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中島正「空戦の神様西沢広義・南溟の空に散る」2010年09月03日 13時58分04秒

先日紹介した伝承零戦空戦記の中に収録されている上記の手記。

前半は、台南空時代、ガ島戦初日、
中「オイルが洩っとるから、先に帰れ(by手信号)」
西「なら自爆するかーニヤニヤ」
って話でした。

西澤さん

後半は敷島隊直掩時の話です。19年10月25日~26日にかけての話。

つまり、西澤さんが戦死したいきさつについて。

25日の夜食を西澤さんに横取りされたこともしっかり書いておられます。

「でも、零戦3機もらった(取り上げた)から、夜食ぐらいかまわんよー」

翌日、西澤さんたちがマバラカットに帰る輸送機に乗り込む前に、何か会話があったのでは?とも思うのですが、手記には何も書かれておりませんでした。

手記には書けないやりとりだったのかな?

(ママ妄想)
「おい、西沢。よくもおれの夜食を横取りしやがったな。うまかったか?」
「ごちでした! うまかったですよ。さすが、飛行長の夜食、豪勢な夜食でしたなー」
「士官の食事は自弁だ。夜食代を払って帰れ」
「ゲッ(゜_゜;)  零戦3機は・・・・?」


それとも忙しくて見送れなかったのか?




台南空時代は飛行隊長とその護衛として一緒に出撃することもあった中島さんと西澤さん。
坂井さんが書いたものを読んでも、中島さんが書いたものを読んでも、2人の間にはただの「上官と部下」というだけではなく、中島さんから見たら、(上官の持ち物にチャレンジ癖のある皮肉野郎だけど)頼りがいのあるボディーガード、西澤さんから見たら(なぜか憎めないちょっと天然系の)親分のような、兄貴のような・・・・そんな心のつながりもあったのではないかと思えます。

傍から見たら、とってもいいコンビ・・・・。

台南空時代は。





ママ的には、西澤さんの戦死に関して、中島さんご自身が書いたものを読むと、中島さんは半分
当事者ではないかと思うのですが、その中島さんが西澤さんの戦死に関して、最後にこんなことを書いておられました。

『西沢飛曹長は、太平洋戦の初頭から、数十回の空戦に参加し、その個人撃墜数も百機をこえた戦闘機乗りの古豪であったが、零戦をもたせれば一機当千(原文ママ)の彼も、輸送機ダグラスではいかんともするすべもなく、あたら南溟の空にその恨みをのんだのであった。せめて機上で戦死したのを幸いとはするが、それにしても私は無念でならなかった』


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