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加賀艦攻隊・渡辺中隊 昭和13年初?2025年06月18日 15時35分56秒

先日、操練36期の西継男さんのご遺族の方が西さんの遺品の写真を何枚か送ってきてくださいました。

その中の1枚です。
これ、最初に見たのは1年以上前なのですが、初めて見たときは声を上げてしまいました。歓喜の叫び。


わかるかな?
みなさん、氏名(姓のみ)が書かれた軍帽を手にしています。※以下、「軍帽写真」と呼称します

「あああああ!!!!」
この写真で何がうれしかったって、もちろん初めて見る写真だったってのは当然あるのですが、
これ!↓
「大串さん!!」

以前、支那事変時、昭和13年5月の渡辺中隊集合写真を紹介したときに、この人、大串融さんではないかと思うのだけれどあくまで編制表からの推定だ、みたいなことを書いていたと思います。→ここ

その人が「大串」と書かれた軍帽を持って写っていた!
これは歓喜です。
おひとりでも、お名前がわかるとうれしいです。



写っている人たちを紹介します。※階級はあとで掲載する編制表から
前列左から
浅川三雄2空曹


小嶋氏
手書きで「小嶋」と書かれた軍帽を持っています。小嶋さんだとしたら、この人、編制表に見当たりません。
編制表に「小島力」3空曹という人がいるのですが、この人と同一人物なのでしょうか。


佐賀睦夫1空曹


大久保緑1空曹
この方はほかの写真から裏を取ったわけではなく、編制表から「大久保緑さんだろう」と推定しました。


谷口惣一郎1空曹


亀田政義2空曹


下東春雄3空曹



中列左から
田添茂次郎3空曹


高木三二3空曹
この人ひとりだけ、軍帽が隠れていて名前が見えません。
他の写真から高木さんであると。


馬場常一2空曹


重信常治3空曹


仲島平八2空曹?
仲島さんも姓しかわからないのですが、12年末の編制表の仲島平八さんかなと思っています。「仲」という字のナカジマさんはめずらしいですね。


小野義範3空曹


秋吉清人1空


船津忠信1空




後列左から
西継男1空


吉野正美1空


渡辺晃1空


大串融1空


中尾保蔵1空











写っているメンバーからすぐに「昭和13年ごろの加賀の艦攻隊の下士官兵搭乗員たちだな。5月ごろの渡辺中隊とだいぶかぶっている」と思いました。
13年5月渡辺中隊(准士官以上も写っています)


下士官兵がどれぐらいかぶっているかというと、※順不同、氏名略
















これだけかぶっています。



ちなみに軍帽写真に写っていて、5月写真に写っていない人。
大久保緑さん

小嶋(小島力?)さん

仲島平八さん?


逆に、軍帽写真に写っておらず、5月写真に写っている人。
扇喜茂芳さん

鶴勝義さん

赤松作さん





そこでいつものように当時の艦攻隊の編制表を書き出して考察してみました(アジア歴史資料センターHPより)。
一部、編制表のお名前が判別できない人がいます。

今回はメンバーの配置を見る目的だったので、艦戦隊、艦爆隊の編制表や、攻撃の詳細などは書き加えていません。

青字は准士官以上の人たちです。今回の軍帽写真は下士官兵だけの集合写真なので、この人たちは写っていません。

オレンジの網掛けが軍帽写真に写っている人たちです。



12年12月25日から13年1月13日まではまとまりない感じで配置されていますが、1月14日、16日あたりはペア、あるいは小隊、中隊として軍帽写真の人たちがまとまっているように感じます。
3月以降は渡辺中隊ととしてまとまっているように思えます。

1月17日から3月14日まで、編制表に空白があります。
wikiには加賀は1月25日に佐世保に帰投したと書かれていますね。日付はわからないですが、わたしもまあそのあたり(1月17日以降)でいったん内地に戻ったのかなとは思います。
戦線復帰した日付に関しては、wikiの日付はどうなの?と思いますけど。

編制表からの推測ですが、おそらく内地に戻っている間に大久保さん、小嶋さん、仲島さんが転出して、扇喜さん、鶴さん、赤松さんが渡辺中隊に合流したのではないかと。あくまで推測ですけど。

内地で羽を伸ばす渡辺中隊の面々の写真もあります。浅川さんのところにも、西さんのところにもありました。
大久保さんに似ている人が写っている写真もあれば、赤松さんや鶴さんが写っている写真もあります。ただ、大久保さんらしき人と、赤松さん・鶴さんが一緒に写っている写真はないです。
これらの写真はもう少し写っている人物を探ってから取り上げたいです。







というのが、写真を理解するためにした作業です。

これとは別に感想というか印象というか、そういうのもあります。
軍帽に名前を書いたものを持って、中隊単位で写っているということはかなりオフィシャル度が高い写真じゃないかと思うんですが・・・・。
おもしろいんですよ。態度。
大久保さんですけどね。
足なんか交差させているし、軍帽も膝置きですよ(笑)
氏名入り軍帽写真でこんな人、初めて見ました💦

あと、最前列は浅川さん、小嶋さん、佐賀さん、谷口さんが股間というか、低いところで両手で軍帽を持っています。
それに対して、亀田さんと下東さんが胸に近いところで同じ持ち方(左手で軍帽のひさしをつかんでいる)をしています。

2列目以降は軍帽の名前が見えればいいのかな?
両手で持っている人、片手で持っている人いて、興味深いです。

そこで急に思いついたのですが、
「海軍的には、氏名入り軍帽の持ち方まで決まりがあったのだろうか?」
ということです。

で、9期が入隊直後に撮った氏名入り軍帽写真を見てみました。
1班
2班
3班
4班



13班
14班
15班
16班

16班もあるので、最初の1~4班までと、最後の13~16班を出しますが、全員、「両手で持つ」「(最前列は)胸よりちょっと下」ですね。
後ろの方の班(13~16班)になると、手を完全に軍帽の中にしまっていて、手が見えている人はいません。
もしかしたら、途中で指導の人から「手を軍帽の中にしまえ、手を見せるな」とでも言われたのではないかなと思っています。


乙10期の軍帽写真も見てみたのですが、最前列は蹲踞で、右手は右ひざの上、左で軍帽の中に手をしまい込んで左胸下あたりで掲げています。
2列目、3列目はほとんど左手で持って手は中に隠していますが、両手で持って手が見えている人も少数います。

というわけで、特に統一の持ち方はなかったんだな、という感想です。
予科練生などは、そのときどきで「こんな風に持ちなさい」ぐらいはあったかもしれませんが。


しかしそれにしても、加賀艦攻隊渡辺中隊の最前列はフリーダム過ぎる(^_^;)
ま、目的は「顔と名前の紐づけ」なわけだから、見えればいいのか。



※画像は西さんご遺族、10期生ご遺族、浅川さんご家族、9期生ご家族ご提供
Tさんにいろいろご教示いただきました。

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