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【今回の騒動4】手術2011年11月02日 21時26分52秒

24日に入院して、25日に手術でした。

24日の夜、パパを交えての執刀医からの説明。

ナースステーションのパソコンで、レントゲンやMRの画像を見せながら説明してくれました。
指の中、こんな状態になっています、と。

翌日の手術の段取り説明も。

それから手術の危険性の説明も。
「んなもん、直前に聞きたくないわっ!(>_<)」
なんだけど、これって、説明しないといけないらしいんですよ。
それを説明した上で、手術の同意書にサインさせる、と。

画像診断医?や先生の見立てでは、おそらく”腱鞘巨細胞腫”だろうと思うけれども、検査してみるまでは悪性腫瘍であることも否定はできない、と言われました。
ただ、
「可能性としては低いです」
と。

でも、”ここに腫瘍ができる人の中”では可能性は低いかもしれないけれど、わたしにとってみたら0か100かのどちかでしかないのでね・・・・。

それから。
先生たちの見立て通り”腱鞘巨細胞腫”であったとしても、再発する可能性が高いので、また同じところにできるかもしれません、とのこと。
そうなったら、また手術で取らないといけないそうです。
ま、これはいま心配してもしょうがない、と。



25日、手術当日の午前中には、担当の麻酔医の先生が、全身麻酔の説明パンフレット持参で病室に来てくれました。

そこでも全身麻酔の危険性の説明。
「まれに、こんな状態になる人もいます」
って怖い話をたくさんされました。
これも説明しないといけないらしい。

でも、よくよく聞くと、手術前にふつうの健康状態だったら、そんなにトラブルが起こるものでもないらしい。

それまで全然知識がなかったのですが、全身麻酔って点滴入れてすぐにグー(-_-)゜、手術が終わったら15分ぐらいで覚めるものらしいです(個人差があるらしい)。

怖い話もいっぱいされたけど、「全身麻酔ってこんなもん」って話を聞いて結構気が楽になりました。





手術室に入って、ゴロゴロと連れて行かれたところに麻酔医の先生がいました。
あらかじめ刺しておいた点滴の針に麻酔薬をつないだのだと思います。それから酸素マスク、パコッ。それがちょっと息苦しくて、
(何だ、これ、ちゃんと酸素来てるん?)
と思いながら、4、5回息したのまでは覚えているのですが、次に目が覚めた時はナースステーション横の要看護室でした。

知らん間に終わっとった!?



あとで聞いたら、手術は1時間20分(予定では1時間30分)、麻酔は18分で覚めたそうです。

ただ、この”覚めた”ってのが、わたしには自覚がない、まったくない(-_-)

覚めたのを確認してからでないと手術室から病室に移せないらしく。

手術室の看護師さんが、
「ママさん! ママさん! わかりますか! わかったら、うなずいて下さい!!」
と声をかけたら、ママ、めっちゃ激しくウンウンうなずいていたそうです。
その時点で”麻酔から覚めた”ということになり、病室(要看護室)に移動したようです。


夢かうつつかわからないのですが、ママがぼんやり覚えているのは、ベッドの周囲で執刀医の先生の声と、春海の声、パパの声がしていて、先生が、
「取ったところ見ますか?」
とパパに聞いていたような・・・・?

家族は手術室には入れないので、もし、現実だとしたら、これは要看護室。

ただ、そこで目がぱちっと覚めたわけではなく、またうつらうつら寝てしまったようです。

ぱちっと覚めた時には、先生もパパも春海もいませんでした。
夜になっていたかな?

