Google
WWWを検索 ひねもすを検索

乙2 浦田豊四さん2022年09月04日 15時00分08秒

浅川さんの写真の中で、ごくごく最初の頃に見せていただいた写真の中の1枚。


霞ヶ浦海軍航空隊での飛練時代のペア写真。
この写真には、台紙に書き込みがありまして。




椅子に座る「乙訓教員」と、後ろが左から「我」、「松元」、「浦田」です。

乙2と言えば海軍航空隊の中では大大大ベテランの部類に入ると思うのですが、その人たちの若鷲時代ですよ。
初々しいです。




「乙訓教員」。
乙訓と言えば「戦闘機の乙訓菊江さん(操27)か!」と思っていつものKさんに尋ねたところ、
「乙2の教員なら乙訓輪助さんの方でしょう」
とのこと。
輪助さん? 
操練14期。
大大大ベテランの上をいく、さらにベテラン!(゚Д゚;)
のちに川西のテストパイロットになられたそうです。
ちなみに菊江さんとは「似ている」とのこと。


浅川三雄さん。

松元龍男さん(鹿児島)
艦攻操縦

18年12月5日  582空  クレチン岬沖付近夜間索敵攻撃



浦田豊四さん(三重)
艦攻操縦

19年6月19日  601空  マリアナ沖





この時は気づかなかったのですが、浦田さん、うちにある写真に写っていました。

真珠湾攻撃直前の加賀艦攻隊総員集合写真。

おお! 浦田さん!
冒頭の飛練写真から6年半ぐらい経っています。
椅子列、飛曹長です。ベテランの風格が。



浅川さんとは同じ艦攻操縦で、アルバムに写真もけっこう貼ってありました。
紹介します。



乙2は入隊時の集合写真(私服)もあります。
昭和6年です。
加賀の写真からマイナス10年半。


本格的に予科練時代(横須賀)



卒アルから

柔道の猛者のようです。



飛練(霞ヶ浦)時代


これらはオフィシャルな集合写真から。


ここらへんは行軍かなと思います。

小田城跡ニ於テ當時ヲ偲ブ
(太字は浅川さん書き込み。以下同)

つくば市にある城跡。
なんと!
いま『鎌倉殿の13人』で話題沸騰のセクシー担当武将・八田知家(市原隼人さん)が居館を構えたことが小田城の始まりだそうです。

ちょっと検索してみたのですが、史跡整備されちゃったようで、いまはこの写真の面影はないようです。
後ろの巨木、現地に行ったらあるのかな?



筑波山神社参拝記念

小田城と同じ日ですかね。同じページに貼ってありました。
予科練生も飛練生も筑波山神社・筑波山登山は定番です。
※9期生の筑波山関連写真は見たことないですが




日立鑛山見学





成田山神社前ニ於ケル我等


延長教育(大村)時代




浦田さん、中央で何かの優勝盾みたいなものを持っています。


前に大村の山田の滝の写真を出したことがありますが、あれと同じときですかねえ?
ちょっとわからないですが。
場所の雰囲気はよく似ているような気がします。


大村時代のオフショット。
友人 浦田

友人 浦田



このあとのことはわたしは把握していません。

真珠湾時は加賀で、第1次攻撃隊水平爆撃隊の橋口喬少佐(兵56)の操縦員。

ちなみに電信員は乙7期の松本光1飛曹。

17年1月のラバウル攻撃、2月のダーウィン攻撃、3月チラチャップ攻撃までは同じペアで行動調書にお名前があります。





19年6月19日  601空  マリアナ沖

大鳳から発艦、行方不明

操:浦田豊志中尉(乙2)
偵:垂井明少佐(兵63)
電:原田克美上飛曹(偵56)  ※行動調書では「原田良美」と書いてあるようにある

天山、雷装。


※画像は9期生ご遺族、浅川さんご家族ご提供
川崎まなぶ『マリアナ沖海戦』大日本絵画

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック