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乙8期 坂本四月さんの戦没状況2022年03月10日 16時42分08秒

先日、『辻堂演習写真⑦』で紹介した乙8期の坂本四月さん。
高知県出身の中攻操縦員です。



戦没場所ですが、同期生会誌では「マレー方面」、雄飛会戦没者名簿では「西カロリン諸島方面」になっていて、行動調書も見つけられなかったことからその2つを併記しておいたのですが、あの後Kさんからメールをいただきまして。

「たしか『予科練外史』に小南良介さん(乙8、当時高雄空で坂本さんと一緒だった)の絵日記が紹介されていたような・・・・?」
と。

予科練時代の小南さん。

すぐに『予科練外史』を探しました。
4巻に、坂本さんの戦死時のことが図入りで載っていました。

17年2月7日。
高雄空陸攻隊はホロ基地→ダバオ基地→ペリリュー基地(パラオ)→トラックと移動中だったそうです。
『いよいよ二月七日早朝、トラックめざしてペリリュー基地を発進、一路東へ進む。船も、島も、空飛ぶ鳥も見えず、唯雲ばかりの洋上を、基地物件を満載した飛行機群は、強い陽光に銀翼を輝かせながら快翔を続ける。
機上では一一三〇頃航空弁当を開いた。竹皮包みの麦飯に里芋と魚と漬物のお菜。双樹席に座ったまま、綿のように浮かぶ雲の波を眺め、緑色の大海原を見下ろして味わう麦飯の味は格別であった。
北緯七度の線上を、東へ、東へ、ゆるぎない編隊陣で進んでいるうち、突然、一二五五、一小隊の二番機が、一番機の渦流内に吸い込まれて、右翼と右プロペラで一番機に空中衝突をしてしまった。
次は後日、ラバウルの陸攻隊の宿舎で、小南から聞いたそのときの状況である』
として、例の図(手書き)が掲載されています。
2機の接触の状況です。

こんな感じの絵です。※黒が小南さん図の元の書き込み。赤がわたし書き込み
たぶん上図が2機の接触時の状況で、下が接触直前の編隊3機の位置関係なのかなと思います。
小南さんの飛行機はもう少しまるっこくデフォルメしてあり、わたしが描いたものは一式陸攻の平面図をトレースしたものなので、若干位置関係がずれています(飛行機接触時の図。わたしの図では右翼で切ったように見えますが、小南さんの図ではもう少しプロペラが切断面に近いです)。




衝突地点はササオン島の170度6浬と書かれているのですが、「ササオン島」がどこなのかわかりませんでした。が、小南さんは丁寧にササオン島の緯度経度を「7度N、147度E」と書いてくれているので、おおよそこのあたりだろうという地点に×をつけています(下の地図)。



小南さんの絵日記では発生時刻は午後0時五十九分。
(1番機)『接觸ト同時ニ機首ヲ上ゲ墜落(死体収容シ得ズ)』
(1番機の胴体が切断された図から・・・・を引っ張り)『切断(胴体日ノ丸ノ所)二番機プロペラにて斬る』
『(一)、二番機ハ共ニ機首ヲ揚ゲ危険状態ニ入リタルモ、辛ジテ墜落ヲ免レ無事基地ニ飛行セリ
(ニ)、墜落現場海上は油の流れるのみにて機体及び死体發見し得ず。翌日捜索セルモ依然發見シ得ズ』


衝突された側は全員戦死しているのでそのときの様子はわかりませんが、何が起こったかわからないまま飛行機が落ちていったのではないかと想像します。



小南さんの話「坂本は実に惜しいことをしました。あいつは開戦の朝は私とペアでクラーク飛行場攻撃に行ったのですよ・・・・」(『予科練外史』)

小南さんと坂本さんは同県人ですし、操縦で機種も一緒、実施部隊でも一緒。
小南さんにとってさぞ縁深かった一人だろうと思います。


このあと無事にトラックに到着した高雄空面々は4空に編入されラバウルへ。
2月20日にはニューギニア沖航空戦で甚大な被害を出してしまいます。
小南さんは辛うじて生還。




8期が予科練2学年時秋、ラグビーの試合を見学したときの写真に坂本さんが写っていたので。





※画像は9期生ご遺族ご提供、倉町秋次『予科練外史』4巻参照、図は小南良介さん絵日記をもとに作成

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