Google
WWWを検索 ひねもすを検索

古俣豊壽さん(操26) 追記2022年05月27日 20時30分48秒

浅川三雄さん(乙2)の百里原時代のフィルムの中にあった教員たちのオフショット。

左端でちょっとすました表情をしているのが古俣豊壽さんです。
艦攻操縦員。


わたし、この人のことほとんど存じ上げなかったのですが、『九期生名簿』森田勝さん(戦闘機)への「おもいで」に「小俣教員」として登場していました。
「百里ヶ原での適性飛行で小俣教員の担当でしたね。体躯に似合わず細い声だったが、小俣教員から操縦になるなら森田のようにやれと言われたもので、君の操縦技術は羨ましかった」


古俣さんは14年6月に9期が百里原で操偵検査を受けたときの教員です。
操偵検査集合写真にも写っています。




まったく別のところで古俣さんを見つけたので、今日はそれを。



これは飛練16期(乙10期主体)の陸上機操縦中練・谷田部の集合写真です。
久保伊勢市さんの写真です。
教員列に古俣教員が!!(゚Д゚;)



これも同じ。久保さんの写真で飛練16期中練谷田部。

いつごろですかね。
飛練16期の中練は16年6月~11月ですかね。
下の写真は、卒業が遅れた9期の武田清さんが下士官姿で写っているので9期3飛曹進級後の16年10月1日以降、なのでたぶん卒業式なのかなと思います。





あと、これはヒトの本なんですが、『日本陸海軍航空英雄列伝』(野原茂、押尾一彦 光人社)の相馬功さん(兵69)のところに18年10月ごろ、583空カビエン時代の古俣飛曹長の写真(集合写真)が出ています。






ここまでは気づいていたのですが、最近、その間を埋める資料を入手しました。
話したらめっちゃ長くなるので、今日は大幅に割愛しますが(いずれ書くと思います)、最近、縁あって渡辺大助さんという方と知り合いました。
FMおたるのパーソナリティの方なんですが、戦史研究家でもあります。

わたしは渡辺さんのこと存じ上げなくて、いつものKさんにこれこれこうでと渡辺さんのことを話したところ、Kさん、渡辺さんのことを知ってはって、
「渡辺さん、たしか古俣さんにインタビューされていましたよ」

なんという貴重情報!!(゚Д゚;)

さっそくわたしは渡辺さんにその話題を振ってみたところ、渡辺さんが自著のコピーを送ってきてくださいました。インタビュー記事です。

古俣さん、17年10月26日の南太平洋海戦に隼鷹艦攻隊で出撃されていてホーネットを雷撃されたらしいんですよね。わたし、不勉強でまったく知りませんでした。
そのときすでにホーネットは翔鶴隊の攻撃で航行不能に陥っていて、重巡ノーザンプトンに曳航され避退中だったらしいのですが、攻撃隊が近づいてきたからか重巡は策を切ってホーネットを置いて行っちゃったようです。
そこにとどめというか、古俣機が放った魚雷が命中して傾きがひどくなり、さらに瑞鶴隊からも攻撃受け総員退艦になったようです。

隼鷹飛行隊の行動調書には「航空母艦命中雷三右傾斜」って書いてあります。
でも実際隼鷹隊の魚雷で当たったのは1本だけみたいですね。古俣さんはインタビューで自分の機が当てたと確信して答えているので、古俣機の魚雷が当たったのでしょうかね。


このインタビュー時、古俣さんは郷里で自適な生活を送られていて79歳だったそう。
97艦攻の模型を手に語ってくださったそうです。



※画像は久保伊勢市さんご提供。
参考・渡辺大助「九七艦攻かく戦えり」(1994『名機たちの群像』丸12月別冊 潮書房)

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック