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乙1~9期 操偵検査、艦務実習の時期2023年05月04日 15時11分26秒

前回、「ほぼ完成」と出したのですが、知人が期間に空欄があるのに気づいて情報提供してくれました。

期間も埋まりました。
ありがとうございます!(・∀・)



これ、一番簡易版です。
もっと詳細にやろうと思ったら、
・操偵検査の時期、場所
・艦務実習の時期、派遣された艦
・飛練(初練・中練)の航空隊、期間

こういうのを調べられたらいいのですが。
現時点でわたしが把握しているのは9期だけなので、ボチボチやります。

ちなみに9期を詳細に書くとこんな感じ↓

時期は書き込んでいないですが、
予科練入隊・・・・13年6月1日
操偵検査・・・・14年6月ごろ(1学年の終わりごろ)
艦務実習・・・・15年3~4月(2学年の終わりごろ)
予科練卒業・・・・15年11月30日
飛練操中練・・・・15年11月30日~16年5月末、実用機・・・・16年6月~10月末
   偵中練・・・・15年11月30日~16年7月末、実用機・・・・16年8月~10月末




※Tさんご教示感謝です

飛練9期(甲4) 筑波海軍航空隊初練ペア写真2022年08月22日 12時58分43秒

甲4期の福谷知康さん(山口県出身、艦攻操縦、17年5月8日、瑞鶴、珊瑚海海戦)のアルバムに思わず声をあげてしまった写真が貼ってありました。


福谷さんのことはここに書いていますかね。
7年前ですか、ご遺族の方から連絡をいただきました。
福谷さんは乙9期兼藤二郎さん(広島県出身、偵(電信)、17年5月7日、瑞鶴、珊瑚海海戦)の真珠湾攻撃時のペアです。
兼藤さんの投稿に書いた福谷さんのことを、ご遺族の方が見つけて連絡をくださったのです。

それ以降、たまに連絡を取っていたのですが・・・・。

今回、いろいろあってアルバム単位で遺品を見せていただく機会がありました。
※Oさんご協力


その中の1枚。
福谷さんの飛練初練時の筑波海軍航空隊時代のペア写真。



後列左から、
葛谷勝己さん(愛知)

福谷知康さん

中村幸哉さん(鹿児島)

練習生の両端は飛行服の名札が見えています。
葛谷さんなんですが、じつはこの人、わたしは他の写真でも見たことがありました。
そちらは飛行服に救命胴衣を着けているのですが、救命胴衣に「杉田」って名札が縫い付けてあってですね!(^^;)
まったく疑いもせず「この人、杉田さんという人なのか」と思っていました。
今回、福谷さんの写真をいろいろと調べていて甲4杉田茂さんもちゃんと確認したところ、似ても似つかぬお顔の方でした。なんか知らんけど、葛谷さんはそのとき杉田さんの救命胴衣を借用して写真におさまったということだったみたい。
ということはですよ。
他人の救命胴衣をつけて写真におさまっていることがある、ということですよ!(゚Д゚;)
これは大問題です。二重三重のチェックが必要ってことです。
(昔、松本勝正さんの写真でも他人の飛行服で写真に納おさまっているのを見たことがある)

今回の葛谷さんはちゃんと裏どりしました。おそらく飛行服の名札通り、葛谷さんで間違いないでしょう。


中村さんは甲4におふたりいるのですが、もうおひとりは偵察で、お顔も確認しましたので、この写真の中村さんは操縦の中村幸哉さんである、と。

ただ、申し訳ないのですが、甲4は各人の消息などほとんど把握しておりません。





で、声をあげてしまった理由です。
イスに座っている教員が乙6期の山岸昌司教員だったー!

もう、びーっくりしちゃってですね。

ソッコーで姪御さんに写真を送ってしまいました。

柔らかい表情をされていますね、いい写真です。



撮影時期ですが、練習生の名札に「三空曹」と書いてあります。
福谷さんの履歴から、甲4が3空曹に進級した15年11月1日から、中練の谷田部に移る11月15日までの2週間ほどの間に撮られたものだろうなと思います。



※画像は福谷さんご遺族ご提供、Oさんご協力

たぶん瑞鶴派遣艦攻隊 その22022年04月14日 11時07分28秒

18年12月~19年1月ごろにかけてラバウル周辺で撮られたと思われる瑞鶴派遣艦攻隊の集合写真。

昨日、この写真に関してブログに書いたところKさんから新たな情報をいただくことができました。

「集合写真に乙6期の山野一郎さんもいるんじゃないか?」

探してみました。

イス列のこの人かな?

