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辻堂演習写真⑤2022年02月06日 18時01分08秒

8期と9期の辻堂演習宿舎写真。


石川茂さんのアルバムにあったものです。



前列左から
9期 福島増蔵さん(38分隊14班)


9期 篠原藤市さん(38分隊14班)


9期 一瀬一之さん(38分隊14班)
まだ書いていないですね、生存者の方です。


9期 二階堂信治さん(38分隊14班)


9期 佐々木隆寿さん(38分隊15班)


9期 石川茂さん(38分隊15班)



中列(右の方で膝立ち)左から
8期(7期入隊) 吉村繁男さん(偵察分隊14班)

7期山口良一さんの2学年操縦班の集合写真から。
いつ8期に編入になったのか把握していません。7期時代は操縦分隊だったのに8期では偵察分隊に所属しています。
7期の卒業アルバムにも8期の卒業アルバムにも個人写真が掲載されていますが、戦後の七期雄飛会『予科練のつばさ』にも8期同期生会誌にも消息に関する情報がなく、どうされたのかと思っていました。
(20220206、2240訂正)16年1月に現役免除とのこと。※Kさんご教示


9期 井上春男さん(38分隊14班)



後列左から
8期 金沢三郎さん(偵察分隊16班)

17年4月25日  高雄空  ダーウィン攻撃


8期 石井猛男さん(偵察分隊14班)

戦後生存


8期 高山準次さん(偵察分隊15班)

戦後生存


8期 吉岡昇さん(偵察分隊15班)

18年12月25日  802空  南洋群島


8期 寺島勇さん(偵察分隊15班)

19年10月14日  攻撃第3飛行隊  台湾沖航空戦


9期38分隊15班の赤松教員ではないかと思います。


8期 井出峰雄さん(偵察分隊15班)

16年8月10日  加賀  四国土佐沖で事故殉職


8期 西口速雄さん(偵察分隊15班)

20年3月19日  攻撃103飛行隊  九州南方海面  特攻


8期 押味終司さん(偵察分隊15班)

18年7月25日  大井空  本邦東方海上 殉職





9期の方は14班員メインです。そこに15班の佐々木さんと石川さんが加わっている状態です。
14班で写っていないのは上田誠さん、平山繁樹さん、井野久男さん、西本宗方さん、大畠久利さん、荒木玲さん、大塚孝平さん。この方たちが写った辻堂写真は手元にありません。
15班メインの集合写真もないです。


8期の方は15班がメインで、そこに14班の石井さんと吉村さん、16班の金沢さんが加わっている状態ですね。
8期15班でここに写っていないのは、渡辺小五郎さん、田桑秀四郎さん、有馬次郎さん、倉谷定茂さん、望月晟敏さん、大本三千人さん、実松四郎さん。やはりこの方たちも手元の辻堂写真には写っていません。
8期の偵察15班の残りの人たち、14班・16班員メインの集合写真もないです。



※画像は9期生ご遺族ご提供、Kさんご教示

辻堂演習写真④2022年02月03日 16時38分13秒

8期生と9期生の辻堂演習宿舎写真シリーズ。


萩谷幾久男さんの遺品の中にありました。




前列左から
9期 鈴木俊夫さん(37分隊2班)


9期 川村幸雄さん(37分隊2班)


9期 森浦東洋男さん(37分隊2班)


8期 戸高昇さん(操縦分隊4班)
戸高さんは宮崎県出身の戦闘機乗りで、浅川さんの百里原飛練集合写真にも写っています。
他の写真もそうですが、前列で銃のところにいるのは上級生です。

17年6月5日  飛龍  ミッドウェー海戦


9期 岸川正人さん(37分隊2班)


9期 畑中嘉夫さん(37分隊2班)



中列左から
9期 竹田俊司さん(37分隊1班)
戦後生存


9期 三浦光雄さん(37分隊2班)
戦後生存



後列左から
8期 角田金次郎さん(操縦分隊4班)

20年6月8日  801空  南西諸島


8期 本間猪佐夫さん(操縦分隊2班)

15年11月14日  高雄  東京湾  殉職



9期 西村徳恵さん(37分隊1班)


8期 松本久さん(操縦分隊4班)

