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鴛淵大尉のこと2012年07月24日 15時15分46秒

先ほどの搭乗員さん(Aさん)に、鴛淵孝大尉のことも聞いてきました。

どうしても確かめておきたいことがあったのです。

「Aさんの新兵時代、鴛淵さんが甲板士官だったって本当ですか? いつですか?」

この搭乗員さんは17年、整備兵として海軍に入り、大分空に配属されたそうです。

「17年の9月とか10月頃かなあ・・・・?」
そのころ、Aさんは兵69期の飛行学生の当番兵(と言われたのですが、従兵のことでしょうか?)もされていたそうです。

間違いなく、
「大分空時代、甲板士官は鴛淵中尉(教官)だった」
と言われていました。

一説にはそのころ鴛淵中尉は台南空(ラバウル)だったとか何とかーーー(^◇^;)
二つ体があるわけないし、もちろんどこでもドアで行き来自由なわけもないので、「鴛淵さんは大分にいた」と!
※某戦史人物経歴研究家氏によると「17年8月10日 大分空附教官、18年3月29日 251空分隊長」←この間が大分空教官ということで、Aさんのお話とまったく矛盾ありません。




どこで読んだのか忘れたのですが、一度確かめてみたかったあのことも聞いてみました。
「鴛淵さんって、(身長)でかかったんですか?」

「いや。わしと同じぐらいよ」
Aさんが167センチだったそうです。(いまはちょっと縮んだと言われていました)
当時としてはデカイ方だと思いますけど。
デカイと言ってもそれぐらいだったみたい?
Aさんから見たら、そんなに飛び抜けて大きい人だという印象はないそうです。

「うち(戦闘303)の安部分隊長のほうがでかかったんじゃないか」

右から西澤廣義分隊士、安部醇分隊長、松本勝正先任

余談ですが、
「西澤分隊士と松本先任はでかかったよ」
とのこと。
おお! やっぱり!


鴛淵さんは、のちにAさんと厚木で再会したときに、Aさんが大分にいたことを覚えてはったらしいです。
たしかO上飛曹(元戦闘701)も、
「戦闘701で再会したときに、”大崗山で会ったなあ(19年秋)”って覚えてくれてはった」
とうれしそうに言われていました。
これも鴛淵さんが、部下を惹きつけてやまない理由のひとつでしょうか。

鴛淵さんのことをO上飛曹は「あたたかい人」、Aさんは「人柄のいい人」と言われました。



※画像は武田信行氏提供 西澤さん所有写真

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