予科練時代の山野さん。
目元がわかりにくいですが、顔の下半分と耳は同一人物のように見えます。

編成表に山野一郎さんのお名前はあったのですが、わたしはそれが乙6期の方だとわかっていませんでしたorz



わたしなんかは編制表を見ても、
「あ、この人、名前見たことある」
とか、その程度しかわからないんですが、Kさんは「〇期の誰誰さん、戦没状況は・・・・」まで頭に浮かんでくる人です。
何か虎の巻を持っていてその都度それで調べているとかではなく、道を歩きながら話していても同じ情報が出てきます。いつも「記憶容量どうなっているんかな」と思います。

Yさんもそうです。
以前、電車でご一緒したり、車でご一緒したり、ファミレスでご一緒したりの機会があったのですが、搭乗員や隊のエピソードをたくさん聞かせてもらえました。とても有意義な時間でした。

おふたりとも0から自分の足で調べられている人たちです。

そういう方々からご教示いただいて(文章まで考えてもらい)、自分のブログに書く――たいへん申し訳なく思っています。

が、今後ともよろしくお願いいたします<(_ _)>とも思っています。スイマセン、ホンマにスイマセン💦



※画像は6期生ご家族、知人ご提供

乙6~10期の飛練(陸上機操縦)2021年05月23日 14時58分49秒

こんにちは。

飛練関係、以前出した表に8期と10期を加えてみました。
陸上機操縦限定版です。




※クリックしたら拡大します


他にも修正を加えました。
最新版といったところですが、まだ修正するかもしれません。

うすい黄色ベタ塗りが「飛練」時代です。
濃い黄色い枠囲みが機種ごとにわかれての過程です。
赤いマークの説明・・・・山形の印は「善行章」(3年に1線付与)、桜に錨に翼がついているのが「特技章」(一人前の搭乗員に付与される)、丸いのは階級章(この表のものは「三等航空兵曹」「三等飛行兵曹」、下士官に任官したって意味で入れています)。

※5月23日2200追記
8期の延長教育終了の時期を思いきり間違えていました。
(誤)15年10月18日→(正)15年8月31日
表も修正しました。申し訳ありません。






期ごとに説明します。

【乙6期】
飛練は初練・中練を霞ヶ浦海軍航空隊において実施。 ※岩井勉さん『空母零戦隊』文春文庫
飛練卒業の記念写真。13年8月16日ですね。

中練が終わった時点で特技章をもらっています。
乙6の場合の「飛練」はここで終了です。
このあと、機種ごとにわかれて延長教育。





【乙7期】
乙7も霞ヶ浦海軍航空隊において初練・中練教程を実施。 ※七期雄飛会『予科練のつばさ』光人社
残念ながら飛練卒業の記念写真、手元にないんですよ。3月なので6期とは違って一種軍装で撮っているはずなんですけど。

これは飛練時代、霞ヶ浦海軍航空隊の飛行場における記念写真です。
いつ撮影したのかわかりません。教員の飛行服の中に一種の詰襟が見えているので夏季ではなさそうです。


7期も6期と同様、霞空を卒業した時点で特技章をもらっています。
卒業時点の写真がないので、卒業後の延長教育時代の山口良一さんの写真。
特技章がついています。




【乙8期】
8期がいままでほぼ把握できていませんでした。
今回、浅川さんの教員時代の写真の中に8期らしき集合写真があったことから進展しました。

書き込みはなかったみたいですが、飛行服の集合写真に写っている名札に「乙飛」「一空」という文字、さらに数名の方のお名前が読めたことから乙8で間違いなかろうと判断しました。



いままで8期に関しては、大日本絵画『日本海軍戦闘機隊2』エース列伝の巻末に筑波空での初練の集合写真があるのを見たことがあるだけでした。
これは大人数で写っています(スイマセン、数えていません)。
先日からちょっとKさんに甲斐巧さんのことを聞いていて、甲斐さんは中練が谷田部であることもわかっていました。
改めてKさんに確認したところ、8期には中練を百里原でやっている人たちもいるとのこと。

なので、6期7期と様子が違います。6期7期は全員一緒に霞ヶ浦で初練・中練をやっています。
8期は初練は全員筑波空。そして、中練は場所を移動して谷田部と百里原にわかれて。
ということのようです。
しかもこれ、半々、ではなく人数に偏りがあります。百里組は下の写真の通り20名ほどです。残りの大多数は谷田部のようです。


百里原海軍航空隊における8期の一種軍装の集合写真。

15年3月30日。
8期も中練修了時点で特技章をもらっています。



【乙9期】
9期はいままでさんざん書いていますがもう一度ざっと。

9期は6~8期までと違い、初練をやっていません。
予科練を卒業して飛練(飛練10期ですが、ここでは予科練の期「9期」で説明します)に進みいきなり中練からやったそうです。 ※松本さん書簡による

