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近つ飛鳥博物館のトートバッグにおける富雄丸山古墳の時期的位置づけに関して2023年01月30日 18時34分05秒

わたしの素人判断ではアヤシイかもしれないと思ったので、古墳時代に詳しい人に聞いてみましたよ!

この図の中での富雄丸山古墳の時期的位置づけ。

先日、出したときは、
「ここらへんでええやろ」
とわたしの判断で4世紀後半のところに適当に(!?)放り込んだのですが(白抜き)、今回はちゃんと詳しい人に他古墳との比較で教えてもらいました。

「津堂城山古墳と同じぐらいか、ちょっと前ぐらい」
とのことでした。



津堂城山古墳とは、世界遺産・古市古墳群の中にあるいわば”古墳群はじまりの古墳”みたいな古墳です。
大王陵がそれまでの大和から河内に移動したときの最初の王墓、といったらいいでしょうか。

富雄丸山古墳は墳形的には大王墓という扱いは受けませんが(だからトートバッグの消長図(編年表)にも入っていない)、場所的にも時期的にも大和と河内をつなぐ重要な古墳だろうと思います。


奈良市にはぜひ、富雄丸山古墳入り消長図(編年表)トートバッグを売り出してほしいものです。
クリアファイルでもいいよ(*´ω`*)