。


昭和14年6月の百里原海軍航空隊での操偵検査時の9期川崎助男さん。
この装備は海軍航空隊で使用していたものです。
小船井写真館でみなが装着している飛行眼鏡と同じ形かと思います。


①の飛行帽庇のスナップボタンも藤谷さんのものと小船井のものは違うようです。
小船井や海軍の分は折り曲げて止めた状態では金具は見えていないですね。

②小船井の分にはここにスナップフックが二つついています。

③顎を締めるベルト。片方(向かって左)だけが長いです。
藤谷さんの分はベルトは向かって右のほうが長く伸びています。






霞ヶ浦で予科練生や飛練生・操練生たちがよく行っていた写真館で廣岡写真館というところもあります。

9期羽藤一志さん。時期不明。
ここで写真を撮ったことがある搭乗員さんの話だと後ろの飛行機は3式戦闘機という飛行機で、海軍から払い下げられたものだそうです。

他の写真を見ると店先の覆い屋の中にあった様子がうかがえます。


9期石川茂さん。同じく時期不明。

さすがにホンモノの飛行機を置いているだけあって装備も完璧です。
飛行服に落下傘の縛帯まで用意されています。

飛行眼鏡は小船井さんのところと同じタイプのようですね。








写真をつらつら見ていて面白いものを見つけました。
9期池田和義さん。階級は2空。

これ、藤谷さんの写真と装備が似ていませんか?
飛行眼鏡がすごく特徴的なんですよね。
海軍航空隊でも14年当時にあまり見ない形です(わたしはまったく見たことがない)。
たぶん飛行帽も同じものですよ。池田さんの庇のスナップフックは見えないんですが、顎を締めるベルトの長さとか、耳当ての横がポコッと四角く飛び出しているところとか。

飛行手袋の質感は、うーん・・・・腕まで伸びている硬そうな部分が、池田さんのほうが柔らかそうに見えますが。

背景のスクリーン?の模様は似ているような?



似たような飛行眼鏡、飛行帽を探したら他にも、
6期」・中西義男さん

6期宮武義彰さん

宮武さんは階級章が見えないんですが、中西さんは2空ですよね。
6期の2空時代って横須賀なんですよね(^_^;)
2枚とも写真館の刻印がないので横須賀なのかどうかはっきりしませんが。

6期のお二人が霞ヶ浦周辺で撮った可能性はないか考えてみましたが、操偵検査は友部(のちの筑波空)みたいなんですよねえ。

この2枚に関しては、藤谷さん写真との関係は「わからない」としか言えないかな(^_^;)





6期の中西さんと宮武さんは偶然似ているだけかもしれませんが、池田さんは同じ写真館のような気がします。
池田さんが写真を撮っているということはおそらく三重(鈴鹿とか)ではないです。
霞ヶ浦の可能性が非常に高いように思います。

ただ、横須賀説もまったく捨てきれないわけではなく。

こんなことあるかどうかわからないですが、藤谷さんと池田さんが(ほかにもいたかもしれませんが)、夏季休暇に際し、それぞれの実家・三重と静岡に帰省する途中、懐かしの横須賀に立ち寄りそこの写真館(中西さんたちと同じ写真館か)で撮影した――って可能性も0ではないかな。




うちにある予科練生・飛練生の写真を見てみたのですがいまのところこのタイプの飛行眼鏡・飛行帽はこの4枚だけです。

飛行装備ではないふつうの軍服の写真館写真も、藤谷さん写真と同じ背景がないか探してみましたがありませんでした。



結局肝心なことはわからなかったのですが。
「三重の可能性は低いかも」
という程度で。

※画像は6期生、9期生ご遺族ご提供

加賀飛行甲板中央部の風向き標識の件2024年02月01日 19時15分39秒

加賀の飛行甲板中央部のX状の風向き標識に関して。
ブログをご覧になった方からご意見いただきました。



「風向き標識にしては細くない?」




たしかに、(他艦の)艦首の風向き標識に比べると細いような気がします。

じつは前回の記事では割愛しましたが(←あまりにも文章量が多くなったため)、わたしなりに風向き標識の線の太さを割り出しています。
6センチほどではないか、と。

この風向き標識周辺の復元もしています。
見た感じ、細いような気はします。




瑞鶴の飛行甲板中央部の風向き標識も加賀と同じように細いように見えますね(世界の傑作機(文林堂)の零戦11-21型)。




空母を知らないなりに、細くていい理由をいろいろ考えてみました。


「艦首と違って、発着艦指揮所から近いからそんなに太くなくてもよく見えたのでは?」


ではダメでしょうかね?



赤城はどうなのかな?
ちょっといろいろ見て考えてみます。