16年1月10日  龍驤  岩国


教員 不明


8期 長谷川辰蔵さん(操縦分隊4班)

17年11月13日  隼鷹  ソロモン群島


9期 森健次さん(37分隊2班)
戦後生存


9期 萩谷幾久男さん(37分隊2班)






9期の2班でここに写っていない人、山口浜茂さん、岸田良親さん、武田清さん、中門清司さん、大西要四三さんですが、かれらが写っている辻堂写真は手元にありません。
8期操縦分隊の4班でここに写っていないのは石田乾さん、池田武さん、岡宮祐さん、若林重一さん、竹下重利さん、小南良介さん、小澤芳平さん。かれらが写っている辻堂写真もうちにはないようにあります。
見たいですけどね。


※画像は9期生ご遺族ご提供

乙8期 渡辺禎夫さん2022年02月01日 21時53分18秒

真珠湾攻撃時、加賀艦攻隊の電信員をしていた乙8期の渡辺貞夫さん。

真珠湾直前の加賀艦攻隊集合写真より。


以前、『予科練外史』(倉町秋次)で紹介されていた真珠湾前夜の渡辺さんの所感を紹介しました。
『前夜は眠れた
同期生と特別糧食の葡萄酒を呑み、(「加賀」の八期同期生は渡辺、町元、田中、甲斐の四名)予科練、飛練の思い出を語り合った。
夢も見なかった。誰のことも思い出さなかった。
遺書は二日前に書いておいた。戦死しても力を落とさないように、父母の御恩を感謝する、ということを書いた』
※実際の加賀8期生はあと久恒吾市さんと西森俊雄さんがいる




この渡辺さんの個人写真が、知人Mさんに見せてもらった7期生のアルバムに貼られていました。

柔道着姿で何か持っています。


「渡辺禎夫
日本傳講道館柔道ノ修行ニ精力ヲ盡シ大ニ其ノ進歩ヲ見タリ依テ貳段ニ列ス向後益々研磨可有之者也
昭和十三年三月廿四日
講道館師範嘉納治五郎」


講道館のサイトによると、13年3月12日に嘉納治五郎さん、「国際オリンピック委員会にて第12回オリンピック大会の東京招致に成功する」、13年5月4日「氷川丸船上にて肺炎により御逝去」とのことなので、渡辺さんの段証書(段位状?)の日付の日はオリンピック委員会出席のため、日本にはおられなかったようです。
5月4日に亡くなられているので最晩年の嘉納治五郎さんからの証書ということになるのでしょうか。


わたしは柔道のことはまったく無知で、柔道二段がどういう段なのかよくわかりません。
(いちおう講道館のサイトを見ましたが、渡辺さんの「二段」は戦前の話ですしねえ・・・・(^^;))

なので人間関係の面から話をしたいのですが、どうしてこの7期生が渡辺さんの写真を貼っていたのかもよくわかりません。

同郷というわけでもないし。

7期生も柔道着を着ている自分の写真を貼っていました。
写真には手書きで「初段」と書かれていました。予科練で柔道部に入り、熱心に取り組んでいたのかもしれません。

もしかしたら渡辺さんも柔道部で、部の先輩後輩だったのかなと想像しています(一緒に写っている写真はなかったけれど)。
二段というのは先輩の7期生から見ても「すげえじゃん!」って段で、この写真を自分のアルバムに貼っていたのかな?


8期生同期生会誌にも、
「貴様は柔道ではクラス一だったな」
「十九年夏雁之巣飛行場待合室で柔道三段の堂々たる体躯に短剣姿も凛々しく・・・・」
という思い出が寄せられています。



20年2月28日  931空  東シナ海


※画像は9期生ご遺族、Mさんご提供

乙8期 河野増美さんの戦死日2022年01月30日 15時52分36秒

昨日、鎮海航空隊搭乗員集合写真の投稿で触れた乙8期河野増美さんの戦死日ですが。




亀田道男さんの手記、8期同期生会誌、雄飛会戦没者名簿に19年4月10日と書かれていたのでそう書いたのですが、「4月6日」が正しいのではないかという情報をいただきました。

理由を聞いて、わたしもそうかなと思ったので訂正します。

19年4月6日  鎮海空  佐世保港外(平戸?)