中練は人数を半々にわけて、谷田部と筑波。
中練谷田部組

中練筑波組

上のクラスは中練教程が終わった時点で飛練卒業、特技章付与になっていますが9期は違います。
中練修了後は実用機教程(機種ごと)に進み、これが終わった時点で飛練卒業になり特技章を付与されています。

これは木更津の大型機の人たちです。
16年10月末の飛練卒業時の集合写真。

9期は飛練卒業時点で下士官に任官しています。
貰った直後で仮留めしているだけなのか、浮いています。





【乙10期】
飛練16期ですが、予科練の期「10期」で説明します。

10期もいきなり中練。 ※同期生会誌『とんぼ』
全員で谷田部。
中練修了後はそれぞれの機種にわかれて。

これは久保さんの実用機・宇佐海軍航空隊の修了時(飛練卒業)の集合写真(艦攻・艦爆)。

左袖に特技章がついています。

9期は飛練卒業時に下士官に任官していたのですが、10期は兵階級です。

Kさんご提供の宇佐空の資料(手帳)の中に飛練16期の艦攻・艦爆の人たちの卒業日時が書いてありました。「17.3.31」とのこと。上の写真はその日の撮影でしょう。
偵察の人は同期生会誌に17年2月23日に飛練を卒業したって書いているので(たぶんこの日に特技章付与)、操偵で特技章をもらった日が違うってことでしょうか?



上の表を見たらわかると思うのですが、進級とか特技章付与の時期に一貫性がないです。
善行章(入隊3年目)より先に特技章をもらっている期があったり、9期は特技章より先に下士官に任官していたり。
一期ごとに覚えないといけないということですね(^^;)
覚えられないので一覧表にしてみたんですけどね。


あの表に、全員でやったとかわかれてやったとか、どこでやったとかそういう情報も加えたかったのですが、かえって煩雑になりわかりにくくなりそうだったので今回はやめて文章で説明しました。
いずれそういう情報も加えた表を作りたいです。
読むより見てわかる方が楽ですよね。



※画像は7期生・9期生ご遺族、浅川さん・岩井さんご家族、久保さんご提供
※肝心なところはほとんどKさんご教示

飛練のこと2021年05月21日 23時49分02秒

数日前まで急ぎの仕事をやっていたのですが、無事終わらせて返送しました。
終わってからというもの、飛練のことで頭がいっぱいです。

別にいまに始まったことではないのですが。
昨日、今日、ずっと飛練のことを考えています。

言い換えると「浅川さんの集合写真の件」ってことなんですけどね(^^;)

まだちゃんと見せられないですが、こんな感じ↓で集合写真の順番というか時期というか、検討しているところです。
※拡大できません
全部百里原海軍航空隊において撮られた写真ですが、時期によって「筑波海軍航空隊」「百里原海軍航空隊」「大日本帝国海軍」と、兵の練習生は違ったペンネントをつけています。

順番は「筑波」→「百里原」→「大日本帝国海軍」です。

あと、写っている教員の任期とか、階級とか、いろいろ勘案しつつ、順番・時期が決められるといいな、と。


こんなことをしていると、ちゃんと飛練のことを把握できていないなあ~と実感(^^;)




9期(飛練10期)ならたぶんある程度把握できていると思うんです。
操縦の場合、15年12月から16年5月末まで筑波海軍航空隊と谷田部海軍航空隊にわかれて中練教程をやっています。初練なしのいきなり中練です。
9期は水上機操縦がおらず、全員が陸上機操縦です。
中練の後は実用機。機種ごとにわかれて訓練し、16年10月末に飛練卒業です。ここで特技章付与。
さらにその後、戦闘機の一部と艦攻以外は大型機講習があったり、転科したりして、実施部隊に出るのはもうちょっとあと。

9期の場合、こんな感じです。

が、期が違うと飛練事情も違います。

期によっては初練・中練で卒業(特技章付与)してから実用機とか?
初練と中練で違う航空隊でやっている期もあるみたいだし・・・・。

↑これ、以前Kさんにいろいろ教えてもらいつつ作った乙の6期、7期、9期の飛練や階級・特技章関係の表ですが、これに8期や10期も加えたいな、と。※拡大できます

ここら辺の整理が全然できていないです。


浅川さんの写真の中に8期の飛練らしき写真があるのですが、この整理ができていないので「???」な状態です。
たぶん8期も中練修了時点で特技章もらっているんだな(浅川さんの集合写真では練習生の左袖に特技章がついている)。

なんかこう・・・・表にして一目瞭然にしたいんですよね。
もちろん、自分ひとりではムリなんですが(^^;)


※表中の画像は浅川さんご家族ご提供