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野口王墓古墳 石舞台古墳2023年06月13日 13時53分58秒









檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)
宮内庁の治定も、専門家の意見も一致している天武天皇・持統天皇の合葬陵です。
考古学的には野口王墓古墳。

八角形墳。
鎌倉時代に盗掘されたときの記録が残っていて、横口式石槨の様子や棺・蔵骨器の様子などが判明しています。
天武天皇が夾紵棺、持統天皇は火葬されて蔵骨器だったそうです。

現代だと夫婦が同じお墓に入ることには何の違和感もないと思いますが、古代(弥生時代、古墳時代含む)は基本的に夫婦は同じお墓に入らなかったようです。
例外はありますよ。ただ、その例外も「夫婦愛」みたいな話ではなさそう。
同じお墓に入るのは基本的には”血縁”みたいです。
天武天皇と持統天皇は夫婦であると同時におじ・姪でもあるので、そういう意味では血縁の合葬ですかね。


高松塚の近くで、キトラ古墳・四神の館のクリアファイルを手に持った女性が歩いていました。
「あ、この人、歩いてまわってはるんや」
と思って気にとめた人なんですが、ここでも遭遇しました。
キトラ古墳からここまで歩くとなるとけっこうな距離です。やりますな~(;・∀・)





拝所前から南方を望む。


正確さに欠けますが、こんな状態でしょうか。






没年順で言うと、斉明天皇→天武天皇→草壁皇子→持統天皇→文武天皇になるので、持統天皇は生前、この場所から息子の草壁皇子、祖母の斉明天皇の陵を見ることができたかもしれないですね。
(牽牛子塚古墳の展望所にあった解説画像では、あちらからは天武・持統陵が見えるように書かれていました)




次は石舞台古墳。

今回は御墳印をもらいに行っただけです。
写真も撮っていなかったです(^^;)

ちなみに明日香の御墳印は1枚300円です。
ここは方墳で巨石横穴式石室、蘇我馬子のお墓と言われています。
どうなんでしょうね。




というわけで、今回は斉明天皇ファミリー――息子の天武天皇、孫の持統天皇、二人の息子の草壁皇子(斉明天皇からみたら孫であり曾孫でもある)、草壁皇子の息子の文武天皇の陵墓をまわってきました。

ここまでで午前中終了。
まだまだ続きますよ。



つづく。

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