その後、無事に女の子が生まれたそうです。



※画像は9期生ご家族ご提供、Kさんご教示

17年夏 鎮海航空隊搭乗員集合写真2022年01月29日 16時05分26秒

9期隅倉慧さん(戦後生存)のアルバムに貼られていた写真です。


二種軍装、隅倉さんの階級章が3飛曹なので17年の夏ごろの写真なんだろうな、と漠然と思っていました。
前列右端隅倉さん。



先日、この写真を見返していて、知っている人を見つけました!
前列中央の人。
「ああ! 7期の亀田道男さんじゃないか!!」

この人、予科練2学年時に西澤さん(台南空の西澤廣義さん)と同じ班だったようで、いろんなところに写っているんですよ(^^;)


下にあげる画像は、7期の操縦班の集合写真です。
西澤さんの遺品にもほぼ同じ写真がありましたが、知人のMさんご提供の写真を掲載させていただきます(ここに写っている別の7期生の遺品)。













下の2枚は辻堂演習写真。7班操縦班と8期の前の分隊の班員ではないかと想像(8・9期の例から)。



上の写真とちょっとメンツが違う?

8期生がまだちゃんと照合していないので、照合できたら紹介します。





と、まあ、こんな感じで、すごくよく見ている人だったのですが、数日前まで気づきませんでしたorz

しかし、時間がかかってしまったとはいえ、気づいたおかげで他のことも判明。

亀田さん、水上機操縦員で戦後生存者なのですが、『予科練のつばさ』(七期雄飛会、光人社)に手記を寄せています。

それによると羽黒から鎮海空に転勤したのが7月下旬ごろのようです。
そのとき、亀田兵曹のかわりに羽黒に転勤してきたのが東和夫さん。
『彼は予科練の二期先輩で、宮崎県出身の第五期生、水上機のパイロットである。すでに日支事変に参加して偉功を立て、昭和十五年四月二十九日の第一回生存者論功行賞のときには、金鵄勲章を授与された空の勇士である。
(先輩との交替だ。あとはよろしく頼みます)
わたしはほっとした思いで舷梯をおり、呉軍港まで送ってくれる内火艇に移乗した。
――中略――
ところが一カ月後、突然に「羽黒」一号機、ソロモン海で散華の報を耳にし、愕然とした。羽黒一号機はソロモン海戦中、索敵線上で敵戦闘機と遭遇し、「ヒ」連送を発信したのちに、消息を絶ったということである』



隅倉さんのアルバムにこんな写真が貼られていまして。
以前に気になってKさんに調べてもらったことがありました。
5期の東和夫さんではないかとのことでした。
東さんは鎮海空から羽黒転勤して、8月のソロモン海戦で戦死されたようです。
(隅倉さんの書き込みの「サンゴ海海戦」時は鎮海空にいらした)


隅倉さんは17年10月ごろまで鎮海空だったので、冒頭の写真は亀田さんが転勤してきた17年7月下旬から10月ごろまでの間に撮られた写真なのでしょうね。




それと、亀田さんの手記を読んでいて気づいたのですが、亀田さんの右隣りの人は8期の河野増美さん(偵察)ではないかと思います。
※亀田さんは河野さんが鎮海空に転勤してきたのは18年春と書かれていますが17年夏のようです。

19年4月6日 鎮海空  長崎
要務飛行中に佐世保港外(亀田さんは「平戸」)で高圧線に触れ墜落

このとき、奥さまが出産間近だったとか・・・・。



冒頭集合写真の亀田さんの左に下士官が2人座っていますが、ふたりとも善行章をつけていません。甲飛の人かなと想像。

と、ここまで書いて、隅倉さんのアルバムに同一人物を見つけました。

亀田さんの左隣の人ですが。

隅倉さんのアルバムに「光岡兵曹」という書き込みとともに貼られていました。

甲5期の光岡満春さんのようです。




あとの方々は現時点では不明です。
2列目の左端の人は「田中兵曹」って方ではないかと思うのですが(アルバムの個人写真から)、「17年夏、善行章1線3飛曹の田中兵曹」では難易度高いです。
判明したらまた書きます。



話があちこち飛んでスイマセン(汗)



※画像は9期生ご家族、Mさんご提供。Kさんにご教示いただきました。