【今回の騒動5】箱2011年11月02日 23時19分03秒

手術後は、腕の固定。
上に上げておかないといけないらしい。

寝ている間は、吊すんじゃなく、箱に入れておくように言われました。

箱は病院が貸してくれました。

↓こんなやつ。


↓使用例。
↑ママ本体はベッドに寝ています。

起きてトイレに行くときは、左手は挙手?状態で。
ベッドに起き上がってごはんを食べるときも左手は挙手。

先生に、
「なんで?」
聞いたら、出血や腫れを防ぐためだそうです。
「心臓より高い位置に」
と言われました。

入院中だけでなく、退院後も。
昨日、退院後初外来で診てもらったのですが、そのときも、
「まだしばらくは手は上げておいてね」
と言われました。

「手術したんやで( ^o^)ノ”」
と見せびらかしながら歩いているみたいで、なんか恥ずかしい。


【今回の騒動6】検査結果2011年11月03日 11時00分57秒

最初は「入院2週間」と言われていたのに、結局6日で退院しました。

点滴での抗生剤投与が終わったからかな?

「何かあったときすぐに来れるなら、退院してもいい」
と言われたので、じゃあ、そうします、と帰ってきました。

手術したあとが痛いのは切ったから当たり前、と別に気になりませんでしたが、右手甲の内出血にはうろたえましたね~。腐ってきたのかと思って。

また、患部に巻かれた包帯のあまりの臭さにも閉口してしまいました。それを理由に予約外で駆け込みたくなるぐらい臭かったですよ(>_<)

包帯の臭さは何とか我慢。
11月1日、退院後初めて外来で診てもらいました。

呼ばれて、診察室に入ったところ、先生の第一声、
「組織検査の結果ねー」

ドキッ!(゜Д゜)

結果出るまで2週間ぐらいかかると言われていたのに、1週間で出たみたいです。

「やっぱり、思った通り腱鞘巨細胞腫でしたよ(^o^)」→悪性腫瘍ではなかったということ



先生は何気に言われているのかもしれませんが、こっちにしてみたら「生き返った」と(^_^;)


ホッとして気が緩んだついでに、
「いや、先生、実は昨日ですね」
と、前日の内科診療所でのできごと:春海の「ふつうはもっと黄色い・・・・」→診察室が凍ったって話、あの話を先生にしたところ、大笑いされてしまいました。

「あれはそういう意味じゃないですよ。ホルマリンに漬けて色が変わってしまったからそう言ったんですよ。他の人と比べてって意味じゃないですよ(笑)」

ああっ!?

春海のあのセリフで、10月にガバッと縮んだ寿命がさらに数日分ぐらいは縮んだんですが!?

「ふつうは」じゃなく「本当は」って言ったんじゃないかね?(^_^;)

※あとでもう一度春海に確認したところ、やはり春海は「他の人と比べて」という意味に取っていました。
その場に一緒にいたらしいパパにも、どういうふうに解釈したか確認したところ、
「あのとき先生、そんなこと言ったっけ?」
と、先生の「もっと黄色い・・・・」発言を聞いてすらいなかったそうです(怒)。

で、先生には、
「あなた、こういうこと気にするタイプの人なんですねー(^o^)」
って思い切り笑われましたよ(-_-;)

いまごろ気づいたんですかっーーーーー!!!!




入院中は先生と手術の話できなかったので、この日、初めて聞いてみました。

ママ「浅いところに、触ってわかる小さいしこりが2つあったじゃないですかー。それとは別に画像で見たら、中の方に骨が溶けるぐらいの大きな腫瘍があったと思うんですけどー、それってどうなっていたんですか?」

先生「そうそう、その通り。大きい腫瘍からボコボコって飛び出しているような感じになっていましたよ」

2つも3つも別々のものがあったわけではなく、いびつな形の1つの腫瘍だったらしいのです。

↑内側の小さい腫瘍がわかりにくいですが、全部くっついていたそうです。
ポコっとは取れなかったそうです。骨膜までいっていたと言われていたかな? 


