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橿考研付属博物館 『ホケノ山古墳―ヤマト王権の成立―』12024年07月02日 22時41分48秒

今日は朝からちょっとお出かけしていました。

行って帰ってくるだけだったのですが、それでは時間もお金ももったいないので無理矢理用事を作りました。

「ホケノ山の展示を見に行こう!(・∀・)」

なんていい考え!


メインのホケノ山は時間があるときに紹介するとして、今回は予期せぬうれしいことがあったので、それを。


常設展示です。
葛本弁天塚古墳の特殊器台と特殊壺、壺形土器(壺形埴輪?)。

葛本弁天塚古墳というのは、いまの奈良県免許センターのところにあっためっちゃ古い古墳です(消滅)。
上の出土品は埴輪の祖型みたいなものです。



行くたびにこの壺と器台が気になっていたのですが、写真が撮れなかったんですよー。

なんでかというとですね、この一角に、わたしの記憶が正しければ箸墓古墳の壺形土器(埴輪と言っていいのか)が置いてあって、そこに「撮影禁止」の札が。

葛本弁天塚の出土品を撮ろうとすると、どうしても箸墓の壺が入ってしまうので、いままでは行っても目で見るだけでした。

今回は、箸墓の壺が「撮影禁止」の札とともにホケノ山展の展示室に移動していたので、やっと・・・・やっと・・・・葛本弁天塚の遺物の写真が撮れました!


大和における古墳出現期~前期の墳墓はほぼ大和盆地東南部の桜井市・天理市の山沿いのあたりに集中していると思うのですが、ここだけは橿原市で大和盆地の中央に近いところになります。ちょっとぼっち感が。いや、消滅しただけで、当時はこのあたりにももっとあったのかもしれないですけどねー。
水系的には桜井茶臼山とつながっているような気もするけど・・・・。
まあ、とにかく、おもしろそうな古墳だなと注目しています。