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ヤシ写真2022年08月25日 16時18分41秒

みなさん、乙9期、羽藤一志さんのこのヤシ写真、おぼえていますか?



いままで2回紹介しています→1回目2回目

そのときは撮影場所がわかりませんでした。
羽藤さんが下士官に任官していることから、16年10月1日以降であることはたしか。
任官時にいた大分海軍航空隊時代(飛練、戦闘機)か、その次の実施部隊・台南空かなあ???ぐらいの感じで。




甲4福谷知康さんの写真の中に、こんな写真がありました。
アルバム台紙の書き込みは「昭和十七年四月撮影 臺南市ニ於テ」。

福谷さん、ずいぶん軍帽が変形しています。
※標準形は羽藤さん参照

この写真は、善行章がついた記念も兼ねているのかもしれません。
甲4は14年4月1日に入隊しているので、17年4月1日で善行章1線です(3年で1線増える)。
元搭乗員の人にうかがった話では、この善行章があるかないかで大きな顔ができるかできないか、そんな線らしいです。




この写真が撮られたのは、瑞鶴が印度洋作戦を終え馬公に補給に寄港した際(4月18日)でしょうか。飛行機隊は台中に飛んだそうです(森史朗『「敵空母見ユ!」』光人社NF文庫)。
そのときなんですかね?
台中と台南、陸路ではちょっと遠いような感じもしますが・・・・。

と思って、いろいろあさっていたら、岡嶋清熊さん(当時、瑞鶴戦闘機隊)が戦後の手記に、
「昭和十七年(一九四二年)四月中頃、私の所属する第五航空戦隊は、機動部隊として第一航空戦隊、第二航空戦隊とともに印度洋作戦を終えて、艦戦は膨湖島に、飛行機隊は台湾の台南基地に翼を休めていた」
と書いていました(髙橋定ほか『母艦航空隊』光人社NF文庫)。

「艦戦は膨湖島」「飛行機隊は台南」の意味がちょっとわからないんですが、
・艦隊は膨湖島(馬公がある島)、飛行機隊は台南、と書こうとした?
・艦戦(戦闘機)は膨湖島、それ以外の飛行機隊(艦攻・艦爆)は台南、という意味?
どちらにしても、岡嶋さんの記述では艦攻隊の福谷さんは台南という解釈でいいですかね。



こっち採用していいですかね(^^;)
これだけではわたしにはどちらが正しいのか判断がつかないです。
しかし、台紙の書き込みから福谷さんが台南で写真を撮ったことは信用できるので、「飛行機隊は台南基地」を採用しようと思います。



これね、羽藤さんが写真を撮った場所と同じ場所じゃないかと思うんですよね。
後ろに写っているヤシが、なんか似ていません?
同じ木かまではわからないですが、同じ種類ですよね、たぶん。
ちょっとかわったヤシですよね。ヤシに詳しくないので、何という種類のヤシかわからないんですが。


周囲に植えられている低木?もよく似ています。


羽藤さんの写真。

福谷さんの写真。


どこかの公園とか、観光名所みたいな場所でしょうか。
まったく同じ場所に立っていることはないと思いますが、同じ敷地内の可能性は高いかなと思います。
「いや、台南はそこらじゅう、こんな風景だよ」
と言われたら訂正しますが(^^;)


場所までわかるとうれしいんですけどね~
台湾には行ったこともないし、この場所が現存しているかどうかもわからないし、ネットでいろいろ検索しても出てこないし、そこまでの追及は断念しました。





羽藤さんの場合、16年の11月後半ごろ台南にいたようです。
気温を調べてみたら、台南の11月の平均気温は23℃ぐらいだそう。→世界各都市の気候データ
一種ではちょっと暑いんじゃないかとも思いますが、11月後半だったらもう少し気温は低いのかも。

福谷さんは印度洋からの帰りで4月(平均気温24℃ぐらいらしい)なので、まあ内地だったら一種の時期ですが、二種でも「あーなるほど」という感じですか。




羽藤さんも福谷さんも、この写真のあとは内地に戻ることなく戦死されているので、そう思いながら見ると複雑な気持ちになります。



※画像はご遺族ご提供、Oさんご協力