この日、初めて手術した箇所を見ました。
デジカメ持参していなかったので画像なしです。
第一印象。
「思ったより、指が残っている!?」
指断面の半分ぐらいになっていた腫瘍を取ったのだから、指も半分ぐらいの薄さになっているのかと思ったら、外見には以前と変わらないぐらい指はありました(^_^)v

切開痕は「/」ではなく「S」でした。4、5センチぐらい?
そこに消毒して、また包帯を巻き直しました。
新しい包帯。しかも今度はシンプルに親指オンリー。臭くなったら自分で新しい包帯を巻いていいそうです(^O^)

抜糸は来週です。




つーわけで。
ご心配をおかけしましたが、診断は「腱鞘巨細胞腫」で確定みたいです。

パパの愛2011年11月03日 11時42分29秒

今回、ママがまたしても妙な病気にかかってしまい、家族にも大変心配をかけてしまいました。

今回の一件で、パパがママをどれだけ愛しているか、十二分に確認させていただきました。



10月9日。
ママ「山鳩のハンバーグ食べに行こうよー(^o^)」
パパ「おうっ!(^o^)」

天理に山鳩という洋食屋があって、たまに行くのです。
そこにランチに行きました。

食後、パパ、
「ここまで来たから、三輪さん(大神神社)行こうよ」
と、いかにもついでっぽく言い出しました。

で、三輪さんに行って、車を止めて、参道を歩き始めたときに、パパがビデオカメラを手にしているのに気づきました。
「なんでランチ食べに出ただけなのにビデオ持参なんだよ!?(--#)」
しかも、いつもは春海しか撮らないくせに、今日に限ってママを撮っているし!?

お願いだから、そうあからさまな”思い出作り”はやめてくれーーーー!!!!(>_<)



そのまま上がって病気平癒のご祈祷をしてもらいました。



神社の人が「病気平癒祈願なら・・・・」と、狭井神社を紹介してくれたので、そちらにもお参り。
狭井神社

この裏手に薬井戸があり、そこから神水が湧き出ているので、親指に掛けてきました。
「ガンじゃありませんように・・・・」



病気がわかってから、パパが妙にやさしくてね・・・・。

イオンモールに行っても、
「ママは○○いらんの?」
と何でも買ってくれようとするのです。

でも、ママは逆に、
(いま買っても、もし手術が失敗したりしたら無駄になるし・・・・)
と、ママ史上最高の無欲の境地に・・・・。

お願いだから、手術が終わって検査結果が出てから、いろいろ勧めてくれーーーー!!!(>_<)




退院して帰ってきて2日目の夜だったか・・・・。
お風呂(シャワー)に入る前に、左手の患部の上からビニール袋かぶせて、それが取れないようにパパにテープでとめてもらっていたのですが、そのとき、
「ママ、背中洗えんの?」
と。
「洗えへん」
と言ったら・・・・
パパが何年ぶりかで背中を洗ってくれましたーーーー!!!!(ToT)(ToT)(ToT)

エエ話や!!

エエ話や!!!

エエ話でしょ!!!!




1日に「悪性腫瘍じゃない」ってわかった途端、洗ってくれなくなりました(-_-;)

※左手が使えないことは以前と変わらず

還ってきたパパの愛2011年11月04日 08時02分33秒

昨日、夜中。
パパは先に春海とお風呂に入ったので、電気も消して、布団に寝転がってスマホで遊んでいました。
どう見ても、背中を洗ってくれそうな体勢になかったので、ママはあきらめて一人でお風呂に入りました。

背中や右腕が洗えないまま、そろそろ出ようとしていた頃・・・・

突然、コンコンと扉をノックされました。
半透明のドアの向こうにパパが。

「何ー?」

「背中洗ってあげるわ( ^o^)ノ」

春海の体洗いスポンジを手に、慌ただしく浴室に入ってきたパパ。

なんで、いまごろ?
と思ったら・・・・


ママがお風呂に入っている隙に、こっそりブログ(「パパの愛」)を見たらしく、自分の知らない間に自分の誤ったイメージが世間に垂れ流しにされていることに仰天したパパが、記事の訂正を求めて背中洗いにやってきようなのです。


ウソは書いていないので訂正はしません。
10月30日、31日、洗ってくれた
11月1日「悪性腫瘍じゃない」と判明→1日、2日洗ってくれなかった
11月3日、ブログに書く→その晩、慌てて洗いに来る

↑こんな経過です(笑)